ついこの間に、10周年兼吉田さんの結婚を祝う会のパーティーをやったと思ったらもう5年。 月日の経つのは早いものですね。 私が始めてアトミに参加させてもらったのは、S60年でした。(60年とはっきり断言できるのは、 実はアトミ通信No7号(H5年4月)にアトミクラブ10周年特集が組まれ、篠原監督からアトミの 歩みが詳細に書かれていたのでその中で確認することができました。活字に残すということは大切ですね。 アトミの通信に感謝、感謝、関田さん本当にありがとうございます。) 水曜日の練習会は現在の織田フィールドでなく、千駄ヶ谷にあった東京都の300mサブトラックで 練習をしていました。当時のメンバーリストを見てみると、篠原監督以下24名の方の名前がありました。 当時を思うと、毎週水曜日の練習会が待ちどおしく、残業で遅くなろうが雨が降ろうが、とにかく サブトラックへ足を運びました。練習終了後は、銭湯「松の湯」の熱つ〜い湯に浸かり疲れを取り。 涸れきった体にエキスを補給するため最後は居酒屋「むらさき」へ。走りたいという気持ちと飲みたい という気持ちが同居していました。 練習の厳しさもさることながら、汗をかいたあとのメンバーとの語らい、ふれあいがなんとも気持ち が良く、こたえられませんでした。(このパターンは今も健在、皆さんのパワーには脱帽) また、伊豆松崎、長野の富士見高原、東京の代々木公園等で行った合宿、目を閉じると鮮明に記憶が 蘇ります。婆娑羅峠越えの50kmロード、下田からの復路が長かったな。雲見コース疲れたな。 富士見高原での10マイルロード、台風で風との戦い。400m×25本よくやるよ。 本当に皆さんよく走りました。 自分で紹介するのは何か変ですが、こんな合宿もありました。S61年10月に会社の都合で、 私は福島県双葉郡にある人口5000人の小さな町、広野というところに4年間住みました。 福島県は会津地方、中通り、浜通りの3地区に分かれています。広野町は、浜通り地区中央に位置し 太平洋に面した町です。気候も温暖で町のキャッチフレーズが「東北に春を告げる町広野」という くらいに、暖かく住みやすいところです。 広野町を宣伝するわけではありませんが、皆さん「汽車」という題名の童謡をご存知ですか。 皆さん歌ってみて下さい。 ♪♪今は、山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと おもうまもなくトンネルの 闇を通って ひろのはら …………♪♪ の広野(ひろの)町です。 JR常磐線の広野駅ホームに歌詞が書いてある記念碑があります。こんな町で、S62年にアトミの合宿を 挙行しました。 私はホスト役ということで、アトミの皆さんにたっぷり走ってもらうのは勿論、広野町の良いところを 紹介し、満足して東京に帰ってもらおうと色々と企画させていただきました 。以後H5年まで7回広野合宿が続きました。 その後は、広野町から河口湖へと引き継がれ夏合宿が続いているのは皆さんご存知の通りです。 アトミの皆さんの走ることへの情熱、揺るぎないパワーを見習うと共に、これからも仲良く楽しくそして厳しいクラブであるよう微力ではありますが協 力させていただきます。
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