アトミクラブホームページ管理ルーム

新潟県縦断駅伝の紹介記事

 第30回大会の数日前に掲載された新潟日報の記事

第30回大会の数日前に掲載された新潟日報の「新潟県縦断駅伝」の紹介記事に第29回大会の管理人の写真が載っていましたので掲載しました。

さあ駅伝大会の季節

スポーツの秋です。みなさんの学校でも、そろそろ運動会準備が進められていることでしょう。
この十七、十八日の二日間行われる新潟日報社、新潟放送など主催の「新潟県縦断郡市対抗駅伝競走」 もすっかり準備が終わり、あとはスタート号砲(ごうほう)を待つばかりです。
そこで今日は、県内を中心に「駅伝競走(えきでんきょうそう)」について、新潟日報事業局の関係者から話を 聞いてみました。(S)

県縦断は今年で30回

17回には宇佐美選手も力走

駅伝競走というのは道路で行われるリレー競走のことです。本来は一区間の距離を20km前後で、 全区間を10区以上に分けます。そして1区間に1人の走者をあて、次の区間走者は、前の区間 走者からハチマキまたはタスキを受け継いで走る競技です。
この競技は-相撲(すもう)や剣道(けんどう)などと同じように日本だけに発達したものだそうです。 しかし最近では「駅伝競走」といっても、長距離を継走(けいそう)する競技とされ、 数人で一チームをつくり、各人が所定(しょてい)の区間を縦走し、総所要時間で勝敗を決め る競技をすべて「駅伝」といっているようです。
 駅伝は、大正六年に「奠都(てんと)記念東海道五十三次駅伝競走」が行われたのが最初です。 次に大正九年からいまも続いている「箱根駅伝」があります。そのほか全国規模で行われて いるものには北海道一周駅伝、「本州横断都県対抗東京-新潟駅伝競走」(ことしは十月二十三」日、 東東都都庁前タート、二五日新潟日報社前ゴール)、「東京-大阪間駅伝競走」、「下関-大阪間駅伝競走」、 「九州一周駅伝競走」などがあります。 そのほか各府県や市町村、職場対応など「その数は五百ともいわれているそうです。 県内では、「新潟県縦断郡市対抗駅伝競走」、「佐渡一周駅伝競走」、「新潟-弥彦駅伝競走」、
 「新潟県縦断郡市対抗駅伝競走」は、昭和二十三年に 第一回が開かれました。 このときは「長岡-新潟間駅伝競走」にといわれましたが、その後、距離も高田市(現在は上越市)まで 延長され、さらに十七回大会(昭和三十九年)から新井市役所前スタート、新潟日報社前ゴールとなり、 名前も現在のように変えられました。ことしは第三十回大会です。
第十七回大会には宇佐美彰朗選手も出場しています。西蒲チームでしたが、当時は二十歳で大学生でした。 第一区新井ー高田間10.8kmを36分57秒、第一六区新発田-新崎間15.7kmを54分33秒で、それぞれ区間一位で新記録 をマークしました。 しかし西蒲チームは、宇佐美選手の好走にもかかわらす、総合二位でした。その後の字佐美選手の活躍は、 みなさんすでにご存じのとおりです。 一九七一年に国際マラソン大会では見事に優勝を飾っていますが、このような大選手も「県縦断駅伝」から 誕生(たんじょう)したのです。
同じく新潟日報社、新潟放送など主催の東京-、新潟駅伝競走」でも多くの有名選手が走っています。 東京オリンピックでマラソン三位になった、いまはなくなりましたが円谷幸吉選手も参加、埼玉優勝の 原動力となっています。
このように駅伝競走は名選手を生んだり、育てたりしています。 駅伝競走は団体やチーム、マラソン個人競技という違いはありますが、しかしどちらも”孤独(こどく)に打ち勝ち、 忍耐(にんたい)と体力の限界に挑戦(ちょうせん)するスポーツ”という点で共通しています。
また最近は道路事情が悪く、「駅伝競走」の実施がだんだん困難になってきているそうですが、 日本で生まれた「駅伝競走」にはみんなが理解を示し、発展させる必要があると事業局の人たちは希望を 述べていました。

東京-新潟駅伝競走優勝チーム ( )内数字は大会回数
@茨城 A東京 B茨城 C東京 D茨城 E神奈川 F神奈川
G東京 H埼玉 I東京 J東京 K東京 L東京  M東京
N東京 O東京 P埼玉 Q神奈川 R?


県縦断駅伝の新井市役所前のスタート風景(第二九回大会から)


気力と体力ををつくして力走する選手たち。
沿道から激励の声が飛んでいた。(第二九回大会から)


| Top | my record collection |