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近況報告76号 |
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訃報 中村正二さん急逝
中村正二さんが1月20日未明に急逝されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
生前ご本人と親しくしていた吉木さんより追悼文を頂戴しましたのでご紹介いたします。
中村正二君のこと 吉木稔朗
中村君が本格的に走り始めたのは2001年12月の川口マラソンの10kmに出場したときからだと記憶する。
その次が翌年1月の谷川真理ハーフ。そして2月の青梅マラソンと、毎月10kmずつ長い距離を大会で走り、
3月の荒川マラソンで初フルを走った。そのときの記録ははっきりと記憶にないが、3時間40分くらいではなかったかと思う。
ほぼイーブンで走り切りうまい走り方だと思った。
その後、中村君がアトミクラブに顔を出し始めたのが2004年の3月ごろ。Cグループで走り、少しずつ力をつけていった。
2004年11月のつくばマラソンでは3時間11分。「後半に課題が残った」とボクにメールを送ってくれた。
今思えば、異変がはっきりと起こり始めたのは、今年に入ってからだと思う。
今年最初の練習がビルドアップ。Cで走って6000mでリタイアしている。
1km4分20秒のペースについていけなかったのだ。その次の週も7000mでリタイア。
本来なら、10000mまでは問題なくついていけるはずだ。そして今年3回目の練習会は、1月19日。
彼は4分30秒でのペース走に参加。これは最後までできた。
練習終了後、高橋忠士君と中村君とボクの三人で、吉祥寺駅前の笑笑へ。
11時45分に別れ、それぞれ帰宅したのが彼との最後だった。
翌朝、家族が中村君を起こしに行ったら、布団の中で動かない。
あわてて救急車を呼んだけど間に合わなかったという。
1月22日がお通夜。そして、23日が告別式。23日は千葉マリンマラソンがあり、中村君は参加する予定だった。
笑笑で飲んだときも、「練習を少し抑えて、疲労を取ったほうがいいよ」という話をした。
中村君は「うん、ちょっと、千葉マリンにはかけている」といっていた。
告別式のあと、参列したランナーのために、ご親族の方がマイクロバスを1台用意してくださった。
「時間のある方はぜひ、一緒に焼き場へ来てください」と。
遺骨まで拾わせていただいて、やっと彼の死を現実のものとして受け止める気持ちになってきたのは事実だ。
享年37歳。逝ってしまうには若すぎる。
その後、お寺に戻り、法要のあと、ご親族に、中村君がどのようにして走っていたのかということを話す機会を与えていただいた。ご親族は、
初めて聞く話が多くて驚いておられたが、それでも、「走っているときの正二が一番楽しそうだった」と語ってくださった。
定期健診で不整脈があったそうだが、それどころではなく。
医師によると、階段を2、3段上がるだけでも苦しくて息切れが普通の人はするような状態だったという。
今、中村君は、アトミクラブのみなさんを初め、ランナーのみなさんに、
きっと、「ちょっとでも体調に異変があったら、必ず診断を受けてください。
そしてボクの分も走って楽しんでください」といっているような気がしてならない。
さようなら中村君、ありがとう中村君。
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