アトミクラブ
New York流 ランニングの楽しみ方(3)〜(5)
宮下 毅さん

 【New York流 ランニングの楽しみ方(3)】 宮下 毅さん
(かけっこ.comに連載のものを掲載いたしました。)

 勢い込んで、スタートした私だったが、結果は4:13:09とボロボロでした。 号砲が鳴ってからスタートラインまでたどりつくのに10分以上かかったのも、かなりストレスになりました。 それよりも何よりも、ハーフぐらいまでしか走っていなくても何とかなるという考えが甘かったのでしょう。 30キロ以降は、ガス欠と足が動かず地獄でした。

 確かに大会自体は、聞いていたとおり、全世界から3万人が出場し、200万人が応援する世界最大のマラソンだったのですが、私にとっては、とてもこの大会を楽しめたとは言えず、肉体的にも精神的にも苦しさだけが残った大会でした。 沿道で"You can do it!"、"Keep going"とかと励ましてくれる人、あめやオレンジを差し出してくれる子供たちに対しても、応える余裕など全くありませんでした。

 あれほど楽しみにしていたNYCマラソンが悲惨な結果に終わったショックから暫く立ち直れず、マラソンが終わってからは、全く走らなくなってしまいました。 不思議なもので張り合いがなくなってからは、NYの厳しい冬の寒さが一層身にしみあんなに足しげく通ったセントラルパークが、どことなく寂寞した場所のようにも思えました。

 なぜうまく走れなかったのか、才能がないのかなどと悶々とした日々が過ごすうちに、長い冬が終わり、バスから見えるセントラルパークは、新緑が眩しい時期になりました。 カラフルなウェアに身を包み、楽しそうに走っている人が昨年よりも増えているような気がしました。 「もう1度、セントラルパークで走ってみるか」と思い出したのが、走り始めてからちょうど1年経った頃のある暖かい日でした。
(以下次号)


 【New York流 ランニングの楽しみ方(4)】 宮下 毅さん

 再び、セントラルパークに足を運んだのは、新緑眩しい、さわやかな日でした。 友達とおやべりしながらゆっくりとランニングする人、お気に入りの音楽を聴きながらサイクリングする人、芝生で子供らとフリスビーで遊ぶ人、乗馬を楽しむ人、犬を散歩させる人など、本当に多くのニューヨーカーたちが、思い思いに自分のライフスタイルを楽しんでいるような、まさに都会のオアシスのような感じがしました。

 これまで、がむしゃらに走ってきた私でしたが、「そう言えば、いままで一回もゆっくりと楽しく走ったことはないなぁ。 今日はゆっくりと景色でもを見ながら走ってみようか。」と思いました。

 ゆっくり走ると、今まで気に止めることができなかったいろいろなものが見えてきました。 「こんなところに城があったんだなあ、セントラルパークって、いろいろなものがあるじゃないか。 今度、あそこに行ってみよう。」など好奇心がとめどとなく沸いてきました。 "Hi! Good Job!"昨年、半年間ほとんど挨拶を交わす余裕もなかった顔見知りのランナー達に自然と声をかけていました。

 一周約10キロを1時間近くかけて走りましたが、その日のランニングはとても気分よく、小学校以来、自分の中で持っていたマラソン(根性、他人との競争など)の固定観念が一気に変わったような気がしました。

 それ以降も私はゆっくり走ることに心がけました。 ゆっくり走るといろいろなものが見えてきまし、走ることへのプレッシャー、ストレスも感じなくなりました。 そして何よりも、ランニングを通じての知り合い、走友が急速に増えてきました。 中でも、ある日、突然、「一緒に走りませんか?」と声をかけてもらった、ニューヨーク在住15年の古市勲さん(ランナーズ社)とランナーズニューヨークの方々との出会いは、現在の私のランニング生活や人生観に大きな影響を及ぼすものになりました。

 ランナーズニューヨークは、ニューヨーク在住の料理人の方や、銀行、大企業の駐在員、ミュージカルスターを目指しダンス教室に通う学生など異色な人々が、毎週土曜日にニューヨークシティマラソンのゴール地点に集まり、ゆっくりとセントラルパークを一周する。 そこには強制や隔たりがない、それぞれがランニングを楽しむという点で共通の価値観を持っている、そんなクラブでした。

 私は気づきませんでしたが、クラブの皆さんは、昨年セントラルパークをいつも、もがき苦しんで走っている日本人である私の存在を見ておられたらしく、私が、練習に参加するようになってすぐに「宮下さん、速くなりたいなら、まずゆっくり長く走ることを奨めるよ。」 と言われました。

 私は、この逆説的な論理の真意が全く、わかりませんでした。 ゆっくりと走る楽しさもわかり始めていたので、これまでのような追い込んだ走り方はしませんでしたが、「ゆっくりとしか走らなければ、やっぱり速く走れるはずがないよ!」と心の奥底では思っていました。

 そうこうしているうちに時は「あっと」言う間に流れ、2回目のニューヨークシティマラソンを迎えることになりました
(以下次号)


 【New York流 ランニングの楽しみ方(5)】 宮下 毅さん

 2回目のニューヨークシティマラソンは、最初から最後までたいへんに楽しく走れました。 タイムを意識していなかったこともありますが、ベラゾノ大橋から望む大西洋、沿道の応援者から差し出されるオレンジやあめ、 日頃あまり足を踏み入れることのないユダヤ人街やハーレムの景色など、昨年の大会では経験できなかったことを満喫しながら走ることができました。

 途中、あまり時計を気にすることもなかったのですが、結果は一年前より54分短縮し、一気に3:19:45となりました。 なぜ、こんなに楽に走って、タイムが1時間近くも短縮されるのだろうかと最初は、自分でも全く信じれないほどでした。 さらに、昨年の大会では、レース後に走ることがいやになって、全く走ることから遠のいてしまったのですが、その年の大会後には、 走ることが以前よりもっと好きになっていました。

 医学的に言えば、ゆっくり長く走ることによって身体能力が開発され、速く走れるようになったのかも知れませんが、 私は、それだけでなく、私自身がこの一年間のランニングを通して、人間的な成長を遂げれたからこそ、速く、 しかも楽しく走れるようになったのかも知れないと思いました。(自分で言うのも変ですが・・・)

 この一年間を通して、あれほどこだわっていた他人に負けたくないという変な競争心もなくなり、自分らしく走ろう、 自分らしく生きそうというような気持ちが自然と湧いてきました。 また、考え方も前向きになり、周囲に目をやることや、他のランナー、ボランティアの方々を気遣う余裕も生まれてきました。

 その年のレース以降、私は帰国する最後のギリギリの日まで2年間、ほとんど毎日セントラルパークで楽しく走りました。 赴任した日から3日目にニューヨークシティマラソンを走ろうと決意してから、3年半の間、本当にいろいろなことがありました。 その一つ一つの出来事は、今も瞼を閉じると鮮明に思い出すことができます。 世界最大の祭典ニューヨークシティマラソン、四季とりどりの姿を楽しませてくれるセントラルパークでのランニング、 ゆっくり走ることの楽しさを教えてくれた走友たち、どれもこれも私にとっては一生の忘れることのできない大切な思い出です。

 日本に帰国してからもこの思い出に胸に、自分らしくゆっくりと走り続けています。 私にとって、ランニングの楽しみとは、「競技技術が向上する」とか「タイムが伸びた」ということではなく、 「人間的な成長を実感できる」、「ランニングがもっと好きになる」ということで捉えています。 ランニングは一番、人間性が出るスポーツだと言われています。 これからも日々、人間的な成長を実感できる、そんなランニングをこれから追求していければと思っています。

 悪文、乱文にも関わらず、最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。 また、皆さんとどこかでお会いして、一緒に楽しくランニングできればと考えております。
(おわり)

<宮下 毅(みやした・たけし)>


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