皆さん、こんにちは。今回からこのコラムを担当します宮下と申します。 95年にNew Yorkに赴任した時から走り始めて走暦は約6年です。 最初は「マラソンとは、気合X根性の産物である」という印象を持って走り始めたのですが、 ランニングを通して、いろいろな人の出会いや出来事を経験し、私自身の生き方や考え方がかなり変わってきました。 このコラムでは、私が、どう変わっていったか、それからNew York流のランニングの楽しみ方のようなものをお伝えできればと思います。 最終回までお付き合いを宜しくお願いいたします。 New Yorkと言えば、皆さん、まずNew York City Marathonを思い浮かべられることと思います。 私も赴任して早々、知人からこのマラソンのすごさについて聞きました。全世界から約3万人のランナーが参加し、 ボランティアや応援の人たちを入れると約200万人の人々が参加する世界最大の大会、 そしてこの大会には、市民誰にでも走るチャンスが与えられており、走る意思がある限りゴールを閉ざさないことを聞き、 私は、この大会に大きな興味を抱きました。 New Yorkに行くまでは、自分でマラソンなど走るとは思っても見ませんでしたが、 その知人から聞くマラソンの話は妙にいきいきとしており、また、 そのレストランから見えたベラゾノブリッジ(このマラソンのスタート地点)は、美しく輝いているようにも見えました。 初心者の私ですが、ひょっとして、自分も走れるのでは?、いやそんなこんなにすごい大会なら是非、 走ってみたいという衝動に駆られました。 これが赴任して3日目のことでした。
赴任後3日にして、NYCマラソンへの出場を決心した私ですが、練習もしないうちから、妙にわくわくし、 毎日、颯爽とニューヨークの街を走る自分の姿を思い浮かべておりました。 一体どのぐらいのタイムで走れるのだろうか?、10年間運動部のしごきに耐えたのだから、 3時間台ではいけるだろうなどと、考えていました。 そうこうしているうちに、友人からそろそろ、NYCマラソンの申し込みだと教えてもらいました。 11月の大会なのに4月にもう申し込み?と思われる方も多いと思いますが、4月に申込書をもらうためのイベントがあり、 それを皮切りに、5月に先着順、7月に抽選で出場者が決まり、 そこから本番までにミニレースやイベントがたくさん開催される、参加者も、ボランティアも、 街全体も大会が近づくにつれ、徐々に気分を盛り上げていくのもこの大会の演出のすばらしさです。 私も友人のお陰で無事、申し込みを済ませることができ、練習を開始しました。 最初はどんな練習をやってよいかわからず、ハアハア、ゼ イゼイ、セントラルパークをただ、がむしゃらに走っていました。 今、思えば、セントラルパークであんなに苦しそうに走っていたのは、私ぐらいしかしないと思うぐらいに毎回、 苦しみもがきながら走りました。 なにもそこまで、自分を追い詰めなくてもと思われる方も多いと思いますが、その頃の私は、 これがマラソンだ、こうしなければ強くなれないと思い込んでいたからです。 一方、アメリカ人の多くは、私とは対照的にWalkmanを聞きながら、また友人としゃべりながらゆっくり楽しそうに走り、 苦しそうに走る私に"easy!,easy!"と毎回声をかけてくれました。 その姿は、仕事とプライベートを完全に分け、都会のオアシスを満喫する正真正銘の"New Yorker"のようで、 私にはどことなくうらやましく思う反面、 「絶対、こいつらには負けたくない」という(今から思えば、くだらない)反骨精神を抱いていました。 そうこうしているうちに、半年が経過し、土日のみの練習でしたが、私はハーフマラソンは走りきれるようになっていました。 フルの距離は、まだ一度も走ったことはなかったのですが、半年間も苦しい思いで練習したから、 あと半分ぐらいだったら何とかなるだろう、4時間は切れるだろう、 少なくともいつも楽しく"easy!,easy!"と声をかけてくれるアメリカ人は負けるわけがないなどと、 いつの間にか、いいタイムで走ること、人に勝つことへのこだわりが異常に強くなっていました。 かくして、1995年11月7日、NYCマラソンの号砲が打ち鳴らされ、 私は初めての42.195キロへの挑戦へと旅たったのでした。
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