アトミクラブ
長江隆行(49歳)さんのがん闘病記


「長江隆行(49歳)さんのがん闘病記」           2021.10月
 長江隆行さん=学生の頃、陸上競技を行っていたが、度重なるケガから途中で断念。 39歳で再び走り始めマラソンを始める。マラソン自己ベストは43歳時の2時間23分33秒。 全日本マラソンランキングでもランキング登場全8回中4度第1位獲得。 40代での自己ベストであったため、ランナーズ誌でも"加齢に勝つ"と題して連載(2019年)した経緯がある。 この闘病記は(株)アールビーズ社発行「ランナーズ2021年12月号」に投稿され掲載されたものの基になっている。アトミクラブ入会2011年10月。


1.身体に異変

 今や日本人の二人に一人が一生のうちになると言われている癌(がん)、まさか自分がなるとは・・・異変の始まりは、今思えば2020年頃だった。 走っていて立ちくらみが生じる時があり、やがて、お腹にしこりのようなものができて、下痢の症状が気になり始めた。 大会等でも支障を感じることが多くなってきた。 貧血等があったのかもしれないが、日々のトレーニングに集中していたため気にせずに生活し競技を続けることにした。
 ちなみに今年で最後の開催(2021年)だった2月の「びわ湖毎日マラソン」も近年になくベストの調整ができたのもかかわらず、 スタートから動きが鈍く、ベスト記録には遠く及ばないタイムに終わってしまった。
 その後、4月に入りトラックやレースで5kmを4回出場した。 全て15分台が出て少しずつ調子が上がってきたので、今年で75年の幕を閉じる12月開催の「福岡国際マラソン」に向けて準備を着々とこなしていた。 がんが分かったのはその矢先の出来事であった。

2.内視鏡検査で大腸がんが発覚、検査結果に愕然

 毎年の初夏から秋の始まりにかけては、信州の菅平で走り込みをするのが時期であり、 練習計画も平日も休日もしっかり予定を立てて休みなく計画通りにトレーニングをする時期だった。 しかし、コロナ禍の影響で常宿としていた菅平の宿が休館であったため、予定が空いた。 そこで、昨年からの身体の異常も気になっていたので、健康診断を受けて身体の状態を確認することにした。 すると検便での数値が正常値の100倍近くあり要精密検査となった。会社近くのがん研有明病院の提携病院で内視鏡検査を受けることにした。 内視鏡検査はまず腸を綺麗にして肛門から管を入れて腸の内部にポリープやがんがあるかどうかを調べる検査でポリープや初期の小さいがんであればその場で切除できる検査であった。 検査が終わり、医師に呼ばれ写真を見たときに愕然とした。 そこには腸の管をほぼ塞いでいるがんが写っており、かなり進行しているようであった。 すぐにCTをとり、がん研有明病院に紹介状を書いてもらい、翌週に行くことにした。

3.最後の「フクオカ」出場と治療方針をめぐる葛藤

 がん研有明病院は、がんの専門病院で全国から患者が集まる病院で、そこで大腸がん治療の名医と言われている福長先生に担当してもらう事になった。 そして、内視鏡検査を再度、がん研有明病院で行い、結果を踏まえて診察してもらった。 この時の自分の中での優先事項はまだ12月の福岡国際マラソンだった。 福長先生に最後の「フクオカ」なのでぜひ出場したい、仮に手術をしても12月以降にしたいと伝えたが、医師の説明の中で、 既に検査でリンパに転移がありステージ3以上の可能性が高いので半年延ばすのは危険とのことだった。 誠に残念だったが手術の先延ばしは断念せざるを得なかった。 後から自分でいろいろ調べたり考えてみて、 この時に12月まで手術を引き延ばす判断をしていたらどうなっていたか考えると恐ろしくなった。

4.入院から手術まで

 現状会社とランニングでもペーサー等行っていたので、一部の関係者に状況を伝え、理解していただいた上で手術2日前の7月7日に入院した。 病院1階には、大きな七夕飾りがあり、願い事の札がたくさん下がっていた。 そんな短冊を眺めながら、「多少の不安もあるが、この道しかない」と腹をくくり、あとは運に任せることにした。
 そして、翌7月9日に手術。前日は思いの外眠れて、特に緊張もせずに補給用の水分も取らずに爆睡した。 9時半頃に手術室に入り、説明を受けて点滴用の注射を打ち、いつの間にか眠りについた。 手術中は何か夢をみていたのだろう、その反動で目が覚めた。手術は終わっていた。時間にして5時間位だったようだ。 その後は、ベッドごと移動し病室へ。身体中に管が付いていて、痛みで寝返りが打ちにくく、腰がとても疲れた。

5.手術後の入院生活

 いまの病院は、コロナ禍なので面会はできず、多くの患者さんが我慢を強いられていたようにも思えたが、 先生、看護師、職員の皆さん等の色々な場面での気遣いには感動した。 ちなみに僕の病棟は7階だったが、各フロアに通常であれば面会用のスペースがあり、 そこで小学生くらいの女の子がパソコンで学習をしていた。 当然のようにがん研有明病院はがん患者しかいないのでかわいそうに思ったが、看護師に対して元気に振る舞っていたので、 僕も回復に向けて闘っていく勇気がわいた。
 手術の翌日、看護師さんが巡回に来たが、身体を起こそうとしても起こせず驚いた。 腹筋を切っているから当然であった。それでもお腹にくる痛みを我慢しながら、時間をかけて身体を起こす訓練をした。 歩行訓練は早い段階からした方が良いとのことだったので、手術翌日には看護師に付き添ってもらい、片道約30mの歩行は点滴スタンドを持ちながら行った。 往復でたった60m、走れば数秒なのに、実際は10分以上もかかってしまった。
 食事は、手術後2日間はジュース。その後は流動食と徐々に固形に近いものが出てくるようになった。 固形物を食べたくて我慢の連続であったが、その後の辛さを考えればたいしたことは無かった。 やがて、シャワーも浴びられるようになり、少しずつではあるが回復してきたことを実感した。 ただ、お腹に刺さっているドレーンの管(体内に貯留した血液・膿・浸出液を体外に排出する管)がとても気にはなったが、結局1週間は付けられていた。 退院は、手術11日後の7月20日。外はかなり暑くなっていたのでびっくりした。

6.退院後の生活とウォーキング(ジョギング)を開始

 退院後、普通の食事がとりたかったが、縫合箇所の腸に負担を掛けないため、消化の良い野菜スープ等にした。 また、手術で大腸を約20p切除したので、便が1日10回以上出るようになり、今後のレースに課題が生じてしまった。 かりにフルマラソンを走ると最低でも2回はトイレに行くことになるかも知れない。
 自分なりに大腸がんの原因はなぜかと考えたが、一般的な原因と言われるものに、@酒、Aタバコ、B運動不足、Cストレス、D加工食品(ソーセージ、ハムなど)、 E遺伝など挙げられるが、@、A、Bはない、Cはあったかと思う、Dは昔からソーセージは好きで朝食も自炊で良くパンに挟んで食べていた、 Eは母方の親族にがんが多いことは聞いていたが本当の原因はわからない。 ちなみにDの加工食品は、退院後も食べたくなり、がんの原因にならない「無塩せき」と言われる加工食品を食べることにした。
 退院後は、医師から激しい運動はしないように言われていたので、家の近くをひたすらウォーキングしたが、 流石の暑さに耐えきれずに暗くなってから少し行う程度に切り替えた。
 退院から1週間が経った頃に少しジョギングを交えた運動に変えた。 ジョギングは約3週間ぶりで、最初は脚がもつれて転びそうになったが、数秒後には何とかゆっくり走れるようになった。 それでも500m位でキツくなり再び歩き始める。しばらくはこの連続であった。
 退院3週間後の8月10日に初外来で再びがん研有明病院に行った。 じつは入院中に福長先生の下の若い先生から、最初の外来までは腹部に負担がかかり危険なので走らないようにして下さいと念を押されていた。 しかし、福長先生と3週間ぶりにお会いして最初に「もうかなり走っているんでしょ(笑)」と言われ、僕の行動は完全に見透かされていた。

7.抗がん剤治療を開始

 この外来診療の時に取り出したがん細胞の病理検査の結果を聞き、ステージが全5段階中4番目に重い「3b」だということが分かった。「例え手術でがんを摘出しても、体内でがん細胞が残っている可能性がある。抗がん剤治療を行うことにより再発の可能性をゼロにはできないが少なくすることはできる」とのアドバイスを受けて、抗がん剤治療を受ける決心をした。
 ただ、抗がん剤は3週間のサイクルを計8サイクル、つまり期間は6ヶ月となり8月から始めると翌年の1月まで行うことになるため、12月の最後の思い入れのある福岡国際は走れるのか不安になったが、もし出場できるならばスタートラインだけでも立てれば良いと考えるようになった。福長先生にも相談し「アスリートならばしっかり抗がん剤治療をした方が、その後の競技生活を不安なく送れる」と言っていただいた。
 外来1週間後の8月17日、抗がん剤治療(※1)の第1クールが始まった。病院に到着し、まずは血液検査。その後診断で血液検査の結果から抗がん剤治療が可能か判断してもらい、その後、薬剤師からの副作用等の説明を受けてから開始。点滴時は、リクライニングシートに座り約3時間弱あったのでテレビも付いていてくつろげるようになっていたが、90分くらい経つと刺さっている血管に石が入ったように痛くなった。 これは良くある症状で、回数を重ねるごとに痛みがキツくなっていくようである。約3時間の点滴終了後、時間は夕方の5時になっていた。
一日中病院にいたことになる。

8. 抗がん剤期間中の生活及びトレーニングと日夜、襲ってくる猛烈な副作用との闘い

 帰宅後、すぐに副作用の症状が起きた。 主な症状としては、両腕の痺れ、顔面から喉にかけての痺れ、水道水や冷たいものに触れると手のひらが剣山で突いているような痛み(雨の日が最悪)、 顔の痙攣、噛む時に顎の奥に激痛が生じて噛みにくくなる、水を飲む時にのどの奥が痛む(石が挟まっている感じ)足の痺れ、 吐き気、食欲不振、白血球の数値低下、止まらないしゃっくり、味覚障害(特に塩分を感じない)、脱毛、手足病(手足が乾燥すると皮膚が剥がれてくるので、 暑い時や睡眠時も常に手袋着用。睡眠時は靴下もはく)
 会社へは点滴翌日から通常に出勤した。出勤時は紫外線や手足病予防のため長袖、帽子、手袋着用しなければならなかった。 8月は気温が35度位のある日もあり、歩いているときに「暑苦しいな!!」と通行人に言われてしまうこともあった。 勤務中も吐き気は常に襲ってきて、吐き気止めも処方されていたが、飲むと確かに吐き気は少し収まるが、 かなり身体がダルくなるので、ダルくなるくらいならばいっそのこと吐き気があった方が良いと思うように成り、やがて吐き気止めは飲まなくなった。
 運動に関しては、第1クールの点滴後1週間くらいは、帰宅後は何もできず、夕食で野菜スープを取った後はすぐに横になる生活だった。 吐き気で正直食事も取りたくはなかったが、抗がん剤の薬(錠剤)を飲まなくてはいけないので無理矢理取る感じだった。 そして、点滴後1週間ほど経つと吐き気も少しは緩和されてきて、ようやく軽いジョギングができるようになった。
 ただ、ジョギングは医師からは手足病の悪化(皮膚に摩擦がおきると剥がれやすくなる)のリスクがあるため長時間はしない方が良いと言われていた。 実際は、吐き気もあり、「歩いては少し走る」の繰り返しだった。 また、筋トレや体幹トレも血行が良くなると吐き気が襲ってくるようなので、「吐き気がきたら止める」を繰り返しで少しずつは行うようにした。
 やがて2週間の錠剤服用期間が終わり、1週間の休薬期間に入ると少しは運動するのが楽になり、1時間くらいは走れるようになってきた。 ただ、便が1日10回以上も出るので、公園以外はジョギングの時も事前に公衆トイレの位置を地図で確認して走るようにした。

9.現在の状況

 この手記を書いている現在は9月の後半で、第2クールの休薬期間に入った。 第2クールに入ってからは塩分が感じられない味覚障害の副作用が始まった。 これは、飲んだ抗がん剤が唾液で口内に上がってきて舌に接触して痺れが生じることで起こるようである。 抗がん剤治療を行っている他の癌患者のブログを見ても皆さんこの味覚障害に苦労されているようだった。 僕も試しにカップヌードルを食べてみたが、塩分がない麺を食べていて最後の下の方のスープを飲む時に若干塩分を感じる程度であった。 ちなみに、酸味や甘さは感じられるのでまったく味のない食事ではなくなるが。 ただ、これもいろいろ自分で試して、後に酸味があるものと一緒に食べると徐々に塩分が感じられるようになることが分かった。 舌の感度をトレーニングする意味で、これをひたすら繰り返すことでやがて塩分が少しずつ感じられるようになった。
 抗がん剤治療は、がん細胞を攻撃してくれるが、100%がんを治す保証がないそうだ。 仮に抗がん剤治療を施し100%がんが治る保証があるのであれば、辛い副作用を伴うこの治療だっておそらく、 ほとんどのがん患者は耐えられるのだろう。 しかし、抗がん剤治療を行っている患者は、100%保証のない、いわば辛い治療を100%治ると信じて日々がんと闘っている。 これは、本当に皆さん凄い精神力だと思う。 自分が体験し、マラソンの辛さなどとは比べものにならないと感じた。

10.抗がん剤治療はさらに続くが「治療中にはみえないね」と言ってもらいたい

 これから約5ヶ月(※2)更に抗がん剤治療は続くが、副作用は更に激しさを増していくようである。 ただ、自分の中では治療中は苦しそうな表情を他人には見せない努力はしている。 こういうのに勝ち負けはないかもしれないが、 会った友人から治療中には見えないと言ってもらえれば僕の中では勝ちだと思って残りの抗がん剤治療も頑張ろうと思っている。

(※1)がん剤治療は、何種類かあるようであるが、僕の場合はXEROX療法という治療で行うこととなった。 これは、最初の30分を吐き気予防の点滴、その後オキサリプラチンという抗がん剤を約2時間点滴、 帰宅後は家で2週間ゼローダという抗がん剤の錠剤の薬を毎日朝晩5錠ずつ服用。 そして1週間休薬期間を設けて、また3週間後に通院して点滴のオキサリプラチンからいうサイクルを8回繰り返す治療法。
(※2)10月からは約4ヶ月
2021年10月23日掲載


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