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盲人(視覚障害者)ランナーの伴走をしてみませんか 上福岡市 中澤修平さん |
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まず始めに、アトミクラブ練習会に参加させていただいていることに感謝の意を表したいと思います。
皆様の速くなりたい、強くなりたいとの思いが結集されたこの緊張感ある練習会に、
どれほど私自身も刺激され、励まされて高揚した精神を維持させていただいているか計りしれません。
皆様もそうであるように、私も余程のことがない限り水曜日の夜は予定を入れず、
たとえ故障中であっても、不調の最中でも、
他ではみることの出来ない皆様の集中力や緊張感を肌で感じるべく出かけてまいります。
そして、よし僕もやるぞ!!という気合いをいつもいただいて、
心地よい疲労感とともに帰途につきます。
このすばらしい練習会に巡り会えた事に感謝すると共に、
皆様のよい意味でのライバルとして共に声を掛け合い、
気合いを入れあって、少しでも影響しあえれば本望です。
さて、本題に入りますが、練習会に参加されているランニング大好きの皆様にとっても、
盲人ランナーの伴走をされた方は、まだ少ないと思いますが、
盲人ランナーが伴走者と共にロープでむすばれて走っている姿を見かけた方は多いと思います。
今でこそ一般ランナーの中に溶け込んで走っているその姿も、私が伴走ボランティアの存在を知り、
興味を持ち始めた十数年前の頃は、マラソン大会に行ってもまず盲人ランナーを見かけることはありませんでした。
障害者を積極的にスポーツへ参加させよう、楽しんでもらおうとの意識がまだまだ低く、
半ば公然と盲人を含め障害者の参加拒否を表明する大会も少なくなかったのです。
時は移り、ここ数年は、大会での門戸も開かれ、
又障害者の方々も積極的にスポーツを楽しもうとする方が増えて、
大変喜ばしい環境が整ってまいりました。
それにしても当時は、伴走ボランティアの情報が不足していました。
関心はありましたが、どこにどうアプローチしたらよいかも解らず、
ただいたずらに時は過ぎていきました。
そんな中、さすがというべきか、お見事と言うべきか、
十一年ぐらい前だと記憶していますが、
皆様の中にも定期購読している方も多いと思います「ランナーズ」誌が、
盲人ランナー及びその伴走ボランティアについて特集を組んだのです。
強く関心を持っていたこともあり、
その記事は即座に私の目の中に飛び込んできました。
そこには、日本盲人マラソン協会という組織を中心にして、
増えてきた盲人ランナーのための支援体制をどのように整えていくか、
又この時点の盲人ランナーに与えられている環境、
伴走ボランティアが大変不足している、
等々の記事が写真入りで紹介されていました。
それと共に、毎月第一日曜日に渋谷区の代々木公園で盲人ランナーと伴走ボランティアとの合同練習会が開かれているとも書かれていました。
私は早速連絡先を問い合わせ、
日時を確認して、興味半分、不安半分で代々木公園に出かけていきました。
さわやかな朝日がさし込む深い森の中に三十人程の人々が集まっていました。
私を紹介させていただき、初めての伴走であるということで比較的ゆっくり走られる盲人の方と一緒に走ることになりました。
基本的な伴走ルールを教わり、実際に走り出したわけです。
初めて握るそのロープにひどく緊張してしまってその時どのように走ったのかはっきり覚えてはいませんが、
盲人の方に大変気を使っていただいた事だけはよく覚えていまして、
何とか並んで走ってはいましたが、客観的にみれば、
どう見ても私が伴走されているような走り方ではありました。
しかし兎にも角にもこの日を持って私の伴走ボランティアはスタートしたのでした。
次の日曜日、私は妻と共にロープを握り、公園の芝の上に立っていました。
勿論私の目にはアイ・マスクがつけてあります。
目が見えないとはどういう事なのか、そして目の見えない人が走るときは何を頼りに何を感じながら走るのか、
盲人ランナーの立場を心理面や肉体面、
伴走者との関係に渡って徹底的に探求していこうと決意したのです。
この日、妻の伴走により約2時間にわたってあらゆる路面状況を想定してゆっくりと右に左に曲がり、
そして上り坂下り坂、路面のよい場所悪い場所と走り、
最後につまずいての転倒それも最初はそっと、
やがて激しく転倒を体験してみました。
これら一連の体験の中で感じ得た事は、
盲人の方々が日頃苦労されている苦難のほんの一部かもしれませんが、
その本質を垣間見る事が出来たように思います。
長年にわたって車の運転をされている方なら、
高速道路を走行中、事前の警告表示はあったにしても、
目の前に突然霧がかかって来て、
そして急に霧は濃くなって目の前がほとんど見えなくなってしまうというあの怖い体験は二度や三度はおありだと思います。
あの恐怖感こそ、程度の差はあっても盲人ランナーが走るときに常に抱えている恐怖感そのものなのです。
この突然障害物にぶつかるかもしれないという恐怖感こそ盲人ランナーが常に頭に抱えて離れない苦難なのです。
そのことをまず最初に強調しておきたいと思います。
従いまして、これから伴走ボランティアをやってみようとお考えの方に提案いたします。
ロープを用意し、目隠しをして伴走をどなたかに頼んで是非自宅の周りなどを走ってみてください。
そして無理のない範囲で転倒までしてみてください。
そこで得られた恐怖感の体験こそを、
伴走ボランティアを始めるに際しての精神的原点にしてもらいたいのです。
皮相的にみれば、伴走とは盲人ランナーよりも走りにパワーのある人が、
ロープで誘導して安全にゴールまで導くということになりますが、
盲人ランナーの立場から伴走されて走るということは、
最初から最後まですべて恐怖感との戦いであり、
その恐怖感が大きければ、苦しくて怖くて走りが楽しくないし、
恐怖感が減ってくればリラックスして走れるしスピードもぐっと上がってくるというものです。
では、恐怖感の減った分増えてくるものは何かといえば走りの集中力です。
盲人ランナーは修行のために走っているのではないし、
恐怖を体験したいから走っているのではないでしょう。
私も多くのマラソン大会に参加しますが、
その中で予想外に走りに集中できるときがあります、
その時はきまって苦しくはあっても常に体全体で、
全力で走れるものです。
そして持てる力の全てを出し切ってゴールしたあとは、実に心地よい満足感に浸れるものです。
走りに集中できればこその快走というものでしょう。
伴走もこの恐怖感を出来るだけ減らして、
より多く走りに集中してもらうという事につきると思います。
私流の表現で伴走を定義すれば、
「伴走とは、お互いの信頼関係のもと、
相対的に恐怖感の割合を減らし、
走りに集中する割合をいかに増やすか」という表現になります。
確かに、広い海の上を走るのであれば、恐怖感の話をする必要はないでしょうが、
目の前すぐにも障害物があるかもしれない、
ぶつかるかもしれないという不安から発する恐怖感はきっと本能と関係していて、
本来の機能が正常に作用しているということなのでしょう。
だからこそ、伴走者は、
あらゆるテクニックを使って恐怖感をより生じさせ得ないように努める必要があります。
伴走も細かい細かいノウハウの集積によって成り立っています。
ここでも私たちの人生と同じように試してみて成功し、
あるいは失敗して落ち込んでとそのくり返しで伴走者としてのノウハウと、
直感力を積み上げていくことになります。
伴走のノウハウを細部にわたって記することは紙幅を大幅に増やしてしまいますので、
又後日の機会に譲りますが、私が伴走をするに際し最も重視し実行していることを一つだけ書いてみたいと思います。
御存知のように盲人ランナーといっても、
実に様々なレベルの方がいらっしゃいます。
まだ走り初めて間がなく、
のんびり走るのが楽しくてしょうがない方から、
色々な大会に出場するのが夢で一生懸命走り込んでいる人、
さらにはパラリンピックなどへ選抜され選手として出場する人など、
本当に様々です。
伴走をするとき、その各レベルに応じて語りかける言葉も微妙に、
或いははっきりと違ってくるわけです。
例えば、まだ初心者レベルの女性の伴走をする場合、
まっすぐな道が続いてリラックスして走っている時などに、
道路脇に草花がこぼれんばかりにたくさん咲いている、
そしてそれが数百メートル続いて咲いているのでとても見事ですよと語りかけるのは、
大変よいことですが、それと同じ話を、
今日この大会で自己ベストを出すぞと気合いの入っている盲人ランナーに、
同じ場所で同じ話をして、花の色まで説明しても、
その人には必ずしも喜んでもらえないかもしれません。
それは走りの集中力をそいでしまう恐れもありますし、
その選手にとってはもっと優先して語りかけなければならないことが他に沢山あるからです。
ただその人が、毎年参加しているからとの軽い理由で出場し、
まだ呼吸もあまりアップアップになってなければ私も花の話をする可能性は高いと思います。
上記のように盲人ランナーのレベルも様々、同じ選手であってもその大会における目的も意欲も毎回異なり、
又勿論体調も会ってみなければ解らないし、
さらに走り出してみなければその予想さえも正しかったのかさえ解りません。
何時の頃からか私の伴走への取り組みも完全に壁に突き当たっている事を認識しました。
これらのあらゆる状況に対応できていないのです、
対応できないから自己満足的な語りかけしかできない、
従って語りかけに自信を持てない。
そしてもっと重要なことは、考えてから語りかけたのでは、
もうタイミングを逸してしまうことが少なくないのです。
それに何を話そうかなどといつも考えながら走っていると伴走すること自体が苦しくてしょうがない。
それこそ私自身がリラックスして走れないという事態になってしまいます。
もう盲人ランナーの伴走はやめにしようかと考える日々が続き、
伴走の依頼があっても足取り重く出かけることが多かったのです。
これらの苦悩はなかなか消えず、
あれこれと試行錯誤をくり返して打開を計っても、
伴走に自信を持てない時期が長く続きました。
しかし神は見捨てませんでした。
伴走を終えての帰り道、
フッと「伴走をしてやるのではなく、
盲人ランナーと同じ気持ちで走ったらどうだろうか」という考えが頭に浮かんだのです。
これにより急速に視界は晴れ広がっていき、
伴走に対する迷いがなくなっていきました。
そして何より伴走に自信が持てたというより、
伴走に全く気負いがなくなり気楽に走れるようになったのです。
それ以来、さらにあれこれと試してみて、
ある一つの型を作ることに成功しました。
大げさにいえば一つの儀式です。
それを皆様にそっとお教えしましょう(そんなおおげさなものではないか)。
盲人ランナーと同じ気持ちで走るということを、
具体的に私流の言葉で表現するとすれば「自分の心を無にして、相手の精神的レベル、
体力的レベルと同じになれば、語らなければならない言葉や、
伝えなければならない情報は自然と口をついて出てくる」というものです。
これを実現するために、朝出会ってからレースがスタートするまでの二時間程の間、
ひたすら自分の心を静め、そう多くはない相手との会話や動きの中で鋭く相手を分析し、
過去の経験を加味して相手と同じレベルになるように持っていきます。
私は、この二時間程の間の心の動きが後の伴走の善し悪し、質の全てを決定するものと考え、
皆様が考える以上に大変な集中力でそのことだけを考えていきます。
そして完全に相手と同じ精神的レベル、
体力的レベルになっていると確信してスタートを切ることにしています。
確かに、私が無の境地になっているかどうかは道元禅師に尋ねてみなければ本当のことはわかりませんし、
わずか二時間の間に相手と同じ考えになるなんていうことは、
精神科のお医者さんからみたら笑われてしまうかもしれません。
しかし思うような伴走が出来ず、
長く壁にぶち当たり、そのことに苦悩し底辺をはいずり回り、
そしてその谷が深かったからこそ、
その谷底から拾い上げた小さなヒントを私は大切にしたいと思う。
五年後、十年後また違った形で伴走の理想を追い求めているかもしれません。
それはそれで喜ばしいことと思います、
我々の人生と同じように成長している証なのだから。
最後になりましたが、主役である盲人の方々の事を少し書いてみたいと思います。
一口に盲人といっても十人いればその数だけの眼の障害があるといってもよいほど実に様々ですが、
盲人マラソンの観点から分類すれば
(まだ世界的にみて完全に標準化された分類はないようですが)細かい規定は抜きにして、
B1クラス・B2クラス・B3クラスの三種類に分けるのがわかりやすいかと思います。
B1・B2クラスは重度の眼の障害を持ったクラスで当然に伴走を必要とする方々です。
B3クラスは眼に障害や病気はありますが、
伴走を必要としない、
つまり単独走でもほぼ重大な危険を伴うことなく走れる方。
従ってこの方々は一般のマラソン大会で障害者として見つけることはほとんど不可能です。
職業選択の幅を狭められてしまうほどの眼の障害や病気を持った方々のうち、
B2クラスは、微かに或いはぼんやりながらもものが見える方々です。
このクラスでは、大会などでは大勢の中走り抜けるのは大変危険ですし、
スピードも速くなりますので必ず伴走をつけて走りますが、日常の練習や長距離の走り込みなどで、
ゆっくりと走るのであれば道路の白線を頼りに一人でも何とか走れたりする方々です。
やはり圧倒的に苦労されているのは、B1クラスの全盲の方々です。
例えば光を感知する事が出来れば今が昼なのか夜なのか人に聞かなくてもだいたい判断できますが、
その光さえも全く感知できない人も大勢いらっしゃるのです。
それらの方々は自分が垂直に立つことも難しいかもしれません。
彼らにとって光さえも大変に重要な情報なのです。
その彼らがスピードを出して走ろうとしているわけです。
私達ランナーは少しでも速くなるように良いと思われる情報を見つけては、
試してみてその成果を期待しますが、
それは、ランニングフォームについても同じ事が言えるでしょう。
考えても見てください。
その理想的なランニングフォームを身につけようにも全盲の彼らは自分のフォームさえ一度も見たことがないのです。
理想的ランニングフォームを身につけようとする時いかに困難が待ち受けているか御理解いただけるでしょう。
ランニングフォームの映像を見たこともないので頭に描くこともできない、
従って基準とするものがないから比較することが出来ない。
実際に手取足取りで、一緒になってフォームの一齣を取り出して動かしてみると、
それはその時にうまく理解してもらうことが出来るときもありますが、
その動きが連続運動の中で理解してもらうようにするともうだめです。
本当に難しい事です。盲人の方にも苛立ちがきます。
ランニングフォームは連続された動きの中でこそ身につくものであり、
身についている筋肉群によってフォームはある程度確定はしてしまいますが、
同じ事を来る日も来る日もくり返し反復し、
そして頭でイメージして少しずつ改良していくものでしょう。
それが出来るのも常に頭の中に理想的ランニングフォームが映像としてあればこそという意外な発見を私たちはするでしょう。
このランニングフォームにとどまらす、
日常のランニングをするための安全な場所探しから始まり
(二人並んで走るため交通量の多い道路は大変リスクが大きいのです)、
その練習をするために欠かせない伴走者を探して依頼し、
そしてその時間の確保。
少ない練習時間の中で少しでも成果が上がるようメニューを考え期待すること。
会参加であれば会場まで行ったこともないところへ電車などを乗り継ぎ大変な時間をかけて移動すること。
そして着替えやトイレといった事も実際その動きをこの目で見るといかに困難が伴い、
悲しいほどに時間を要するか。
マラソン大会の象徴でもある一本のスタートライン。
そこに至り立つまでの盲人ランナー達の苦難と努力のほんの一部を紹介させていただきました。
どうぞマラソン大会に参加して盲人ランナーとすれ違うときには、
今まで以上に惜しみなく賞賛の声を掛けてやってください。
彼ら、彼女らこそランナーという枠を越えて人生の真の勇者であり勝者なのですから。
アトミクラブ練習会がなければ生きてゆけない中澤修平より
【追記】
マラソン大会の会場に盲人の方が盲導犬と共に参加しているのを見かけることがあります。
そんなときはぜひワンちゃんの目をのぞき込んでみてください。
おだやかで、温和なその瞳にあなたもきっと感動しますよ。
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