アトミクラブ
最終ランナーという名誉!
高木(旧姓能登)晴美さん

 前日、「お腹に赤ちゃんがいることを忘れずに、無理せず、頑張ってテレビに映ってね。 水分をいっぱい摂るように。水じゃなくてスポーツドリンクね。」と主治医のお墨付き。
 完走する気もないのに、あの緊張感は、なんなんでしょうね? 「フルマラソン走るわけじゃないから、食事は普通でいいや。」と、普通の朝食を摂って出かけましたが、 急に心配になって、コンビニで、おにぎりやら大福やらゼリードリンク買い込んで、競技場のロッカーで、 「せっかく買ったんだから、食べなきゃ!あ、そういえば、 12時スタートだから10時半までに食べないと、消化しなくてヤバイんだっけ・・・。 アップはしなくていいんだから、ユニフォームも着て来ちゃったし、 あとは、何をするんだっけ???」東京国際女子マラソン、 1994年から足掛け15年、大地がお腹にいる時一回休んだだけで、 ずっと出ているのに、すっかり舞い上がっちゃって、 ソワソワ落ち着きがなく、自分で何を言ってるんだか、 何をやってるんだかさっぱりわからなくなっちゃいました。 何回出ていても、スタート前は、いつも緊張します。
 トラックに出るといつもより少し多いスタンドのお客さんと、いつもの5倍近いフィールドの選手たち。 スタートラインに並ぶと、いつもは、テレビに映ろうと必死にランプのついているカメラを探すのですが、 今回は、後方スタートだし、なぜだかテレビカメラのことは、すっかり忘れていて、 スターターが誰なのかを確認することができました。 金髪の年配の女性で「ああ、たぶん第一回に優勝した方だなー。」と漠然と思いました。 あとで、家でテレビ観戦していた夫から「スターター誰だったか知ってる?」と聞かれ、 「知ってるよ。第一回目の優勝者でしょ!」偶然確認しただけなのに、 レース後、夫からこんな質問をされるなんて、びっくり。
 なるべく、短い距離しか走らないようにしようと思って、 インコースをちんたら走っているつもりだったのに、 1キロの通過が4分50秒で、競技場出る頃には、息切れしてしまいました。疲れた〜。
 すでに妊娠6ヶ月ですので、膀胱が圧迫され、ちょっと動くとすぐトイレに行きたくなる体。 トイレに寄っている間に、すぐ関門になって、一番乗りで競技場に戻るつもりだったのに、 競技場を出て、「トイレの青い旗はどこかな〜」と気にしながら走っているうちに、 選手はまばらになり・・・選手が途切れても、沿道には8分後スタートの選手たちを待つお客さんがたくさん! なんだか、 トイレに行きずらくなり、尿意を持ったまま「早く8分後スタートの選手たち来ないかな〜。」
 水道橋あたりでボチボチ後発選手に追いつかれました。 トップ選手のスピードの速いこと!!!驚きました。
 沿道からも「あれ?のとちゃんどうしたの?」とか「のとちゃん、無理しないで!」 「産まれちゃうよ!!!」「どこまで走るの!」と声がかかりましたが、 後方から追い抜いていく選手たちからも「晴美!無理すんなよ。」とか、 「最後なんだから、ゴールしようね。」とか声をかけていただきました。 「はるみちゃーん!久しぶりぃ〜」レース中に懐かしい再会もありました。 次から次へと声をかけていただき、気がまぎれて、結局、増上寺のところで最初で最後のトイレに行きました。 コースから離れる瞬間にも「はるみちゃーん!」と先輩ランナーから声がかかり、トイレにいくタイミングも難しいなぁ。 用を済ませてしばらく調子良く走れるのですが、動いている限り、尿意はほぼずっとついてまわります。 トイレの青い旗をチェックしながら走り続けましたが、 三田・田町と人がたくさん出ているところを通過し、 だんだん欲が出て、品川まで行きたい、八山橋まで行きたい、 そうこうしているうちに20キロ地点に近づき、尿意よりも走りたい欲のほうが勝ってきて、 「(関門)あと30秒」と言われ20キロ関門をすり抜け、ハーフまで走りたい!
 そして・・・わーい!お腹の子と一緒に、最後の東京国際女子マラソンを、ハーフまで走れた!嬉しいなー。 あとは、どうぞいつでもバスに乗せてください。・・・「240番、最終ランナー」あわわ。 右横にぴったり審判車。 後方には、見てないけど恐らく、収容バスとパトカーとその後ろには・・・・22キロを過ぎ、 23キロを過ぎ、いったいどこまで走らせてくれるんだろう? 25キロまで行けたらそれはそれで嬉しいけど、無理に速く走る事はできないし、 どこも悪くないのに自分から辞めますとは言いたくないし、 私のうしろにいるであろう大量の一般車輌を思うと、ぷぷぷプレッシャー!!!
 24キロを過ぎたところで審判車から『タイムオーバー』と書かれたカードを出され、ホッ。 めでたくバスに乗せてもらうことができました。 いつものとおり時計をしていないので、いったい何分走らせてもらえたのかわかりませんでしたが、 あとで考えたら、25キロの規制解除が2時23分となっていたので、おそらく、 止められた時が2時23分だったのではないかと思います。24キロ2時間13分でリタイアです。
 「お待たせしましたー。」とバスに乗り込むと、 すでに8人ほどのランナーが乗っていました。 具合悪そうに、じっと座っている人もいれば、 元気な人は私の後任(!?)の最終ランナーを「あの人がんばるわぁ。どこまで行くんやろ。 あんたのことも、こうやって応援しとったんよ。」
 なんと!そうか。最終ランナーって、最後にゴールした人だけじゃなくて、 こうやって聖火リレーのように受け継がれているんだ。 最後の東京国際女子マラソンのハーフから24キロまでの約3キロの最終ランナーは、 私と私のお腹の子(たぶん女の子)だったんだ!なんだか、感慨深いなー。
 バスでは窓際に座っていたので、応援に出てくれていた友人に窓から無事バスに乗ったことを伝えたり、 撤収作業に入っている給水や沿道整備の方々に手を振ったり、 しばらくの間、最初で最後の収容バスでの東京観光をゆったり楽しんでいました。
 ところが、飯田橋あたりまできたところで、 ふと前方を見るとものすごい渋滞に巻き込まれていることに気づき、 えー!これじゃあ、ほんとに具合悪くて乗ってる人大変じゃーん!そうか。 収容バスは、救護バスではないのですね。 バスに乗ったら、早く競技場へ帰れると思ったら大間違い!最終ランナーの後方からゆっくり進み、 本来であれば、規制解除直前に競技場へ直行する予定だったようなのですが、 何かの手違いで、途中で一般車輌に紛れてしまい・・・更に、やっと神宮の森が見え信濃町駅前まできて、 おおお!もうすぐだ!と思ったら、なんとそこから約1時間!外堀通りでは、 あんなに楽しかった収容バス観光も、 こうなると収容バスに乗っても、 マラソンは過酷ね(涙)じっとしていれば襲って来ない尿意もバスに2時間半缶詰ともなるとだんだん溜まってきて・・・。 私は、このバスでは最後から2番目に乗り込んだので、2時間半ですんでいますが、 もっと前から乗っている人は、ゆうに3時間を越え、そのうちの1時間半は、渋滞という過酷な状況。 家族との連絡も取れず、競技場についたのは、午後4時半。 すでに暗くなって、なんだか悲しい感じでした。 はぁ。信濃町駅前で下ろして欲しかった。
 やっと夫に連絡をとり急いで家に帰り、 ひと風呂浴びて、夫と大地を連れて東京国際女子マラソン最後のさよならパーティーへGO! 会場で大地は裸足で走り回り、夫は「ねぇ、何か飲み物と食べ物とってきて。」 友人からは「パーティーでは、ゆっくり座って、おいしいもの食べて、 お腹の赤ちゃんにたっぷり酸素と栄養を与えてあげてね。」と言われていたのに、 ちっとも休まる暇がない(泣)
 翌日寝不足と筋肉痛で出勤。 でも、お腹のベビーは元気元気!!!今日もクルクルお腹の中で動いて、時々ポコッと蹴飛ばします。
 余談ですが、マラソン2日後、朝、少し家を出るのが遅くなってしまい、 大地を背負って、会社の荷物と保育園の荷物を持って、バスと一緒に走るハメに! マラソン前日の受付の時も大地を背負ってあちこち動いて疲れましたが、マラソンよりも、 日常生活のほうが、よっぽど妊婦にとって過酷だわぁ〜(笑)


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