アトミクラブ
信じるからこそ頑張れる 向井孝明さん

 自己ベスト(2時間17分49秒)を出した、3/2の琵琶湖マラソンを終えて、1ヶ月以上が過ぎました。 3月中は休養期間として過ごしていましたが、4月に入ってからは、母校の練習に参加しながら、 トラックレースを通して、スピードを磨くこ とに励んでいます。
 実は、今回の琵琶湖マラソンでの結果に、実業団選手としての待遇が続くか否かが賭かっていました。 市民ランナー時代の2004年10月、北京で2時間19分11秒を出し、2005年1月に実業団選手となって以来、 常に目標を2時間15分としてきました。しかし、北京での記録すら更新出来ない状況が続き、そのままの待遇を受け続けるだけの結果を残せずにいました。
 過去を振り返ってみると、試行錯誤の3年間でした。 入社時は北京後の足首の故障から明けたばかりで、その9月のベルリンで2時間20分まで力を取り戻したものの、 年末に今度は膝回りを故障しました。
 その故障が再発を繰り返し、2006年の9月までは、継続した練習がつめない状況でした。 学生時代は故障知らずでしたが、今の待遇を得て本格的にマラソントレーニングを初めてからは故障の連続。 「もう治らないのでは?」と不安に思ったことが何度もありましたが、 何気なく通ったスポーツ外科で「歩き方が悪い」と指摘を受け、 リハビリや筋力トレーニングを行うことで、故障が再発しない体を作ることができました。 また、インソールを作るなどして、フォームの改善に努めました。
 そうして望んだ2007年2月の東京では、「確実にベストを出せる」と思えるだけの練習を積み、意気込んでいました。 しかし、極度に寒い天候で、15km過ぎで給水を取った拍子に足が硬直してしまい、ずるずるとペースダウンし、 結果は2時間23分。
 その結果に納得のいかない気持ちから出場した4月の長野は、 練習過程で体調不良を起こしたことが原因で2時間27分。
 過去最高の走り込みをこなした上で望んだ9月のベルリンにいたっては、調整の失敗が原因で、過去最低の結果でした。 ただ、「ベルリンでは失敗したが、それまでに練習が積めていたのだから、走れる体はできているはず。」という思いで、 間をおかず出場した10月の韓国・慶州で、2時間21分を出すことが出来た時に、自信を取り戻すことができました。
 「過去20回以上のフルマラソン完走により、自分には絶対的なスタミナが備わっている」と信じ、 約3ヶ月のマラソントレーニング期間において、それまでの走り込み重視の練習パターンに、 ペース走やインターバルをより多く取り入れるようにしました。
 そうして望んだ琵琶湖マラソン、目標の2時間15分には届きませんでしたが、 実業団選手として初の自己ベストを出すことができ、ありがたくも選手契約一年延長となりました。 そうして今、ようやく自分なりのマラソントレーニング理論が確立できたと感じています。
 翌年また契約を更新するには、2時間15分を切る必要があります。 まずは秋に韓国で、次に来年3月の琵琶湖で記録達成を目指します。 もちろん更に上の記録をも、目指す意気込みでいます。
 一度成功したからといって、今後も同じ方法で結果が出るとは限らないのがマラソンの難しさ。 でも、大きな目標を持って、出来ると信じてこそ、走り続ける価値があると感じています。 ここまできたら、2012年まで実業団選手でいられるよう、とことんやってみます! なぜ2012年なのかはご想像にお任せします。
自分の可能性に期待して。


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