アトミクラブ
坂田流はちゃめちゃランニング日誌
「奥むさし駅伝篇」+「荒川マラソン篇」
坂田浩之さん

@「ドキドキの奥むさし駅伝」

2005.1.24
 今週末は、飯能市の奥むさし駅伝に出場させてもらう。 チーム名は「ATMシルバーズ」(参加者はアトミクラブの方々)、区間は第3区。 その案内をもらったが、参加チームのレベルがめっちゃ高い。実業団に大学に高校生、「こんなのに混じって走るのか〜!」って感じだ。こ の駅伝の内容を全然知らなかったので、白岡練習会で事務局の関田さんに聞いてみた。
「奥むさしって言うくらいだから、やっぱ山間コースなんですか?アップダウンとか多いんでしょうか?」 「何区走るの?」「あ、3区です。」「3区ね。上りだよ。最後まで上りっぱなし。 だからアップダウンじゃなくてアップアップね(笑)」 「へぇ〜、そうなんですか〜(苦笑)」とりあえずその場は笑ってとりつくろったけど・・・ど〜しよう!!! 何をかくそう、わたしは上りが大キライなのである。 (好きな人は少ないだろうけど)とにかく苦手だ。全然前に進まない。いつも上り坂は抜かれっぱなし。 いまさら「区間変更してください」とも言えないし、時間は少ないけど、とにかく何とかしなくっちゃ。

1.26 「奥むさしのために〜その1〜」
 奥むさし駅伝のために秘密?特訓を始めた。まずは、坂道を探し回った。 しかしいざ坂道となると、なんて越谷は平坦な土地なんだろう。 ほとんど坂がない。車でぐるぐる回っても、全然見あたらない。あきらめかけたときに、あった、あった。 近くの大学に、バリアフリーのため、3階まで上る坂があった。 長さおよそ100m。それで、まずは平坦な道を5km全力で走って、 疲れたところでこの坂を5往復することに した。(それしか思い浮かばなかった。)今日で3日目、う〜ん、 確かにキツイけど、一旦100mのぼりきった後下る時に休めるので、 イマイチ負荷が足りない。 でも残り数日しかないし、続けるしかないっか。

1.28 「奥むさしのために〜その2〜」
 刀水アスリート倶楽部の福地義一さんに、駅伝上り区間の走り方について教えてもらった。
上り区間の心構え
・前半ゆっくりと入ること 上りはキレてしまったら終わり。
キレたら、落ちるところまで落ちてしまう。ラスト500m(できれば1000m)の爆発的な力を残すような感じで。
・冷静になる スタート直後に後続に抜かれても無理をしない。ゴールに先に着いた方が勝ち。いずれ追い抜いてやるくらいの余裕をもつ。
上りの走り方
・ピッチを効かせる いくらストライドを伸ばそうとしても前に進まない。ピッチを効かせて、リズムよく。
・接地 つま先だけで接地せず、足の裏全体を使ってしっかりと接地する。
・姿勢 やや前傾姿勢。
・呼吸 最初からしっかりと呼吸する。疲れてから呼吸を荒くするのではなく、スタートからしっかりとリズムを作っておく。
その他
・酢を飲む レース2時間前に飲むのが最も効果的。血液がサラサラに。
・腕振り 駅伝のタスキをもらう直前、アップ方法として腕振りが効果的。いよいよランナーがくるという場合、中継所を離れてアップする訳にはいかない。そこで、30秒程度、思いっきり腕振りをして身体と心肺に刺激を入れる。
以上、私の質問に快くご返答してもらった。 な〜んか、聞いているだけで速く走れそうな気になってきた。

1.29 「奥むさしのために〜その3〜」
 いよいよ「奥むさしのために」の完結編である。 最後は『敵を知り己を知れば百戦あやうからず』(孫子の兵法)のごとく、敵を知るためにコースの下見に行って来た。
 土曜日午前4時40分起床、5時に自宅を出発。現地飯能市まではざっと50km。ちょっと遠いが、 最近週末になるとマラソン関係で忙しくて、全然車の運転をしていなかったので、車に乗りたいということもあった。
 車内で聴いたCDはクイーン。 Don't Stop Me Nowがお気に入り。クイーンとの出会いは、大学生時代、約15年前。 当時AIDSが大流行し、そのAIDSでボーカルのフレディ・マーキュリーが死んだ。 それで興味本位で聴いてみたのだが、そのフレディの声にかなりの衝撃を受けた。
 国道16号線をひたすら西へ。越谷市から岩槻市→さいたま市→ちょっとだけ上尾市→また、さいたま市→川越市→狭山市→ちょっとだけ入 間市→そしてやっと飯能市。川越市で渋滞し、所要時間約1時間30分だった。
 現地に着いたが、まぁ普通の地方都市って感じ。 前日なのにまだ中継所や距離表示の準備はされておらず、どこがコースかは正確に判別できない。 しょうがなく自動車の距離メーターを頼りにコースをたどっていく。思っていた以上にタフなコース。平坦な道はほとんどなく、上っ ているか下っているかのどちらかだ。1区からアップダウンの連続。 こりゃ大変だ。
 で、私が走る3区(5080m)だが、とにかくただひたすらに上る。 最初はゆるやかな上りだが、後半に行くに連れ傾斜がキツくなる。 そしてラスト1kmにわたっては、このコース最大斜度を一気に駆け上ることになる。 前半にパワーを使ってしまったら、最後はとんでもないことになる。 「最初から飛ばして、後はなるようになれ」 系の私としては、下見しといてホントよかった。それから、寒い。車の気温計で、スタート地点は0℃、それから山道に行くに連れ気温は下 がり−2℃になった。防寒も充分しとかないといけない。

1.30 当日完走記
 朝起きると、台風のようなものすごい風が吹いていた。 TVの天気予報では、北西からの強い風。3区はモロ逆風だ・・・。
 早目に自宅を出て、西武所沢駅で途中下車。 前日、昨年走った中井康広さんに聞いたところ、中継所にはトイレがないとのこと。 昨年の渡良瀬マラソンで苦い経験をしたので、念には念を入れて用を足すためだ。 しか〜し、ホームを降りたところ、どこを探してもトイレが見つからない!どうしよう!あせるばかりで、 時間だけが過ぎていく。やっと駅員を見つけ、 トイレの場所を聞いた。「トイレはですね。この階段を上がって、ホームを2つまたいで、突き当りまで言って、 階段を川越方面に降りて・・・」「あの〜、要するにこっから遠いってことですかね?」「ん?まぁ、そうですね」「・・・。」
 次の電車に間に合いそうになかったので、トイレはあきらめた。 しょうーがない、恥をしのんで民家に借りよう、と腹をくくった。
 現地のアトミクラブの集合場所に行って、当日のメンバー変更表をもらった。 私のチーム2区は山川さんという方に変更になっていた。 山川さんにあいさつをし、「あの〜、ゆっくり走って下さいね。 あんまり速く来ると、タスキもらった後、私が抜かれるばっかりになっちゃいますから」と冗談を言うと「そうですね、じゃ、ゆっくり来ますね」と山川さん。 とても感じのいい人だった。
 ちなみに、アトミクラブからは6チームが参加。うち2チームは上位入賞を狙う。 もちろん私は、その他の4チームのうちの1つ。 西武飯能駅から秩父線で、吾野駅へ。お寺の境内が選手控え所になっていた。 ずーっと気になっていたトイレは、簡易トイレが4つ用意してあった。よかった、ひとまず安心した。
 着替えたりアップしたりして、あっと言う間に1時間が過ぎ、トップが中継所に入ってきた。 続々と、入って来るゼッケン番号がコールされていくが、私は余裕しゃくしゃくに構えていた。 2区を代役で走る人なんで、そんなに速い人じゃないだろーな、と勝手に思いこんでいた。 くつヒモを結び直してなんかしていると、いきなり「148番」のコール。 えっ!もう来たの?まだアトミの2チームが出たばっかりじゃん! あわてて中継所に並ぶと、すぐにYさんからタスキをもらった。緊張もする間もなかった。
 タスキを身につけ、まずは冷静になれと言い聞かせ、作戦通り前半は抑えてゆっくりと。 最初っから上り坂が続き、「やや前傾、しっかりと足の裏で接地し、呼吸をしっかり」と福地さんにおしえてもらったことに気をつけた。
 1kmほど行ったところで2人に抜かれたが、とても私がついていけるペースではなかった。これはしょーがない。 その後、2人追い抜いた。 その後、沿道のおばちゃんから「148ば〜ん、がんばれ〜!」と声援をもらう。 「ありがとうございま〜す。元気がでました〜」 前半かなり抑えているので、いつもと違って余裕があり、大きな声で返事した。 「おっ!兄ちゃん、ノリがいいね〜。ATMシルバーズの148番、ホントにがんばれよ〜」と、また声をかけてもらった。
 中間点のところで、タイムを見ると、10分20秒。ゲゲっ!キロ4分ペース・・・、遅すぎる。 ここからのこり2.6km、とにかくペースを上げることに。 しかし、さらに傾斜はさらにキツくなる上に、向かい風も強くなってきた。 なかなかペースが上がらない。 そんな中でも2人抜いた。
 歯を食いしばって上って行くと、大勢の人影が見えてきた。中継所だ!もうすぐだ!ラストスパートに入った。 そしてタスキをはずそうと手をかけた瞬間、左手に看板が見えた。 ん?なになに?残り1kmの文字が!えっ!残り1kmって中継所は目の前じゃん、何でやねん。
 要は、中継所の横を通り過ぎ、さらに上って、折り返してきてタスキを渡さねばならなかった。 一度ラストスパートしたのに、さらに逆風の上りが続くなんて・・・、おあずけをくった犬のような気分。 しかも、左にコースが曲がっており、行けども行けども、もなかなか折り返しが見えてこない。 やっとのことで折り返すと、こっからは中継所までは下り坂。 ところが、5km近くひたすら上ってきたので、下りがものすごく急に感じる。 全力疾走すると前のめりに倒れてしまいそうな感じ。錯覚とはおそろしいものだ。 よし、じゃ目をつぶって走ればいいんだと思いついた。しかし、目をつぶったほうがもっと恐かった。 そんな感じで最後までスピードにのれずタスキ渡しとなった。

付録
 中継所からは、電車でまたゴール地点に戻る。その車窓から走っている選手が見える。とても風情があった。 同じ3区を走ったアトミの人から「君らのチーム速かったねぇ。 2区は誰が走ったの?」と聞かれた。 「山川さんという人ですけど」と答えると「え〜っ!山川さん!なるほどね〜」「山川さんってそんなに速いんですか?」 「速いよ〜、だって、フルマラソンを2時間10分台で走るんだから。 ついこの間までアトミのフルマラソンの記録ホルダーだったんだよ」と梨本さんが言った。 「へぇ〜、だからですね。山川さんはゴボウ抜きしてきたんですね。」 「うん、山川さんもスゴいけど、アトミクラブにいて山川さんを知らないアナタもある意味スゴいよ」と付き添いの若松さんにグッサリ。 あちゃ〜!アトミでは、ほとんどの人が私より速い。 みんなスゴい人ばかりなんで、そういうことにはとても疎かった…。とほほ…。

結果 個人 3区 5080m 20分20秒 55位 /ATMシルバーズ 6区間 39.583km 2時間26分13秒44位

「強い向かい風」と「上り坂」と言うキビシイ条件。 1km4分ペースになってしまったが、上りが「ド下手」&「チョー苦手」な私としてはまずまずの結果と思い込むことにしようっと。 そうです。忘れていました。同じくタフなこの3区を必死になって走破したメンバーを紹介します。 アトミクラブ=中里綾介さん、織田Fクラブ=飯村聡さん、代々木公園RC=梨本忠三さん、原宿走友会=高橋博之さん、 代々木ベテランズ=渡村恵子さん。お互い強風ときつい上りをごくろうさまでした。同士として敬愛しております。


ちょっと休息!


A「荒川マラソンに乾杯!」

<プロローグ>

2月18日
 ついにホームページで「禁酒」を公言した。 荒川市民マラソンで自己ベストを狙うためにである。 これまでの私は、大会に毎週のように出場、ひとつのレースにしぼるなんてことはしなかった。 大会自体が練習と思っていたし、何よりひとりで計画して練習ができなかったのである。
 しかし、アトミクラブなどでいろんな方々とお知り合いになるうちに、少しずつ考え方が変わってきた。 やはりサブスリーとなれば、みなさんキチンと練習しているのである。 荒川マラソンまでの約1ヵ月半計画練習をして、モチベーションを保つために禁酒することにした。 言ってしまえば、もうやるしかないが、しかも大会までまだ1ヶ月以上もある…。
 4年前の禁煙の苦労に比べれば、大したことはないと思っていたが、実際はそう簡単でもなかった。 別に毎日晩酌するような酒飲みではないが、『飲めない』となると逆に『飲みたくなる』のが人間心理である。 特に『腫れ物にさわらずにいられない』性格の私にとっては尚更だ。そのうち夢にまで出てきそう。
 今回の禁酒で自分の弱さに打ち勝つために、わざわざビールを買ってきて冷蔵庫に冷やしている。 「目の前にあるものに手を出さない、我慢する」ためだ。 もともとのきっかけは、知り合いが禁酒して見事サブスリーを達成したこと。それにあやかってである。 いわゆる二番煎じ(笑)。とにかく、荒川のゴールにビールが待っていると思って、『ニンジンぶらさげられた馬』のように走ろう。 そしてゴールしたら腹一杯飲んでやる。でも、自己ベスト出なかったら、延長かな(笑)

2月20日
 『禁酒』の公言は意外に反響が大きかった。 「禁酒したんだって〜、がんばってね」「おっ、今日飲みにいこうかっ?(笑)」「お酒やめたら、アルコールで消毒されないから、病気するよ〜(笑)」などと、いろいろと声をかけられた。 ここまで広まったらいよいよ最後までやるしかないな。
 夕食時、妻が言った。「今日はノドがかわいたな〜、あれっ!こんなところにビールが!これ飲んでもいい?」 普段はほとんど飲まないくせにわざとらしい、 と思いつつ「いいよ、飲めば。オレは飲まないけどね」「あ!そうか〜。禁酒してたんだね~。いいじゃん飲めば。 ど〜せ誰にもわかんないわよ(笑)」「ちくしょ〜、知っているくせに〜」。 この悪魔のささやきにも耐えた。結局、妻は半分も飲まず。おそらく私を試していたのだろう。 よかった、誘惑に負けなくて(汗)。

2月24日
 荒川マラソンに向けて、昔に買った「ランナーズ」を読み返した。 (すみません、最近はあまり買っていません)あらためて読んでみると、 いろいろと「いいこと」「カン違いしやすいこと」が書いてあった。
●走り込みの目的
「走り込み」とは、月間走行距離を伸ばすことだと考えられがち。 結果としてそうなることが多いとしても、本当に重要なのは、グリコーゲンが枯渇するような長い距離のトレーニングを行うこと。 グリコーゲンが枯渇に向うと、血糖値がやや低下した状態になるが、その状態でさらに走り続けることを重視する。 こうしたトレーニングを月に1回だとしたら、それを4〜5回に増やすのが「走り込み」である。  特にマラソンの前には、距離への不安をなくすためにも、筋持久力を高めるためにも、 血糖値の低下した状態を体験しておくためにも、一度に長い距離を走り込む経験を積んでおく必要がある。
●マラソンシューズ
くつひもの結び方は重要。 一番最後の穴には通していない人が多いが、そうすると足首の位置が動いてしまい、 衝撃の吸収などシューズの持つ特性が発揮できない。 少しきつめでも、最後まで結んでしっかり締めると、脚とシューズが密着して、スムーズな蹴り出しが出きるようになる。
●レース当日の過ごし方
朝食・・・ごはん、おにぎり、もち、うどん、バナナ、カステラといった炭水化物中心の食事がおすすめ。 逆に肉、牛乳、サラダ、根菜類、フライなど、消化に良くないもの、お腹にもたれるものは避ける。 食事の時間は、ゴール予定時間の6時間前にとるとよいと言われている。
 ということで、荒川のスタートはAM9:00。ゲンを担ぐため、早起きしてAM5:59に朝食を食べることにした。

<大会までの激動の10日間>

3月11日(水)
 朝起きると、めちゃくちゃ目がかゆかった。花粉症を発症したらしい。 花粉症なんてオレみたいな田舎もんがなるはずがない、花粉症の人はかわいそうだな〜、なんて思っていたのに、まさかであった。ツライ・・・。

3月15日(火)
 帰宅すると、娘が寝込んでいた。イヤな予感…。 40度の高熱が出たので医者に連れて行ったら、インフルエンザにかかったとのこと。 医者いわく、潜伏期間が2〜3日あるので、家族にうつるのは木曜あたりがヤマだとか。 それ以来、家の中にいる時でもマスクをし、1時間起きにうがいをした。 「もう、遅いんじゃないの〜」との妻の言葉がつらかった・・・。

3月16日(水)
 妻が「寒気がするわ〜」と言った。どうやら、妻にうつったらしい。これでヤマ場が3日延びてしまった。 「頼むからオレにはこないで〜」と祈った。うがいを何度もした。

3月17日(木)
朝起きると、ノドが焼けていた…。来るべきものが来たと観念した。 昼間のうちにどんどん悪くなっていった。 夕方、医者に行った。「週末マラソンね〜、医者としてはいいとは言えないねぇ。 まぁ、特効薬を出来たから、これ飲んで休息すれば、2日ほどすると薬が効いてくるから。 あとは自分で判断しなさい」とにかく、この【タミフル】という薬が最後の頼りだった。

3月18日(金)
 仕事を休みたかったが、休んだその週末にマラソン大会に出たことが会社に知れると、とんでもないことになる。 仕方なく出社したが、それでさらに体調は悪化した。熱が上がり、鼻水ジュルジュル、のどは焼き焼き状態。 出場断念を半分覚悟した。

3月19日(土)
 一日中、寝ていた。夕方になると少し楽になってきた。薬が効き始めたらしい。 祈る気持ちで夜の床に着いた。

以下は、ホームページに書いたコメント
「いよいよ明日」
荒川市民マラソンは、いよいよ明日となりました。今回、1ヶ月半にわたりレース準備をしたのは初めてだったし、 ホームページでこれほどネタを引っ張ったのも初めてでした。 花粉症にかかり、そして3日前にインフルエンザになるなんて夢にも思いませんでしたが、 自分自身とても楽しめました。 いい加減ウンザリされた方もいたかと思いますが、最後までお読みくださった方々に、感謝いたします。  で、本番の明日ですが、正直どうなるか想像がつきません。明日の朝起きて体調次第の出たとこ勝負です。 ですから、現在のところの目標は、荒川のスタートゲートに立つことだけです。 それが現状の自己ベストであって、それ以降はすべて「おまけ」みたいなもんです。 だから、4時間かかろうが、歩こうが、途中棄権しようが、悲観しないことに決めました。 明日は絶好のマラソン日和です。出場されるみなさん、GOOD LUCK!

<完走記(大会当日)>
朝起きると、だいぶ良くなっていた。ノドの痛みと鼻水はあるが、熱は下がった。 何とか走れそう。ただし、ひとつだけ大きなハードルがあった。健康セルフチェックシートである。 これは提出する訳にいかない。出すと出場を拒否されるかも。受付時に、参加通知書だけを渡すと、 おばさんがギロっとにらんだ。「チェックシートは?」ドキっとした。「あ、す、すみません。忘れました(汗)。」と笑ってごまかすと「あ、そう。」 と、そっけない返事で、ゼッケンを渡してくれた。よかった〜♪
 「さぁ、いざ出陣」とスタートゲートに行くと、しまった手袋を忘れていた。 急いでダッシュし、とって来るともうスタート3分前。 とりあえずこのスタートゲートに立つのが目標だったので、レースの作戦を考えていなかった。 さて、どうしよう?まぁ、この体調でサブスリーなんざ、まず無理だろう。 最初のオーバーペースだけは絶対避けよう。目標はあくまで完走。 スタート後の5kmは何分かかってもいいから、超スローペースで入って、 5kmがスタートと思って、37kmのレースをしようと決めた。
 競馬GTのファンファーレがなり、そしてスタート。陸連登録なので、スタートロスは、わずか20秒ほどだった。 後方スタートと違って、混雑も少ない。ETCと同じで、陸連スタートは一度やったら止められない。
 スタート後は、続々と後ろから抜かれたが「今はアップだ」と言い聞かせ、腕時計は5kmまで見ないことにした。 そしてやっと5km。タイムを見ると、えっ!21分台!!!何でこんなに早いの!1km5分ペースで走ったつもりだった。 そうか!全然練習してなかったから、足が軽いのか!でもこのままいけば、サブスリーも夢じゃない。 どうしよう???でも足が軽い分、後半のスタミナは落ちているはず。 中間点までは我慢してそれからだ、と心に決めた。そう思ったものの、足は軽いので、行きたくて、行きたくてたまらない。 中間点を過ぎればいくらでも飛ばしていいから、と何度も何度も自分に言い聞かせた。
 中間点は、きっちり1時間30分。これだけ我慢に我慢を重ねてこのタイムで折り返せた。 もしかしたらサブスリーいけるんじゃないの〜。
 マジでそう思ったが、そう甘くはなかった。折り返し後は、向かい風。なるほどねぇ、順風だからペースが楽だったのね。 とにかく前半飛ばさなくてよかった。
 25km以降は、予想した通り、急激に足が重くなった。もうここからは気力のみ。 ゴールして美味いビールを飲んでやるという思いのみで走った。
 ただ、37kmあたりで一瞬、スーっと意識が薄れた。おお、あぶない、あぶない。 やはりこの体調なだけに何が起こるかわからいと気を引きしめた。
 そして、ゴール。無意識のうちにとガッツポーズが出た。 3時間5分45秒。サブスリーには遠く及ばなかったが、自分の力はすべて出せた。 この体調で自己新、この記録は大満足だった。
 大会終了後、ホームページでお知り合いになった方と、赤羽で祝勝会。まだ会うのは2回目だったが、 昔からの友達のように楽しい時間を過ごさせてもらった。 気が付けば6時間近く飲んでいた。ホントに美味しい酒だった。 これは一生忘れないだろう。荒川マラソン、バンザイ!来年も必ず出ようっと。


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