アトミクラブ
アテネパラリンピックへの道2 中澤修平さん

高橋勇市さんの東京・荒川市民マラソン大会報告
報告 中澤修平さん

平成15年3月23日(日曜日)
第6回東京・荒川市民マラソンin ITABASHI
登記登録の部男子 ゼッケンNO,109 高橋 勇市 (アトミクラブ)
登記登録の部38位(総合50位) タイム 2時間40分13秒
伴走:中田崇志、永見真吉、中澤修平

 フルマラソンのエントリー数15,730人の規模を擁するビックな大会でした。 スタート時の危険防止に苦慮しながらも、ほとんど平坦なコースでもあり、早くから記録を狙う大会として、 彼は参加の表明を私達にしていました。
 気温は予想では15度でしたが、多少雲のある程度の晴天となって体感気温もそれ以上と感じるほど暑くなり、 そして荒川名物の強風も比較的弱くて胸をなで下ろしましたが北東の風といった印象ですが、 北に向かって走るときには一定の風圧を感ずるレベルにあり、侮れないと感じました。
 高橋さんが荒川マラソンに参加するに際しての目標は次の二点でした。

1.2時間30分台をマークして別府大分毎日マラソンのキップを手にする。

2.アテネパラリンピックの日本代表になった事を想定して、現地で伴走してくれるランナーの人選を既に始めており、その最有力候補のT・Nさんに初伴走をして頂き、腕の振りやフォームなどの互いの相性をチェックする。

以上2点が、今回の大きな目標でした。各項目簡単に説明をさせて頂きます。

1.2時間30分台をマークして別府大分毎日マラソンのキップを手にする。

 別府大分毎日マラソンといえば、市民ランナーにとっては憧れの大会です。 一定の努力と一定の能力・一定のノウハウが求められる厳しいハードルが立ちはだかっている大会でもあります。 その目標をクリアーする為に、3分45秒/km、18分45秒/5kmにレースペースを設定し、 高橋さんはもちろん伴走者も共に厳しい戦いに挑戦しました。
 往路はアテネで伴走して頂く予定のNさんが担当、初めて伴走するとはとても思えないロープさばきと、 かけ声で見事な伴走を披瀝し、予定通りのペースで進みました。 しかし、予想された通り復路は、他のランナーも同じですが風圧に押さえ込まれスピードに乗ることが出来ませんでした。
 そして、荒川市民マラソンを走ったことのある人ならお解りですが、河川敷の堤の上に上ったり下りたりを5回ほど繰り返します。 高低差は多くて12メートル程度ですが急に上りが始まったり、急に終了してしまいます。 この急激に勾配が変化する走路状況は、目の見えるランナーにとりましてはたいした問題ではありませんが、 視覚障害者ランナーにとっては最も苦手なパターンのひとつです。
 そんなコース状況が復路に集中していて5カ所ほどあります。 そして更に視覚障害者ランナーにとっては更に苦手なZ型に折れ下っていくコースが35kmすぎに一カ所あります。 これらのポイントで、ピッチの変化が間に合わずフォームを乱し、集中力を削ぐなどしてかなりのロスを発生させてしまいました。
 これらの要因により復路では設定タイムをクリアーできず、少しずつタイムは後退し、 あと14秒という僅差で別大のキップを逃してしまいました。 そして、更に私の伴走ミスにより高橋さんの目標達成を逃してしまった可能性があることをここで告白しなければなりません。
 フルマラソンで自己記録を狙っているランナーなら、 そして目標をギリギリクリアーしながら関門を走っているランナーにとりまして、 40km通過時のスプリットタイムは非常に重要な意味を持ちます。 通過時のスプリットタイムから残された時間は何分かが確定し、 残りの2キロをキロ何分で走れば目標は達成できるなどの判断が出来ます。
 それをあろう事か、私はあまり必要性のないラップタイムしか伝えず、 スプリットタイムを語るのをすっかり忘れてしまいました(^^;)。 もしもそれを伝えていたなら、目標達成に意欲を示していた高橋さんのことですから、 残り2キロをキロ当たり6秒ほどペースアップすればよいわけですから、そう難しい事ではなかったかもしれません。
 いつものインターバル走のタイムを考えれば決して不可能な数値ではないからです。 私は、かつてこのような大失態は無かったような気がします。 さらには、伴走を始めた頃ならこのような大失態を起こしてしまったなら、 間違いなく帰り道では首をうなだれて電車に乗り込んでいる自分が居るはずですが、 2時間40分以上も間、あの強い日差しに脳天を照らされて思考力が落ちていたからだなどと自分に対して言い訳をする始末です。
 帰り道では多少落胆はしたものの大きな精神的な落ち込みがなかったこと自体が、私としてはとても悲しい。 そして集中力というものは、伴走をするに際して二番目に重要な要素です。その点に関してもかつてのような、 針のように研ぎ澄まされた鋭さは消えていて、先端は錆びて欠け落ちているような状況です(^^;)。
 伴走は年を重ねるほど上手くなるという事は決してありません。 自分の走力の下降と共に、ゆるく走る視覚障害者ランナーの伴走にシフトしていくのが、 伴走者そして視覚障害者ランナー双方にとって幸せな事なのかもしれません。
「視覚障害者ランナーのトップレベルの選手の伴走に対しては確実に引退の時が近づいている」という言葉が、 初めて私の脳裏をかすめた大会として、私自身の心にも第6回荒川市民マラソンは長く記憶に残る事でしょう。

2.アテネパラリンピックの日本代表になった事を想定して、現地で伴走してくれるランナーの人選を既に始めており、 その最有力候補のT・Nさんに初伴走をして頂き、腕の振りやフォームなどの互いの相性をチェックする。

 前項でも書きましたように、伴走は年を重ねるほど上手くなると言う事はけっしてありません。 伴走ノウハウをたくさん持っている人ほど伴走が上手いと言う事もあり得ません。 人と人が一緒に走る伴走は、走力に余裕があるに超したことはありませんし、 伴走ノウハウを持たないよりは持っていた方が、理論的な裏付けのあるしっかりとした伴走が出来る事でしょう。
 しかしながら、繰り返しになってしまいますが、 伴走は人と人が一緒に走るが故に“相性が合う”という事もとても大切なことなのです。 互いの性格もさることながら、互いに走りやすいかどうかという問題です。 高橋さんのようにスピードランナーになればなる程、ロープを短く持てば持つ程、互いのわずかなフォームの動きのズレが、 42キロの走りの中で大きな負担となって来ます。 腕の振り具合、肘の高さ、互いのフォーム、ピッチなどなど個々に数え上げたならきりがありません。
 今回、高橋さんとT・Nさんは初めてロードで走ったわけですが、 二人ともずっと前から一緒に走っていたかのようにピタッと呼吸は合っていて、 レース後にはお互いが「たいへん走りやすかったです」とのメッセージを交わしていました。 別大のキップは逃してしまいましたが、高橋さんとT・Nさんの「馬が合う・相性が合う」と言うことを確認出来ただけでも、 今回の荒川マラソンに参加して余るほどの喜びを私達伴走者にもたらしてくれました。

 高橋さんの視野の先には、アテネでメダルを狙うレベルのランナーとの戦いが、 すでに強くイメージされて来ているようです。各地のマラソン大会で彼を見かけたり、 この伴走MLでの会話の中で、 そして彼のホームページなどの通して、どうぞ「頑張って」、「応援しているよ」とのお声掛けして下さいますようお願いいたします。
 皆様の応援の一声一声が、彼の走るピッチを速め、ストライドを伸ばし、タイムを短縮する大きな原動力となって、 広く私達ランナーを代表して世界を舞台に戦いを展開してくれる事でしょう。


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