アトミクラブ
「出たァ〜。日本新記録!!」 福岡豊則さん

鳩山町 福岡豊則さんより喜びの大会参加報告

 『手元の時計ですが 2分17秒台の記録がでた模様です。』とのアナウンス。 やったー!ヤッター!と2度、3度と繰り返すガッツポーズ。(でもやや控えめだったかな)  4時間前の1500mではゴール後、グランドを叩いて悔しがっていた自分が嘘の様。

 日本マスターズへの登録・大会出場は2001年5月の埼玉県マスターズ記録会。 栃木時代の職場の仲間がマスターズ陸上に出たよ。面白かったよ。 との声を聞き、そしてその仲間が来春に向けて一生懸命になつているのを知り、 「じゃー、こんな練習をしたら」とかいろいろと話をしている時、 「自分もやってみようかな!」の気持ちが芽生え、30数年前の記録と比較するのもいいかな。どの位で走れるかなと。

 50歳になってから走りを再開したが、のんびり走ろうと、大会出場なぞ考えていなかったが、栃木の職場の仲間そして陸上部との関わりを持つようになり、 いつの間にか競争の世界に入り込み、レースにも出るようになり「もう少し頑張れば勝てるな」と意識し始めたとたんにブレーキがはずれアクセル踏みぱなし。 朝夕の練習(単身赴任中で時間ありあり)。 そして 4レース目の氏家卯の花マラソンで50歳代5kmで優勝、この時ほど「走っていてよかったな」と感じたことはありません。 会社を離れ地元・宇都宮の遊び仲間(正しくは飲み仲間)達、20数名が急遽集まっての祝勝会。 自分が勝ったことでこんなに喜んでくれる人がいることに感激、感涙、その夜はどうなったのでしょうか。ひ・み・つ。

 2001年5月のマスターズ初レースは800mと5000mにエントリー。 トラックでの練習は無し、1週間前はハーフ(庄和大凧)に出場遊び遊びの感覚で、800m・2分18秒97・県新記録を、5000m・18分16秒20でした。

 『ウムー 800mの記録、コリャー60歳の日本記録に近いぞ!』出るぞ、出してやる。 『よし!それまで病気・怪我・故障しなければ出るぞ!』と目標設定。2002年10月だ!

 指導者時代(ホンダ栃木)は日本・世界を目指すようにと選手を叱咤激励、競技生活をと。 また自分自身が選手時代は田舎の二流三流であったが(もつと下かな)、 60歳なって日本のトップを目指せる幸せを感じながら、時には公言しつつ。でも練習はいつもロード。

 秋に目標大会があるのに7月には富士登山・山頂コースに出る。 あの7合目からの辛さ、そして下山時のこれまた辛さ。 それからはジョッグ・LSDの毎日、走れない・痛い・壊れそうで。 なんとか走れそうになってきた9月の秩父合宿でインターバル(500mX20)が出来たのでホッとしました。 でもまだ不安がいっぱい。そして9月末の越後湯沢コスモスマラソン・10kmレースに出場し走れるのを確認。 いよいよレースの前日、出るかな、出せるかな...と心配。友達のメールにも目標は『???記録』としか言えず。 (誰かな.....嘘だろうなんて)

 10月6日朝6時30分に栃木市運動公園に向けて出発。今日は助手席に女房がいた。 400m、800m、1500mの3種目にエントリー。 栃木の仲間たちも来ていた。まず9:30から1500mだ。いよいよ3組目5名のレース、スタートだ。 400m69秒のアナウンス、速すぎだ〜!と思っている内にペースダウン、 何とか必死にゴールするも目標タイムにほど遠く4分44秒56(大会新)、自分の情けさ・若さ!にグランドに崩れ落ち悔しくて悔しくて!!。 何とかその場を逃げださねばの心境。

 10:50からの400mは棄権、全く走る気力なく、ただただ仲間のレースを応援していただけ。 何とか気力を奮い立たせ13:30からの800mに向けて始動開始。 やるだけはやった。『絶対出す。』とスタートラインに着く、ピストルの合図とともにスタート、3歩目でもう先頭だ。 400m66秒で通過、ヨシッ予定通りだ。 あと400m70秒だ...ラスト50m、脚がもつれて右へ行ったり、左に行ったり、腰砕けになったり....後10mだ。 ...なんとかゴール出来た。

 惨めなレースだ。駄目かぁー....すると、2分17秒台の記録が出た模様のアナウンス。 公式発表が待ち遠しい。まだか、まだかとの思いながら待つ。やっと 2分18秒02・大会新記録のアナウンス。 『ヨッシャッ、やったー、日本新記録だ〜!!。』の声を聞き付け、記録を調べたらしく、 まもなくして『M60・800mで日本新記録が出ました』の再アナウンス。

 惨めな走り、目標にしていた記録よりも悪く、贅沢かもだが日本新記録を出したが何故かスッキリしない。 悔しさがいっぱいだ。でも、誰しもが出来ることではない事をやったんだから素直に喜ぼう。自分にオメデトウ。

 18:00からは栃木の仲間たちが60歳定年退職/卒業祝いをやって下さるということで宇都宮に移動、 そして日本新記録達成を報告させて頂きました。 一次会2次会とも大変な盛り上りは言うまでもありません。ホテルに無事帰りました。

 この日本新記録達成も多くの仲間たちの励ましがあって出来たことと思います。 アトミクラブの皆さん、80JCの皆さん、鳩山NT・RCの皆さん、栃木の仲間達、 そして私めと関わりのある多くの皆さんのおかげだと思います。有難うございました。

 この記録をステップとして更に上を目指して、若いエネルギーを貰いながら走りたいと思います。有難うございました。

2002/10/21   福岡 豊則

 事務局から一言
福爺こと福岡豊則さん 日本新記録達成! ほんとうにおめでとうございます。 我々年齢で後を追っている者にとって「老いるのは早すぎるよ」と叱咤激励のメッセージがこの日本新記録更新でした。 これで今年のアトミの忘年会の話題は独占ですね。 さらに記録更新の報をお待ちしております。 ああ これでまた小賀田さんや福爺の前では歳の話題が言えなくなった。とほほ・・(善)


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