昨年の10月のとある水曜日の夜、ボクが、いつものように、 渋谷のNHKの横にある織田フィールドでアトミクラブという走友会のメンバーと練習をしていると、 宇佐美先生がやってきた。 宇佐美先生は時間が許す限りアトミクラブの練習会に顔を出し、指導したりしてくれている。 練習が終わったあと、みんなの前で、先生は笑顔で「みなさん、ニュースがあります。 神宮外苑ロードレースが、東京シティロード゙レースとなって、生まれ変わります」と報告があった。 これまでの神宮外苑ロードレースは、12月の第二日曜日に、 霞ヶ丘にある国立競技場をスタートし、神宮外苑、2キロの周回コースを5周する10kmの大会であった。 この大会を発展させ、東京国際マラソンの最後の110kmである、 日比谷公園前をスタートし、国立競技場がゴールとなる。 開催日は5月19日で、5000人規模となる、という報告であった。 「みなさん、やっと、5000人が東京の都心を走ることができるのですよ」 と顔を赤らめて話す宇佐美先生に、みんなが拍手を送った。 まだ、ニューヨークシティマラソンのように、3万人がフルマラソンを走るような大会には遠いかもしれないが、まずは夢の第一歩だ。 宇佐美先生とは、宇佐美彰朗東海大学教授のことだ。 東海大学の先生、というよりは、メキシコ、ミュンヘン、モントリオールと三回連続オリンピックのマラソンに出場した人と言ったほうが分かりやすい。 宇佐美先生が、アベベにあこがれてマラソンの世界にはいったように、宇佐美先生にあこがれてマラソンの世界に飛び込んだ、当時の若者がたくさんいたにちがいない。 このボクもその一人かもしれない。 宇佐美先生の行きつけのスナック、ノーランの李ママは、宇佐美先生のことを「宇佐美先生は市民ランナーを育てたいと思っているよ。 なぜなら、宇佐美先生は『市民ランナーはすごい。 なんの見返りもないのにあんなに真剣に走っている。このパワーはすごい。 本当の力は市民ランナーからだ』といっているよ」と話す。 エリートを育てるポジションではなく、何の見返りもないような、市民ランナーを育てようとしているのが、宇佐美先生だ。
5月19日、快晴。ボクは朝6時半に会場に到着した。 ボクの役割は、視覚障害者の伴走。 ボクだけでなく、アトミクラブのメンバーの多くはボランティアとして、この大会を支えている。 この大会は、都心を走ることだけでなく、障害者がいっしょに走るというところが、 もう一つの特徴だ。 車椅子の部、視覚障害者の部、知的障害者の部、移植者の部が設けられている。 アトミクラブのメンバーの多くが彼らをサポートする役割に任ぜられていたため、 なんだかいつもの織田フィールドのような錯覚を覚える。 8時前に、ボクが伴走することになっている古川雅代さんが、 同じ職場の高橋さんに伴われてやってきた。 古川さんは、26歳、初めての10km。このこと以外、ボクには何の情報もない。 実のところ、大会で伴走するのは初めてのことだ。 一度、宇佐美先生の呼びかけで、この大会に向けたボランティア養成の集まりがあった。 そのとき皇居の周回コースを1周だけ伴走したことがある。 相手の名前は忘れてしまったが、静岡から来られた男性で、 フルマラソンを3時間半くらいで走る実力者だった。 この経験があったので、伴走の不安はあまりなかった。 受け付けを終え、ボクと挨拶を交わしたあと、付き添いの高橋さんがゼッケンを彼女に説明する。 「番号が書いてあってね。319よ。ゼッケンの下は白地。 そこに黒で319と書いてある。上はオレンジ色になっているよ。 さあ、ゼッケンをつけましょう」彼女は、うなずきながら、ゼッケンをつけてもらっている。 きっとつけてもらっているゼッケンのことを想像しているに違いない。 ボクは昨年の正月休みに、家族旅行での出来事を思い出した。 自然の中に浸っていると、家内が、「ああ、この景色、榎木さんを連れてきて見せてあげたい」という。 ボクは思わず、「どうして?」といってしまったことがある。 家内は、介護の仕事をしている。 榎木さんというのは、視覚障害者で、高齢でもあり、ほとんど家に閉じこもった生活だという。 ボクは、ゼッケンを説明する高橋さんの姿を見ながら、想像しながら、 しっかり見ている古川さんから、「連れて来たい」といった家内の言葉が理解できた。 今回ボクはおしゃべりになって、彼女に色々伝えようと決めた。 やがてテレビカメラがやってきた。衛星スポーツ専用番組、スカイパーフェクトTVで、この大会を、 彼女を中心に構成する予定だという。 早速、古川さんにインタビューが始まった。 「走る前、どんな気持ちですか」「目標タイムは」「この大会にでるキッカケは」など、次々に質問が飛ぶが、 彼女は、言葉少なく、「ええ」とか、「はあ」とか。 これでは映像になりにくいと心配したボクは、「彼女、初めての10kmだから、緊張しているのですよ」とか、 「目標は、1時間にしようか」などと話してしまった。 走っている様子も撮りたいという、カメラマンに「じゃあ、カメラさんも一緒に走って、いい映像を撮ろうよ」と。 「いえ、そんな、ボクは走れません」と逃げに入るカメラマン。 彼女の周りはなごやんだけど、彼女は相変わらず言葉少ない。 高橋さんが、「いつもこうなのです」と。 カメラが回る中、ジョギングをしたり、ストレッチをしたりしていると、スタートの時間が迫ってきた。 障害者は一番前からのスタートだ。 ボクらの後ろには5千数百人のランナーが控えている。 「すごいよ。すごい人数が後ろにいるよ」と説明する。 同時に、彼らが押し寄せてきた時に、押し倒されるなどの事故が気になった。 彼女にも、後ろから来る危険性と、だからといってペースを乱さないようにとアドバイスをする。
いよいよスタート。走りきれるのだろうかとの不安を抱えたまま、彼女はスタートを切った。 片側4車線の日比谷通りを、大手町に向かって行く。 道幅が広かったことや、健常者のランナーが気をつけて走ってくれたこともあって、トラブルはなく、走り進むことができた。 それどころか、追い越す時に、「頑張ってください」と口々に声をかけてくれる。 「うれしいね」とボク。「はい」とうなずく彼女。 「右手先きには東京駅が見えるよ。赤レンガ作りの。左手には、お堀が見える。 ここからからは見えないけど、二重橋があるはずだ」「これから先は、ビルの谷間だね。 あと50mで神保町の交差点。 ここを左折して、水道橋に向かいます」などと、見える風景を説明したり、「だいたい、同じようなペースの人と一緒になったね」などと、レースの様子も実況中継した。 最初の1キロは7分15秒くらいかかったが、その後はペースがあがり、6分10秒でしっかり刻んでいる。 「大丈夫?」と声をかけると、「まだ、前半ですから」との答え。 そうだ、前半で大丈夫でなかったら、後半持ちこたえられるわけがない。 ましてや四谷の坂が、6キロ過ぎに待っている。 「200mくらい先に、水道橋の駅が見えてきたよ。高架になっていて、黄色い電車が走っている。 それをくぐったら左折します」という。 真っ赤なランパンランシャツに身を包んだランナーに出会った。 ランシャツの後ろには、「フルマラソン250回」と書かれている。 彼女に書いてある内容を読んで伝えたら、その人が、ボクの声が聞こえたらしく、「もう、270回を超えましたよ」と答える。 72歳になるというかっこいいランナーに古川さんも尊敬と驚きの顔を隠せない。 水道橋のカーブにカメラがまちかまえていた。 彼女にそのことを伝えるとカメラの方に向かって笑顔を見せてくれる。余裕がありそうだ。 「後楽園が右手に見えるね。後楽園への歩道橋にもたくさん人がいて、声援を送ってくれているよ。 もうすぐ中間点だよ」市谷をすぎたら、いよいよ、今回のコースで一番の難所、四谷の坂が待っている。 「この坂さえ越えたら、あとは大丈夫。ゴールは近いよ」とはいうものの、彼女の顔が急に苦しそうになってくる。 距離にしたら500mくらいだろうか。必死にペースを落とすまいと走る彼女。 この坂があった、6キロから7キロの1キロを彼女は、6分23秒で刻んだ。坂の影響でのペースダウンは13秒だけだ。 本当によくやった。 が、これでエネルギーを使い果たした彼女は、新宿通りに入ってから、ガクンとペースが落ちてしまった。 給水所では、思わず歩き出しそうになる。 タイムも1キロあたり、7分を超えるようになってきた。 「古川さん、今が頑張りどきだ。あと2キロ。あと2キロだ」と声をかけるが、それにうなずく余裕は彼女にはない。 沿道ではプログラムの参加者名簿を眺めながら、応援している人がいる。 「プログラムを見ているから、きっと『古川さ〜ん』と応援してくれるよ、といった、まさにその瞬間、「319番、古川さん、頑張ってください」の声。 彼女は苦しい中でも一瞬微笑む。 しっかりと声援を力にして走っていることがわかる。 「神宮の森が見えてきた。ここから国立競技場の外をぐるりと回ってから、競技場の中に入るとゴールだからね」 「いよいよ競技場の中に入ったよ。 茶色のトラックの上を走っているよ。 このトラックをグルット回ればゴールだ」「あと100mだ。さあ、最後の力を振り絞ってペースを上げよう。ラストスパート!」 「50,40、30,20,10、ゴール!やった。おめでとう。やったよ。初めて10km走ったよ」彼女は苦しそうに、息を切らしている。 しばらくすると、高橋さんが笑顔でやってきた。「よかったね。古川さん」相変わらず言葉少なく「ええ」とうなずく彼女。
しばらく三人で、レースを振り返って雑談をしていると、テレビ局の人がやってきた。 「いやあ、速かったですね。追いつけませんでしたよ」「え、追いかけていたのですか」 「はい、水道橋で見かけてから、しばらく追いかけたのですが、追いつくことができませんでしたよ」 「そう、あのころが一番快調に飛ばしていたのですから」などと雑談したあと、 次々とランナーがゴールする様子をバックにインタビューが始まった。 「どうでしたか。走り終えて」「はあ」相変わらず言葉は少ない。「何分でゴールしました?」「えーと」 そう、ゴールした瞬間、ボクも興奮していて、ストップウオッチのスイッチを押すのを忘れてしまっていた。 「すみません。ボクが忘れていたのです。1時間6分くらいでした」と謝る。 「また走りたいですか」という質問に、このときばかりはきっぱりと「はい、また走りたいです」 こんなに追い込んでよかったのだろうか、とも少し思っていたボクは、この言葉に救われた。 今度はボクにインタビューのマイクが。 「どうです。古川さんと走って?」「よくやりましたよ。彼女は才能ありますよ」とボク。 インタビューが終わってから、インタビューを聞いていた高橋さんが、「才能あるんだって」と彼女に繰り返している。 わずかにほほえんで答える古川さん。 1時間あまりの時間は彼女を大きく変えてくれるに違いない。 走ることによって、前向きな生き方に変わっていったボクのように、きっと彼女も変わってくれることを願っている。 ここだけの話だけど、初めて走った人には、だいたい「才能あるよ」ということにしている。 人間、誰しも歩いたり走ったりできるのだから、みんな才能の持ち主だと思う。 ただ、それを自覚することによって、ランナーとなるのだと思う。ボク自信も、6年前、初めて10kmを57分で走りきったとき、「俺ってすごいんだ」と思った。 走る自分の才能を自覚したものだ。 インタビューの合間に、2時間近くかけてゴールしたカップルに目が行った。 移植者の部に参加した女性だ。ふらふらになりながらゴールした瞬間サポートしていた男性と抱き合って泣き崩れていた。 男性の方も泣いている。きっと、この2時間のドラマに至る前に、とてつもなく長い、ドラマがあったに違いない。 ボランティアとして、伴走者としてはじめての経験だったけど、与えたものより与えられたものがはるかに大きな大会だった。
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