アトミクラブ
たったひとりの秋田100キロ試走 二階堂隆さん

 皆様からご署名いただきました「高橋勇市」が視覚障害者として、 たったひとりで秋田内陸100キロを試走しました。

 1年前、高橋選手は「秋田内陸リゾート100キロウルトラマラソン」の事務局に視覚障害を理由に参加を断られました。 彼は嘆願書「秋田内陸リゾート100キロウルトラマラソンに障害者も参加させて下さい」を作成して全国のランナーに署名を呼びかけました。 そして多勢のランナーの協力で4000名以上の署名が集まりました。

 秋田ウルトラの事務局もこのことを重く受け止め、 今年度の大会に「視覚障害者と伴走者を試走として参加を認める」と発表しました。 そして「全てのランナーが安全に走れるための検討委員会」が設けられ、今回の試走公募となりました。

 しかし、100キロを制限時間13時間以内で、各関門も設定するという非常に厳しい試走会。 なぜ100キロも?それも制限時間も設けて、誰もがその試走会のありかたに疑問をもちました。 しかし高橋選手は「それでも参加したい」と言い続けました。 最終的には、本人の「どうしても参加したい」という意志を確認して、私たち伴走者(鈴木さん、大野さん、石田さん、私)も秋田へ向かいました。

 前日の試走説明会では、予想に反して20名もの大会関係者が集まっていました。 式次第が用意され、試走関係者の紹介に続いて、今回の試走公募により、 何か手伝えることがあればということで秋田と新潟から2名の伴試走協力者、 そしてウルトラマラソンの仲間(熊谷さん)と大会役員1名も参加することになりました。

 サポート態勢、コース、歩道がある場合は歩道を走る、制限時間、エイドステーション(食料・水)など全て本番の大会と同じに設定する旨の説明がありました。 サポート体制はエイド車(食料・水)、青いパトランプを付けた先導車・広報車・役員車・道路指示のスタッフ車など5台の車が用意され、 地元警察のパトカーも参加することをこの時に初めて知りました。 たったひとりの視覚障害者試走、しかし我々が想像していた以上の準備が整っていました。 私は彼をひとりにしないために、一緒に100キロ付き合う約束をしていました。

 6月16日朝5時、高橋選手と伴走者・試走協力者の総勢9名がスタート。 私は緊張感からか、緊張が足らないからか?スタートして直ぐ左へ曲がることを高橋選手に伝えずに左折してしまいました。 戸惑う高橋選手。 この時私は4000名以上の署名を思いだし、「この試走は絶対に失敗はできない」と心を引き締めました。

 何度か伴走交代して、大会関係者が心配するトンネル内の細い歩道も鈴木さん(伴走経験豊富)の背中に付いて一列で走り、 大会関係者が心配している箇所は難なくクリアしていきました。 健常者よりも確かな足取りで大覚峠を歩かず走り続ける姿は大会関係者にどのように写ったのでしょうか。 道中、タヌキや日本カモシカ、マムシなどの動物も見られ、秋田の自然を楽しむ余裕も出て、高橋選手もいつものつまらないジョークを連発していました。 日中気温も上昇して、給水、お腹の具合なども心配しましたが、立ち止まることなく走り続けました。

 50キロを過ぎれば、60キロを過ぎれば、70キロを過ぎればと気持ち繋いでひたすら走り続け、 そして90キロを過ぎると、全伴走者、試走協力者が車から降りてコースへ戻ってきました。 全員で一緒に高橋くんを囲むように走り、長い長い試走の最後を迎えました。

 鷹巣の町へ入り、商店街のアーケードを抜けるといよいよゴール地点の鷹巣阿仁広域交流センターが見えてきます。 最後のコーナーを曲がると、何とゴールテープまでも用意されていました。 全伴走者・試走協力者と手を繋いでゴールテープを切ることができました。 そして、思ってもいなかった花火がまで打ち上げられ、完走を祝福してくれました。

 高橋くんは協力者全員と握手を交わし、新聞社の取材にとても嬉しそうに答えていました。 私も「今のお気持ちは?」の取材に「この一年間を振り返り、ただただ嬉しい」と涙を拭いました。 11時間55分38秒のたったひとりの100キロ試走、しかし大勢の署名協力者と一緒に走った充実した時間でした。

 視覚障害を理由に参加を断られてしまった 秋田ウルトラマラソン、そして厳しい試走内容、 それでも参加したいと言った高橋くんは同じ秋田県人として、「自分が走る姿を見てもらえれば理解してもらえる」と思っていたのでしょう。 視覚障害者が100キロ走る姿は、秋田ウルトラマラソンの大会関係者、地元警察に大きな衝撃を与えたようです。

 試走後懇談会での大会関係者の感想は概ね良好で、試走前とは違い、一緒に完走した喜びを分かち合う仲間のようでした。 ここまで真剣に取り組んでくれた検討委員会の皆様に感謝します。 この試走を参考に、25日に地元警察も含めて再度検討委員会が開催されます。 視覚障害者が正式選手として鷹巣名物の大太鼓の音を聞きながらゴールテープを切る日も近いことでしょう。

 最後になりましたが、伴走者、試走協力者、そして全国の署名協力者のお陰でここまでたどり着くことができました。 本当にありがとうございました。

二階堂 隆

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