アトミクラブ
2000大阪国際女子マラソンを走ってきました
久しぶりに走れたよ!。
日本一小さくて早いマラソンランナー 飯野真澄さん

 はじめに

 ゴールした瞬間、思わず嬉しくて「ヤッター。」と言いながら手を挙げてゴールしてしまいました。 私には忘れられない、いい思い出の1つになった2000大阪国際女子マラソンでした。 長いと思いますが、しばらくの間お付き合いください。

 日本一小さくて早いマラソンランナーって何?

 詳しく知りたい方は、私に聞いてください。
(私を見れはわかるかもしれないけど、他にも理由があります。)

 東京国際女子出られない。えっ。結果的には良かったけどね

 実は、去年の大阪で大失敗をしてから、来年以降は、東京国際メインで、 この時期は東京ハーフや青梅、彩の国(埼玉マラソン)でもねらおうと思っていました。 ところが忘れもしない去年の3月19日。異動先の世田谷区立笹原小学校へ面接に いって来年度の行事予定を見せてもらったら、「東京の日は学芸会!」 もう、冗談で友達に言っていたことが本当になってしまい、すごく動揺。

 「東京は走りたいけどでも、学芸会では無理かな。」と悩み、 昨年3月まで私がいた丸山小学校の校長先生に相談しました。 「今年はあきらめて、他のレースで頑張りなさい。あなたは、大阪でも名古屋 でも走れるのだし、つくばや、河口湖などの市民レースで、自分の世界 を広げるのもいいんじゃないのかな。」と言っていただいてあきらめる ことに決りました。尊敬する校長先生だったので、そう言っていただいて 有り難かったです。他の人だったら反発していただろうから。

 とは決めたものの、東京国際女子へ向けて頑張っている、走れるみんなが うらやましかったです。自分もつくばで、頑張ろう、その後の大阪 もと思っていましたが、秋になり調子が上がってきたところで「東京にでないの?」 と言われてそのたびに「学芸会があるからエントリーだけ、つくばを走ります。」っていう会話、 何回したかな。自分では出ないと決めたのになんか吹っ切れませんでした。

 学芸会当日、子供たち、とても頑張ってくれて嬉しくなりました。やはり、東京に出ない で学芸会を選んで正解だったと。 嬉しかったので、「みんながとても頑張ってくれたのが、よかったし、嬉かったよ。だから、 今度は私が、マラソンで頑張るね。」と言ったら柏手をしてくれました。

 学芸会の後、東京の応接のため、四谷の坂にいました。 なんで自分が走っていないのだろうと思って待っていましたが、みんなの走りを見て応援 しているうちに、吹っ切れてきました。「来週の”つくば”、がんはらなくっちゃ。子供たちも 応接してくれるのだし。」気持ちの切り替えが速いのが私の信条。

 つくばマラソンは3時間5分17秒でまずまず。 女子の部3位でミズノからシューズをいただき、ラッキーでした。

 大阪国際の前いろいろ

 調子がよかったせいもあると思いますが、大阪のスタートラインに立てることが嬉しく、 走れることがとても楽しみでした。よく、能登さんとは練習でも一緒でとっても心強かったです。 (いつも織田でうるさくしていてみなさんごめんなさい。)学芸大にも2回ほど 来て一緒に練習しましたから。後輩たちは、すごい人なんですね、とびっくりしていました。

 笹原小では、だれが勝つか賭けようということになりました。1000円で。 でも、実際にだれも当たらず、なし・・・・・
子供たちには、「がんばってね。」「絶対テレビを見るよ。」「インターネット見るよ。」 「テレビに映ってね。」日記にも応援メッセージを書いてくれました。第5土曜日なので、 学校をお休みするにもかかわらず、気持ちよく送り出してくれた教職員、保護者にも感謝。

 出かける時、母に 「悔いが残らないようにね。」と言われた。「そうだ。」これがレースでの 私の走り、前向きな気持ちにつながっていました。母にも感謝。 父にはリタイアしないようにといわれていましたが。

 開会式の行われた前日。千里阪急ホテルに、丸山小で1年生を担任した時の子供とお母さんが 会いにきてくれました。お父さんの転勤で大阪に行っていたのですが、当日も応援してくれて 嬉しいことでした。また、このとき教師の仕事をしていてよかったと思いました。 その時、能登さんも近くにいて、写真を撮ってくれたのですが、子供に聞いたことは 「飯野先生変わった?大きくなった?」子供は困った顔をしながら「ううん…」 開会式。すごい報道陣の数でした。今までのオリンピック選考会のなかではずば抜けて多かったですね。 私も写真を撮っていましたが。

 レースの朝

 長居パークホテルが住吉大社に近いところだったので、行ってみることにしました。 能登さんと行く予定でしたが。先に行っていてということで一人で歩いていきました。 結局、近いところまで行ったけど、今回はまあいいかと思い戻りました。 能登さんは、遅れて出発。ところが住吉大社と思ったほうは、大阪国際のコースでした。 しかも次の日に行ったけど、なぜかすごく遠回りをしたそうです。

 私は、大黒摩季が大好きです。長居に行くまでは彼女の曲を聞いて気持ちを高めていきました。 とっても前向きに元気になれました。間抜けな私は、久しぶりのウォークマンで、 イヤホンがないことに気がついたのが金曜日。なくしたか、正月に帰省した弟に取られた と思ったけど仕方ない。大坂で能登さんに付き合ってもらって、買ったけど、大笑いされました。

 テレビについて

 テレビに映るなら、11時50分からとしか思っていなかった私。ところがレース当日は すっかり忘れていて。着替えて時計を見たら11時50分。

 「あっ学佼でも、織田でも、国立でもみんなに見てと言った時間だ。いそがなくっちゃ。」 と思い出し競技場へ出ていくと真木さんがいてコース紹介らしきことをやっていました。 そうしたらあ、やっぱり能登さんがいて「ここにいれば映るかもよ。」と言われ真木さんの後ろ にいながら、長居競技場の電光掲示板を見ていました。「あっ。映った!」と騒いでいました。

 スタートの時、インコースにいて、時計のカウントダウンが見える位置。しかもシモンさんの3 列か4列後ろ。電光掲示板を見ていて「映しているなあ。でも。映っていないだろう。」 と思ってジャンプしたり。手を振っていました。

 次の日、学校へ行くと「飯野さん。11時55分頃、映っていたよ。隣に白い格好をした人と(能登さん)」 「先生。青を着てたでしょう。白い人に引っ張られていたよ。」 「スタートの時、手を振ったりジャンプしたでしょう。笑っちやったよ。」 私は「しまったー、もっときちんとして映ればよかった。」と反省。

 大阪版のサンケイスポーツ、産経新聞にはスタート直後の写真に私がばっちり映っていて (能登さんはここでは、私の後)子供たちも教職員も喜んでくれました。 これを見た、レースを賭けようといった、同僚が(といっても大ベテラン) 「飯野さん、これを引き伸ばして、お見合い写真だよ!」「えっ?それもいいかもね。」 と言ったらみんなに大笑いされました。

 私のレース

 小雨が降っていたけど、ほとんど気になりませんでした。 とにかく、気持ちが前向きでした。 「5・4・3・2・1・バン」カウントダウンで盛り上がってのスタート。 グラウンドは水がビチャビチャしていて、早くロードへ出たかったです。 4キロくらいでぺースが安定してきたけど、両足のすねがなぜか張っている状態。 でもそのうち治るさと思っていたら治っていて調子が出てきました。

 いかにもサブスリーをねらう大集団。ついていたけど、12キロくらいでいつのまにか 集団を引っ張っていました。ここで、陸上競技マガジンの野口さんに「飯野!」と声を かけていただきました。

 集団というより、自分のペース、リズムでいけるところまで行こう。20分30〜40秒だったら 30キロ過ぎまでいける。だったら、悔いの残らないように走ろうと思って。
とにかく、気持ちよく速いペースで、いい顔をして走っていたと思います。(自意識過剰?) いい顔をしている時って、いいレースができるんですよね。

 沿道の160万とも、言われた応援、小雨にもかかわらず、すごかったです。 トップランナーだけでなく、私達市民ランナーにもものすごい声援。 大阪人独特の雰囲気でそれにも励まされて嬉しかったです。 私は「あの、小さい人頑張っているなあ。いいぞ。」能登さんは「デブがきた。」 と言われたらしいけど。それも励みになるのです。(東京じゃ聞けない応援も多いです。)

 御堂筋で先頭とすれ違えるかと思ったけど、阿部友恵さんだけ。 先頭の速さに5キロ地点から時計を見ていて気がついていたけど、中間点も速いことがわかり、 びっくりしました。私の中間点は1時間27分19秒。 「3時間切れるぞ。いけるところまでいくぞ。」大阪城も気持ちよく走れました。 (先頭集団の中継では、アルフィーの自由であるためにが流れていたと思います。)

 森ノ宮で野口さんに「ベスト出るぞ。」と声をかけられました。32キロのちょっとした 坂できつくなり、ぺースダウン。でも、東京でたくさんの人たちが応援していると思うと 頑張れました。この地点で、一緒に走っていた能登さんが先にいきました。 (ここまで一緒に走るとはとても仲がいいでしょう?)

 35キロを過ぎたら、国立によくきている井上さんが沿道を走ってくれました。 (本当は違反なんだけど)おかげで持ち直しました。 私の後の佐々木月絵さんにも並走してくださったとか。 彼女もそこで持ち直せたので2人で、井上さんに感謝。

 40キロで、日本陸連の梶原洋子先生のお手伝いをよくしている、 松田移子(あやこ)さんが、「飯野さん、(3時間)切れるよ」 思わず、にっこりしてしまいました。

 長居の周回道路では「あと、もう少しやで。」「お帰り。」「頑張れや。」の大声援。 長居競技場入口で、いろんな思いがでてきて、涙がでてきましたが、 電光掲示板の「がんばれ、あともう少し。」で、気を取り直して頑張りました。

 ゴールの瞬間はとっても嬉しくて「ヤッター。」と言いながら両手を挙げてゴール。 久々の3時間突破。今までのいろいろな思いがでてきて涙がでてきました。 そうしたら。野口さんが「飯野!やったな!」と上の方から声をかけてくれました。 更衣室の方へ行くと、2野間55分台でゴールした能登さんと「ヤッター。」 と喜び合いました。

 さよならパーティ、帰りの新幹線

 着替えて更衣室を出ると、有森さんの記者会見をやっていたので、 報道陣に交じってちゃっかり見ていました。 さよならパーティーは写真の嵐でしたね。私もそうでしたが。 明日から仕事で新幹線で帰らなけれはならない、東京方面組 (佐々木月絵さん、高松葉子さん、坂東恭子さん)は、記録証が出るとともに、タクシーで新幹線へ。 パーティーにあまりいられなかった分、新幹線のなかで、打ち上げをしました。 ふだんはあまり飲めない私でも、飲めたくらい気分がよかったです。 (さよならパーティーでも。能登さん達とさっさとフライングして飲んでいました。 食べたのはでも、乾杯のあとだよね。能登さん)

 たくさんの方々へ感謝。応援ありがとうございました。

 6年ぶり、社会人になって初めてのサブスリー、自己3番目の2時間58分31秒でした。 自己ベストの2時間57分7秒を更新できなかったのは、残念でしたが、それを除けは大満足。

 もう、だめかな思ったこともあるマラソン。3時間は切れないのかな、練習が減り、 仕事をしていると無理なのかな。たくさんの人に抜かれていったし、学生時代サブスリーだったのに、 やっぱり、練習減るときついのかなと思われるのも、また、そう思う自分もいやで、 自分をどうにかしたかったです。 1つの壁をクリアできたかなと思えるレースであり、また、次に向けて頑張る気持ちがでてきました。 また、マラソンは一人じゃない。たくさんの方の支えがあってこそと改めて実感した大阪でした。

 月曜日に学校へ行ったら、たくさんの教職員がテレビを見て応援していて、関心をもっていたこと。 3時間を切ったことをとても喜んでんでくれたこと。4年生の子供たちは、一生懸命テレビや インターネットで応援してくれていたこと。私の話をよーく聞いていて、 わかってくれて喜んでくれました。おみやげのタコ焼きポッキ一は箱がなくなるくらい。 (おかしいでしょう)他のクラスの子供たちも「先生、みていてたよ。頑張ったんだね。」 「それって、速いんでしょう。」保護者からも電話や手紙をいただきとてもうれしかったです。

 前にいた丸山小では。インターネットの結果を子供たちに印刷してくれて、 とても喜んでくれて手紙までいただきました。

 そして、一緒に練習してくれたり、励ましてくれたたくさんの仲間には、もっと感謝。 ペース走や、アトミクラブの練習ではずいぶんと助けていただきました。 苦しい時や、悩んでいる時には励ましていただき、嬉しかった時には一緒に喜んでもらえ、 本当に感謝しています。

 社会人になって今年の4月で7年目に入ります。走ることは自分の世界を広げ高める手段。 さらにそう思えるように走っていきたいし、自分の可能性はこれからと思って頑張っていきます。

 次のマラソンは秋に1つと大阪です。また、学校行事が入って、東京は無理かもしれないし、 走れるかもしれないけど。走れないとしてもこの1年間で得たことがたくさんあるから、 もうふてくされません。東京じゃなくても”つくば”や他のレースでもいいって。 走れることが有り難いのだから。1つ1つ、前向きに頑張つていけばいいことあるって思える ようになったし。

 「頑張る」とよく使いますが、丸山小時代の校長先生に、 こういう意味ではと言われました。「1.継続する 2.改善する 3.挑戦する」 もし、参考になりましたらと思い書かせていただきました。

 最後に、本当に応援ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

【私の通過順位とラップタイム】
  5Km 10Km 15Km 20Km 25Km 30Km 35Km 40Km ゴール
順位 98 101 90 79 71 66 65 63 62
通過 0:20:42 0:41:22 1:02:15 1:22:47 1:43:35 2:04:18 2:26:06 2:48:48 2:58:31
区間 0:20:42 0:20:40 0:20:53 0:20:32 0:20:48 0:20:43 0:21:48 0:22:42 0:09:43

掲載させていただいたイラストは世田谷区立笹原小学校の飯野さんが担任しているクラスの子供の日記の応援メッセージ から提供していただきました。

 事務局より一言
飯野さん、とても感動的な投稿ありがとうございました。飯野さんの走ることに対する熱い思い、 それを支えてくれる多くの人達(学校の子供達、先生方、保護者の方々、練習仲間、そして親友の能登さん) とのふれあいがいきいきと描かれています。 また、丸山小時代の校長先生の「頑張る」と言う意味とても心に残りました。 これからも自己新を目ざして頑張って下さい。


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