アトミクラブ
ニューヨークシティマラソン完走記 袴田悦子さん

 11月5日(金)、アキレストラッククラブの最終出発組として、予定通りNYケネディ空港に降り立ちました 。マンハッタンの繁華街にあるホテルに向かうタクシーの中で、5日間の予定を確認し、まずは午後2:00からのアキレストラッククラブの昼食会へ。 NY本部ディック会長とアキレスジャパンの参加者39名の顔合わせとなりました。 NYシティマラソンに参加する障害者ランナーが19名、サポート役の健常者20名で、30回記念大会のためか昨年の倍以上の参加人数となり、 パーティ会場の中華料理店は満員御礼状態でした。ビールと中華料理で満腹になった我々は次の予定「ゼッケン交換」会場へ、 記念グッツの出店で賑わうイベント会場でTシャツなどを買い、夜はミュージカルの鑑賞と洒落込んでこの日は終わりました。

 6日(土)朝8:00から国連NY支部をスタートするフレンドシップ10Kランがあり、 自由参加でおみやげ付きと聞いて我々アキレスジャパンのお祭り好きが参加して、パン、バナナ、ジュースなど両手に抱えて帰りました。 ホテルに戻ると、伴走を希望する現地のボランティアがロビーに溢れるほどやって来ていて、10時からマッチングセッションがはじまりました。 目標タイムを話し、交渉が成立するとホテルに用意された軽食をいただきながら自己紹介と明日の約束を交わす、 英語の得意なアキレスジャパンのメンバーは食べる暇もなく交渉に大忙しでした。 午後はそれぞれ自由行動、NY在住のSさんがカリフォルニァ米と炊飯ジャーを持参してやって来ると、 走る添乗員かなちゃんと私の部屋704号室はアッと言うまに“おにぎり処”となりました。 鮭、梅、昆布のおにぎり120個を作り、たくあんも添えて各部屋におにぎり弁当を届けて、 海苔とたくあんの混ざった異様な匂いの704号室でkanaと私は深い眠りに落ちたのでした。

 7日(日)いよいよ第30回NYCマラソンの日がやって来ました。 この日は朝から風が強く雪が舞うような天気となりました。 一般スタートは10:50、障害のある遅いランナーのために8:00のアーリースタートが設けられていて、 私達は一般スタート組より先にホテルを出てスタテン島に向かいました。 アーリースタート組は参加ランナー5名とサポーター5名そして現地の伴走ボランティア6名が加わりレースは和気あいあいムードで展開しました。 沿道の市民から「ゴー・アキレス!」と熱い声援が飛んできます。

 ベラゾン橋を渡りブルックリンからユダヤ人街に入ると違う国に迷い込んだように街の雰囲気が変わる。 黒人街に入ると先頭集団に続いて一般ランナーが早送りの映像を見るように駆け抜けていく、アキレスジャパンの一般スタート組のメンバーを探して声援を送り、 やがて5時間台のランナーになるとカメラを向ける余裕もでて応援も楽しくなってきました。 一般ランナーとの接触が2時間位続いてクィーンズボロビレッジに入ると冷たい向かい風との戦いとなりました。 「この橋を渡ったらマクドナルドで休憩をしましょう。」「温かいスープが飲みたいなぁ〜。」 「ビックマックが食べたいなぁ〜。」などと、気を紛らせながら長い巨大な橋を渡りきり、マンハッタンの1番街のマクドナルドで予告どうり嬉しい休憩タイムとなりました。 着替えやマッサージをし、温かいものでお腹を満たして、店の外に出ると辺りはすっかり暗くなり午後6:00を回っていました。 温まった身体で元気にマンハッタンの目抜き通りを歩き出し、セントラルパークを目指しました。 8時間の交通規制が解かれてもNYでは特別視することもなく車を止めて応援してくれる。 肌の色も国籍も問わず何時間かかっても声援を送ってくれている。 セントラルパークに入ると感激で胸が熱くなってきました。 池の水面に映る摩天楼の美しさに感動しているうちに、眩しいばかりに明るいゴール地点が見えてきました。 全員目はうるうるになりガッツポーズで「やったー。」と叫びながらゴールの計時を踏みました。 午後11時27分。42.195Kを15時間かけて完走。 「よかったね!おめでとう!」何度も口にして手と手を堅く握り合い別れを惜しみました。

 沿道を埋め尽くした様々な人々。風を切るように走り去っていった速いランナーたち。 マンハッタンの日が暮れて、灯かりが燈り、夜空に摩天楼が浮かび上がっても走り続けた素晴らしい仲間、 目標をひとつにした仲間とはじめてのニューヨークで時間を共有できて「やっぱり、来てよかった!!」と、思う。 そして、『走ることは、止められないな〜〜。』伴走者にも完走メダルをくれる太っ腹なNY.またひとつ完走メダルを手にして子供のように喜ぶ私です。
11年5月30日 袴 田 悦 子


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