アトミクラブ
私のサブスリー達成奮戦記
宝塚市 重谷寿克さん

 重谷です。アトミ会報をいつも送っていただきありがとうございます。 ’94年の7月に転勤で大阪に移り、現在は宝塚市に在住していますが会報はいつも楽しく読ませていただいています。 ランニングの方は現在は帰宅ランをメインにおこなっています。週末は自宅近辺で練習してますが場所柄、 宝塚歌劇の女優さん方とよくすれ違います。それが楽しみで練習してます。

 さて先日2月2日に京都の木津川フルに参加しましたが初めてサブ3を達成しましたのでお知らせします。 タイムは2時間55分14秒で順位は約2400名中総合39位でした。 もっともこのレースは木津川の土手沿いを走る平坦なコースで距離表示も1kmごとにあり非常に走りやすいコースでしたのでこのような結果が残せたのだと思います。

 今シーズンの本命は3月2日の篠山ABCフル(兵庫)ですのでここで自己ベストの更新を図ろうと思っております。 まだまだアトミの方々のレベルには追いつきませんが近づけるように頑張りたいと思います。

 今シーズンはここまで好調にきてます。昨年10月の5000mタイムトライアル(トラック) で初めて19分の壁を破ったのを皮切りに(18分54秒)12月の三田国際ハーフで 1時間24分41秒の自己ベスト、 さに10kmロードは今年にはいってから2週間おきに出ましたが37分50秒、 36分50秒、35分53秒と自己ベストをほぼ1分ずつ更新しています。

 これまでの10kmのベストが38分台でしたから昨年までの私からは考えられないような結果を出してきています。 昨年11月から1ヶ月の走行距離をそれまでの200km前後から300km以上に上げたのが効いているようです。

 アトミクラブには転勤直前の94年6月まで練習会にときたま顔を出していましたが当時は完全な「お荷物」で5000mで20分も切れず、 10kmで40分切るなんて考えられないレベルでした。当然練習会ではいつもビリを走っておりました。 合宿の1000m走 x 10本のトレーニングでも4分を切ったのは最初の1本だけだったと記憶しています。

 自分にはアトミのようなレベルの高いサークルは場違いだということは承知していましたが関田さんや小賀田さん梨本さん、 若松さんはじめとする方々が優しく接してくださったおかげで走ることをあきらめずに趣味として続けることができました。

 '94年7月に大阪に異動してから会社と自宅の距離が約8km近かったため帰宅時だけ走って帰るようにしました。 これで1ヶ月の走行距離がそれまでの100km足らずからコンスタントに200km前後稼げるようになりました。 するとその年の秋のレースからタイムが飛躍的に伸びてきました。 ハーフに3つほど出たところ出るたびにタイムが3分ずつ縮まっていき12月のレース(三田国際ハーフ) で1時間26分0秒を出したのがひとつの自信になりました。

 翌95年はあの大震災がありレースはすべて中止、 練習もできない日々が続きましたが4月から練習を再開し、 その年の10月の10kmロードレースで初めて40分を切ることができました。 (39分24秒)フルもこの年の11月に福知山で初挑戦して3時間13分50秒でした。 その後フルは4回挑戦して’96年3月の篠山の3時間6分0秒が最高でしたので今シーズン の目標をサブ3に設定したわけです。 先日の木津川フルは篠山の調整目的で走りましたので篠山で自己ベストの更新を狙ってみます。

 走り出した当初の目的はダイエットでしたが体重は東京にいた当時より10kgほど減りました。 今ではレースに出るのが楽しみで走ってます。

 アトミクラブのおかげで私も目標を高く持つことができます。 機会があれば合宿か練習会にまた参加したいと思います。

最後になりましたが皆様の一層のご活躍を祈ってます。では失礼します。


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