アトミクラブ
岩垂さんを偲んで 関田善作さん

 岩垂さんを知ってから、もう何年になりますか?お互い仕事の業界が一緒だった こともあり、走る仲間以前に飲んだり歌ったりたりと、付 き合いも、もうかれこれ 15・6年にはなりますか。その頃は、お互い5Kを20分前後で走っていたかと 思います。

 12年前、結成間もないアトミクラブにいれてもらい、お互いライバルとして水 曜日の練習会やいろいろな大会に出ました。そんな中でも 初マラソンの「佐倉」 が、いまでも、思い出されます。当時、まだ、マラソンなど夢にも考えなかった私 に、「ねー、今度1度マラソンに出て みない?」と半ば強引に申し込んだのは岩垂 さん、あなたでしたね。記録的な寒さ(異常低温注意報が続いた年)と雪が多かっ た昭和59(1 984)年3月、にわか仕込みの練習で迎えた初マラソンの大会で お互い3時間前後で走りました。岩垂さんの一言がなければ今でもマラソ ンを走っ ていなかったかもしれません。今でも岩垂さんを思うとき、あの雪の「佐倉」が忘 れられません。

 その後も数多くの大会や駅伝、合宿に「アトミのメンバー」として一緒させてい ただきましたが、いつも、ユーモアを交えた話しぶりで、 その場の雰囲気を和らげ てくれたのはあなたでした。きつい練習に耐える芯の強さと、優しさを合わせ持っ た兄貴のような存在でした。その あなたが突然にいなくなるなんてとても信じられ ません。我々は、今年1月にはリーさんを失いました。そして今度はあなたです。 どんなき つい練習はつらくても我慢できますが、こんな知らせはとてもつらいこと です。でも、気を取り直してあなたの分まで走るようにしたいと思 います。

 天国の岩垂さん、まずは、ゆっくり体を休めてください。そして、走りたくなっ たら、りーさんと練習を始めてください。  どうか、いつまでも我々アトミのメン バーを見守ってください。さようなら。(文・関田)


<報 告>
6月25日に16人のメンバーが岩垂さんのご自宅におじゃまし てしてお線香を上げさせていただきました。 また、当日都合のつかない方より多くのご香料をいただきました。 ありがとうございました。

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