アトミクラブ
一般ランナーの意気込み ランナーズ4月号より
東海大学教授:宇佐美彰朗

 これまでランニングに想いを寄せるとき、 「競技者的志向」と「愛好者的志向」を分けて考えることが多かった。 ところが、現実はそう単純では ないことを確認したのである。
 それはここ数年、私自身走る仲間のグループと親しく定期的に交流したり、 東京シティハーフマラソンやホノルルマラソンをはじめ各種大会に参加して 出会ったランナーたちと短時間ながら会話を交わし、 その結果感じたことである。

 まず、この人は愛好者だと感じた方でも、 レースへの意気込みは競技者並みである場合が多いことに驚かされた。 反対に、記録も良いので競技者として話してみると、 これが取り組み不足で工夫や頑張りがなく、 残念さを感じるランナーがいるなど、現実の多彩さに驚かされたのである。

 「競技者的」とは、フルマラソンの記録でいえば、 サブスリーから国際大会出場資格取得レベルで、大会出場目標は優勝や順位であり、 記録的にも自己記録を1分1秒短縮するための「選手生活」を自認している方々のことを意味する。 「愛好者的」とは、ジョガーともいわれる、 単に心身の「健康」や「体力」の維持、増進を目標にしている方々の意味のつもりで ある。

 ところが、こうした区分けは表現する側が勝手に決め込んでいたきらいがあり、 記録が低いからと「ジョガー」に組み込んでしまったり、 反対に本人の気持ちはジョガーなのに記録が良いので「競技者」扱いされていたりする。  ということは、「愛好者」であっても大会に出場する場合には、 まず、すべてが「競技者」で、 その心境は国際マラソン大会に出場しているランナーと違いがない。 ただ競技能力が高められていないだけであって、 そのトレーニングレベルにおける意気込みはトップレベルなのである。 そして、愛好者の日ごろの生活環境を知って2度ビックリである。

 何年間もトレーニング日記を記録している「競技者」顔負けの「ジョガー」、 経験したレースを分析して、次のレースに向けてウィークポイントを克服すべく、 トレーニング内容を強めて取り組んでいる愛好者たちもいる。 彼らの多くは、トレーニング時間を作り出すのにウルトラEを連発、 出張日程を操作するほどの涙ぐましさである。 しかも、その「ジョガー」たちは、これらを決して苦しいとか、 つらいなど一言の愚痴をもらすどころか、 反対に、まるで楽しんでいるかのようである。 この点、競技者を自認するランナーの中に、 行き当たりばったりのトレーニング内容で、 それをただ消化するだけの者もいるとは情けないと感じてしまう状況である。

 結局、「競技者」と「愛好者」の区分け基準は、 記録でも意気込みでもよいのである。 つまり、ランナー自身が自由に使い分けてランニングを楽しめばよいということなのである。


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