<7月13日火曜日に檜山恵子さんがお亡くなりになりました>
ここに生前の檜山恵子さんの活躍を偲び、謹んで哀悼の気持ちを表します。
昨日、私のところにTさんからメールにて檜山恵子さんがお亡くなりになったという連絡が入りました。
今朝、ご主人の昌彦さんにご連絡をとり、弔意の気持ちをお伝えするとともに、恵子さんのこの間の病状のことなどについて伺いました。
恵子さんは4年間に亘る闘病生活を耐え抜き、去る7月13日午後9時過ぎに息を引き取ったとのことでした。
享年61歳でした。病名は「多発性筋炎」という10万人に1人位しか発症しないという難病に指定されているご病気だったと聞きました。
4年前(2017年)の2月に東京マラソンを2時間56分、続く名古屋も2時間58分で走りきり、
さてこれからさらにタイムを上げていこうという矢先、いくら走っても、いつものスピードが出ない、体が疲れる、
だるいなどの諸症状が出始めたのを機に医科大で精密検査を受けたところ前述の病名に突き当たったということでした。
お亡くなりになるまで何度かの入退院を繰り返していたとのですが多くはご自宅でご主人の昌彦さんが看病されていたようです。
檜山恵子さんはアトミクラブの中にあって、菅平や湯沢の合宿では皆さんと食を共にし、
飲み、歌い、歓談など、合宿の場を和ませてくれました。
さらに駅伝では「全国OB・OG駅伝」、「東日本国際駅伝」、「年末の忘年駅伝」などどのチームでも1区を走り、
アトミ女子チームが優勝できるように貢献してくれました。
個人では毎年報告されるランナーズの1歳きざみランキングで常に年代1位に輝いていたと記憶しております。
また東京国際女子、大阪国際、名古屋ウイメンズなどメインのマラソン大会で活躍を見せました。
お住まいの関係か、白岡練習会にもよく参加していただきK4分15秒のペースを崩さず30Kmを走り抜いた姿がまだこの目に焼き付いています。
まだまだレジェンドとして後進に活躍を見せていただきたかったです。とても残念で悲しい報告になってしまいました。檜山恵子さんに合掌。
恵子さん! 篠原監督や袴田えっちゃんが先に行っています。ともにジョグしながらでも結構です。
アトミクラブのいく末を天国でしっかり見守っていてくださいね。
長い間、アトミクラブを支えていただいてありがとうございました。
アトミクラブ代表:関田善作
<会計の毛塚敏男さんより 2021/7/19 am10:31>
おはようございます。
会員規約に基づき本日、檜山昌彦様宛にお香典(1万円)を現金書留で郵送いたしましたのでご報告いたします。
以下のおくやみのお手紙を添えました。
檜山昌彦様
このたびは恵子さんの突然の訃報を知り、たいへんショックで言葉を失っています。目を閉じると恵子さんの力強い走る姿が浮かび、未だに本当のことなのかどうか受け入れることができない自分があります。
長い間、故人の介護など昌彦様のご心痛が辛いほどよく分かります。お力をお落としのことと存じますが、どうか、お気持ちを強く持たれますよう心よりお祈り申し上げます。
本来であればすぐにでもかけつけてお悔やみを申し上げたいところですが、コロナ禍ゆえ、お伺いすることができず、まことに申し訳ございません。
いずれ篠原監督、袴田えっちゃん、恵子さんの「合同お別れ会」を企画いたしたく思います。
些少ながらクラブの規定としてお香典を同封いたしました。 御霊前にお供えいただければと存じます。
まずは略儀ながら書中をもちまして御冥福をお祈り申し上げます。
合掌
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