アトミクラブ

アトミクラブのあゆみ 1985年

 伊豆松崎合宿  1月12日〜1月14日

1日目 海岸コース 10K
2日目 婆沙羅峠越え(松崎←→下田)50K
3日目 砧公園持久フリー走
伊豆、松崎の合宿は厳しさもさることながら、地元で取れる新鮮な魚介類やハウスのイチゴ狩りなどの賞味でも楽しみな合宿でした。
これらの企画立案から世話役は山本さんのお骨折りによるものだった。


 第34回奥武蔵駅伝 初参加6位入賞  1月31日

<走路> 東飯能駅→正丸駅前折り返し→飯能駅前

6位入賞 アトミクラブ
区間 1区 2区 3区 4区 5区 6区
選手名 師岡 山本 梨本 沼生 篠原 柳原


 勝田マラソン  2月11日

アトミ勢大挙参加 福岡、落合、関田、伊藤、岩垂、若松など
 当時のメンバーに人気があったのが勝田マラソンや千葉県選手権を兼ねた光町マラソンそして信毎マラソン。 今人気のつくば、河口湖マラソンはまだ始まったばかり。


 品川区陸上競技大会  4月14日 練習会メンバー多数出場

毎年春と秋に開催される品川区陸上競技大会はアトミクラブの指定大会みたいなものだった。
今でこそアトミの出場者はすくなくなったが落合選手のノーアップでの1500m優勝など何かと話題になる大会だった。 落合、超人ぶりを発揮。


 原宿合宿  4月末〜5月上

連休を利用して都心のど真ん中、原宿で合宿
(東電の保養施設を借りて)


 富士見高原3日間合宿  6月

最終日は台風の中のずぶぬれ合宿、ゴミのポリ袋をかぶったり、中には傘を差して走ったメンバーも。


 伊豆松崎合宿  9月14日〜9月16日

1日目 海岸コース(松崎→雲見→堂ヶ島→松崎)30K
2日目 婆沙羅峠越え(松崎←→下田)50K
3日目 海岸コース(松崎→雲見→松崎) 20K
山口、あまりのきつさにネを上げる。 40k過ぎの下りで西元さん運転する伴走車に逃げこみ潜んでいるところを渡辺(武)に見つかり、後々まで云われ続けた。 日中の気温30度を越える中、皆よく走った。


 5000mタイムトライアルから  10月23日
(於、東京都体育館300mサブトラ)

山川15分35秒 
師岡15分41秒 
山口15分42秒 
梨本16分15秒 
篠原16分16秒 
松原16分22秒 
落合16分40秒 
山本16分41秒 
柳原16分53秒 
酒井16分57秒 
遠田17分10秒 
斉藤17分26秒 
岩垂17分33秒 
伊藤17分43秒 
福岡17分45秒 
若松18分15秒 
渡辺19分20秒 
高橋19分30秒 
高橋信20分17秒(現松原夫人)
末吉22分03秒(現伊藤夫人)


 テレビ朝日「ビートたけしのスポーツ大将」  12月7日

駅伝ミックスの部2位になりテレビ出演。(1月27日放送)

吉田→高橋信(現松原夫人)→渡辺武→関田→末吉(現伊藤夫人)→山本
(山口は一般の部D51チームで区間賞)
[於:立川昭和公園]
1区吉田が4位、2区高橋信が3位に上げ、3区渡辺、4区関田、5区末吉が3位を守り アンカー山本で2位に上がる。
テレビ放送の中では終始「アトミクラブ」のメンバーが紹介され、番組を大いに盛り上げた。


 防府マラソン 柳原 2時間28分台  12月

当時アトミクラブで初めて2時間30分の壁を破る。
快挙!柳原さん、今ほど故障もなく、走り込み十分で臨んだ防府マラソンでアトミ初の30分を切った。 このあとみんなはこの記録を目指した。


 砧公園起伏持久走  12月末〜1月始

12月28日〜翌年の86年1月5日まで連日砧公園にて起伏持久走
(20Km〜25Km)


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