皆さま あけましておめでとうございます。 「寅年」で明けた2022年、皆さまとともに新しい年を迎えることができ、また皆さまと一緒に走れる事を素直に喜びたいと思います。 この年明けとともにコロナ禍では2回目の新年を迎えたことになります。 まだまだコロナの脅威の下にありますが、気持ちを緩めることなく前を向いてしっかり走り込んでいきましょう。 どうぞ本年もよろしくお願いいたします。 ■ 新型コロナの情勢を見ると昨年(2021年)は、9月半ばから年末まで日本での感染者数はワクチン接種もあり海外に比べ順調に減っていく傾向にありました。日本ではこのまま収束へと向うのかなとついつい緩んだ気持ちになりがちでしたが、 年末近くにきてオミクロン株の出現で、また感染拡大の巻き戻しが始まるかもしれません。 今後、しばらくはまたコロナ情勢から目が離せない日常になるかもしれませんね。 今年度のアトミクラブの取り組みは、これまでどおり感染が拡大する局面にある時は休止することもありえます。 ただ過剰に反応することなく、状況をきっちり把握しながら練習会を実施していければいいと思います。 皆さま、どうぞご協力ください ■ アトミクラブの練習会は、昨年10月からの「緊急事態宣言解除」を受けて10月7日より本格的に再開いたしました。10月〜12月の練習会は、幸いお天気にも恵まれ12回予定していた練習メニューはすべてこなせました。60人から80人近いメンバーで走っています。季節はこれから1月、2月と寒さがさらに増していきます。厳寒期を考慮して、ペース走、ビルドアップ走、ロングインターバル走などを交互に挟み、無理せず乗り切っていきたいものです。 今年5月には織田フィールドの再開(予定)があります。トラック練習再開までは故障することなく練習ができればいいかなと思います。 昨年12月に入ってから織田フィールドはトラック、フィールド、管理棟を含め改修工事に入りました。 まだ工事は始まったという段階ですが、新緑の5月には装いも新たにきれいに改修したトラックがわれわれを迎えてくれることでしょう。 それまでは代々木公園の硬い走路練習にしっかり耐えて、明るい照明の下、鮮やかな朱のトラックで練習ができる日を楽しみに走って待っていましょう。 ■ アトミクラブの2021年を振り返る 2021年は新型コロナに翻弄された一年でした。この一年間のクラブの活動を振り返ってみましょう。 年の前半から9月位まではコロナの感染拡大や「緊急事態宣言」・「五輪・パラ」の運動施設の使用などもあり、 休止することが多く満足のいく練習はできませんでした。 年も後半になって10月からは緊急事態宣言が解除されこともあり、代々木公園にての練習会が本格化しました。 毎週行われる練習活動にリズムが出てきたのか活気が戻ってきたように感じます。 以下、アトミクラブの一年を1月から12月までを追います。 @<1月〜2月> =1月7日にペース走、2月11日に特別企画・長江隆行さんの「動き作りトレーニング」の教室と5000mタイムトライアルを実施。 それ以外の日は「緊急宣言下」にあり中止を余儀なくされました。 この2ヶ月間での練習会は2回のみとなりました。 A<3月〜4月> =3月は緊急事態宣言下にあり練習会はすべて中止、4月は代々木公園にて4回の練習会を実施しました。 そんな中、訃報が届きました。以下。
・例年6月に実施する2泊3日の「湯沢合宿」は感染のリスクがあるため中止になりました。 C<7月〜9月> =この3ヶ月の間は練習会の実施は7月8日の夢の島競技場にての1回のみ。 緊急事態宣言と「東京五輪・パラ」の開催時期にも重なり都合12回の練習会が中止に。
D<10月〜12月> ・10月、「動き作りトレーニング」(2月11日)の講師をしていただいた長江隆行さんから抗がん剤治療を受け、 闘病中であるとホームページに投稿がありました。寄稿を読ませていただき、抗がん剤治療の最終クールもこの1月で終了とのこと。 長江さんにはたくさんの方から励ましのメッセージを頂戴しました。 今後は無理せずゆっくり体の回復をはかっていただきたいと思います。そ の上で来年春からでもゆっくりジョグからの回復をはかっていただければと思います。 ・12月16日(木)の練習会でアシックスジャパン(株)の新しいシューズの試し履きの会がありました。 当日用意されたシューズは各サイズ2足ずつと限りがあり、希望された方すべてには行き渡りませんでした。 試し履きされた方の評価はとても良好でした。また今後もこのような試し履きの会が実現できるといいですね。 ・毎年12月に行われる「アトミクラブ忘年会」はコロナの影響で中止になりました。 ・10月7日から代々木公園にて練習会を再開。以来、年末までの3ヶ月間、12回の練習は中止することなく行われました。 硬い走路での練習環境の中、インターバル、ペース走、ビルドアップ走とこなし、毎回60人から80人位のメンバーが参加して行われました。 公園での暗くて硬い走路にも拘わらず、皆さん、よく参加してくれました。 12月の練習会は寒さの中、とくに熱気が感じられるいい練習会ができました。 ■ これまで伝言板に記載されていた記録収集は今後行わないことになりました 以下 これまで行われていた記録収集・HP掲載は担当からの報告を行わない事になりました。 11月、12月と2回に亘って今後のアトミクラブを考える拡大事務局会議の席で記録収集関する議論がなされました。 記録収集について今後、終了する旨の提案がなされ、終了案を当日の会で了承いたしました。 多くの皆さまに喜ばれていた記録の収集・掲載とまとめですが、 収集に多くの時間を要し記録収集担当のItoさんに過度な負担を掛けていたことが今回の決定につながりました。 コロナ禍の現在、大会開催がなくなり記録の掲載がなくてもメンバーの活動に支障がないことが確認できたこともこの決定を後押ししました。 したがって年間ベスト記録や個人別集計も今後は当然無くなりますのでご理解いただきたく思います。 なお、クラブ主催の5000mのタイムトライアルの記録は今後も伝言板にアップいたします。 また大会に参加された皆さまからの大会参加報告は伝言板へ投稿してください。 コメントを添えて記録を書き込んでいただければメンバーへの報告になります。 誰でもが書き込める記録投稿フォーマットをこれから検討していきます。 詳しくは1月の定例事務局会議を踏まえて、また皆さまにお知らせすることになると思います。 ■ 福岡国際マラソン、75年の歴史の幕を閉じる さる12月5日、世界のトップアスリートが数々のドラマと記録を競ってきた「福岡国際マラソン」が75回の歴史に幕を閉じました。 昨年3月に終えた「びわ湖毎日マラソン」に続いて日本のトップランナーを育ててきた伝統の大会がまた一つ名前を消しました。 師走の博多の風物誌として、長年、テレビ中継などで親しまれてきた「福岡国際マラソン」は1947年に初開催され以来、 75年間に数々の名勝負を刻んできました。 クレイトン選手が佐々木精一郎選手に競り勝って初めて2時間10分切る世界最高タイム2時間9分36秒を叩き出したのは1967年、 小生がまだ高校生の頃(古い話で恐縮デス!ごめんなさい)。/1970年には宇佐美彰朗選手※が、当時2時間10分37秒の日本最高記録で活躍。 /瀬古選手や宗兄弟、イカンガー選手らとのトラック勝負は古い記憶にあるところ。 当時、伊藤国光選手、喜多秀喜選手なども加わりの「福岡」での高速レースはつねに我々をワクワクとさせました。 この79年から85年あたりは日本マラソン陣の黄金期だったでしょうか。 /1981年大会はドキャステラ(豪)選手の出した2時間8分18秒が当時の世界最高タイムとして公認されました。 /1987年、激しい土砂降りの中、ずぶ濡れになりながら一人独走状態でゴールし、ソウル五輪の切符を手にした中山竹通選手。 /2000年には藤田敦史選手が日本国内最高の2時間6分51秒でゴールし日本人選手として初めて7分の壁を破ったのも「フクオカ」でした。 /新しいところでは2018年に服部勇馬選手が日本勢で14年ぶりに優勝を飾りました。 (※2000年代初頭、宇佐美彰朗先生のご助言で確立したのがいまのクラブの練習方法です。) 「フクオカ」については、まだ書くことがありそうですが、挙げれば切りがないのでこの辺で留めておきましょう。 日本人選手だけでなく世界のトップアスリートに憧れをもたれたのが「フクオカ」でした。 アトミクラブの歴代の猛者達もこの大会を目指して頑張り、出場を果たしてきました。 2021年12月5日、75回の最後のレースを飾ったのはマイケル・ギザエ(27、ケニア出身=スズキ)選手でした。 記録は2時間7分51秒。20キロを超える地点まで佐藤悠基選手が率いるペースメーカーにつき、スタートから1キロ2分58秒の高速ペースで刻み、 トップグループは34キロの地点でギザエ選手が抜け出しました。 細谷恭平選手(26=黒崎播磨)と高久龍選手(28=ヤクルト)が追う展開で、 前半のハイペースがたたってか後半は、どの選手もひとのび出来ない、我慢比べの様相になりました。 細谷選手は日本人トップの2位。2時間8分16秒。今回はパリ五輪への第一歩となる大会として細谷選手に加え、2 時間9分0秒を切った4位の大塚祥平選手(九電工)、5位の高久選手、6 位の上門大祐選手(大塚製薬)が23年秋に開かれるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)出場権を手にしました。 ■ 年末から続く3大駅伝、「高校、実業団、大学」最高峰の駅伝を制したのは‥‥ 年末から年始にかけて主要な駅伝のテレビ中継が多くありました。毎年、この時期は年末の「全国高校駅伝」、元旦の「ニューイヤー駅伝」、2日から3日にかけての「箱根駅伝」と主要な大会が目白押しでついついテレビの前に釘付けになってしまいます。われわれ一般の市民駅伝大会はおよそ2年近く開催されておらず汗にしみたタスキの感触を忘れそうです。今年こそ、またみんなで思いの詰まったタスキを繋げたいですね。 以下、3つの駅伝の結果と感じたことを記しておきます。 @12月26日に午前中に開かれた「高校駅伝」女子では仙台育英高校が1走の米沢選手で流れを作り3区まで区間賞を獲得、 4区、5区の1年生も後続の追い上げに耐えてリードを守り抜き2位に1分以上差をつけ堂々優勝しました 仙台育英は来年以降も強いチームになりそう。 A同じく午後に開かれた「高校駅伝」男子では世羅高校が途中、京都洛南高に追いつかれたも のの、最後は洛南を突き放し、堂々、2連覇を達成しました。洛南の高校長距離3種目の記録保持者佐藤選手が3区で外国人留学生にも引けをとらない、期待通りの走りを見せ、将来の大器として目が離せない存在感を印象づけました。 B1月元旦の「全日本実業団駅伝」(ニューイヤー駅伝)は3区終了時点で14位だった「ホン ダ」が4区伊藤の順位を一気に押し上げる頑張りで上位に上げ、6区、7区で区間賞を獲得、創部51年目※にして初の栄冠を勝ち取りました。(※その「ホンダ」を51年前に陸上部などない会社に駅伝チームの初代監督として立ち上げたのがアトミのレジェンド「福爺」こと福岡豊則さんでした。福爺、チーム結成から苦節51年、優勝が叶いよかったですね。ほんとうにおめでとうございました。) C2日、3日に開かれた「箱根駅伝」は青山学院が総合力を発揮。往路、復路とも他の大学を 寄せ付けず堂々たる優勝を飾りました。総合新記録も大幅に更新し、「青山強し!」を印象づけました。個人の頑張りも目を引いた。1区中大の吉居選手が牽制に陥ることなく積極的な走りで区間新、2区駒大の田沢選手は「花の2区」で海外留学生を押さえ区間賞、9区青山学院中村選手、10区(同)中倉選手の守りにまわらない積極的な走りで区間新を連発、大学を優勝に導くだけでなく記録更新という面でさらに「箱根駅伝」の魅力を高めました。 ■ 昨年はコロナ禍にありながらスポーツ界において特筆すべきことがたくさんありました。松山英樹選手の全米マスターズ優勝。水泳の池江璃花子選手の急性リンパ性白血病発症を乗り越えての奇跡的な復活などすでに本紙で取り上げました。一年延期の末、開かれた「東京五輪・パラリンピック」についても日本人選手の活躍などを本紙に取り上げてきました。数えきれないほどスポーツ界の選手の活躍に溢れていた一年でした。 さらに、年末近くなってアメリカのメジャーリーグで活躍中のエンゼルス大谷翔平選手が全米野球記者協会員30人による年間最優秀選手(MVP)に満票で選出されたとの報道がありました。直接、ランニングに関する話題ではありませんが選出され発表された内容は日本にいる我々にとってもうれしいニュースとなりました。メジャーリーガーの精鋭ですら成し遂げられなかった投手兼打者としての彼の活躍を全米の野球ファンのみならず報道関係者の誰でもが認めてくれたことにとても誇らしい気持ちになりました。実績のみならず彼の人柄にも話題が集まりました。大谷選手にはまた来年、活躍する勇姿を見せていただきましょう。これからも怪我なく活躍し続けていただきたいものです。 早くも春に控えるメジャーの開幕が楽しみになりました。みんなで応援しましょう。 ■ <練習会報告>2021年11月〜12月の練習会の内容
2022年1月4日更新
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