アトミクラブ

アトミクラブ通信 NO.176 2021年9月


アトミクラブ通信 NO.176 PDF版

大会参加者の記録報告 No.176


 皆さま こんにちは
 2021年の暑い夏もここにきて、ようやく乗り切った感があります。 ことしの夏は新型コロナの感染急拡大で思うように外出ができず、 暑さをしのいで「2020五輪・パラ」を在宅でテレビ観戦された方も多かったのではないでしょうか。
気象もおかしかったですね。 8月に入り、お盆を挟んで約2週間位の間、西日本を中心とした記録的な豪雨が連日続き、全国各地に甚大な被害をもたらしました。 この首都圏でも1週間近く日差しがない日が続きました。まるで梅雨が舞い戻ったようでした。 特に雨量が半端なかったですね。夏に大雨をもたらす気象異変はもう何年も続いています。 この気象異変は日本のみならず、世界各地で大雨による洪水の被害や高温による熱波よって大規模な森林火災が発生し、 住居を追われる人たちが出てきています。今後も地球温暖化がさらに加速化されているのでしょうか。 コロナ、気象異変とまったく先が読めない世の中になってきましたね。

アトミクラブの練習会(7月、8月)はコロナの緊急事態宣言下にあるため7月8日に一度、 「夢の島競技場」で時間を短縮して実施した以外はすべて中止になりました。 今年に入っての練習会の実施はまだ数回に留まっています。 残念ですがこの状況下ではしかたありませんね。 練習会に参加することに起因して感染することだけは避けなければならないことだと思います。 当面の間は、コロナの感染状況を見ながら、いつから練習が再開できるのか練習場所を含めて探っていきます。 決まり次第、伝言板で発信してまいります。取りあえず9月12日まで「緊急事態宣言」が出ている間は行いません。 今の感染状況からすれば練習会再開の目処は当面、立たないというのが練習会担当として正直な気持ちです。 ワクチン接種がどの世代でも完了し、早く安心して練習のできる環境が整ってほしいですね。 今後の発信に注視してください。

新型コロナウィルスの感染拡大が止まりません。 7月下旬くらいから医療機関は機能不全に陥ったと云われるほど感染拡大の波が大きくなっています。 デルタ株の影響で、あちらでもこちらでも身近に感染が見られるようになりました。 全国で1日2万5人以上が感染した日もあり、感染拡大の波はまだまだ続いています。 お盆明けの8月23日には関東1都6県すべてが緊急事態宣言下に入ることになりました。 高齢者へのワクチンの接種が進む中、50代以下の感染割合が急増しています。 感染してもすぐに入院できないのが実情です。 救急搬送されても病院で断られ入院できず、やむなく自宅に戻り、そのうち、自宅で待機中に重症化し突然、 亡くなる方の事例が多く見られるようになりました。最近の感染はクラスターもありますが、 家庭内での感染が非常に多くなっているようです。 家族5人全員が陽性になり、その後、1人2人と発熱し、全員が入院待ちという事例もありましたし、 家族で感染し、お母さんは重症、父親はお子さんを残して亡くなるといった悲劇も起きています。 ワクチン接種が進む中、2回のワクチン接種を終えたのは、接種を希望する人の内、まだ5割程度しか達成しておりません。(8月末現在)
 皆さん!自分の命は自分で守るつもりでこのコロナの厳しい状況を乗り切っていってほしいと思います。

 9月13日にメンバーの村田智太郎さんから伝言板にコロナについての書き込みがありました。以下、村田さんからの寄稿です。
是非、お読みください。私の弟の事例も追記しました。

[3936] 村田智太郎 [関東] 2021/09/13(Mon) 20:02
【コロナで入院していました】
みなさまこんにちは。コロナに感染し8月16日により自宅療養、その後8月25日から末日まで入院をしておりました。

8月11日ごろ喉が痛いなーと思って、いつもの扁桃腺風邪かと医者にもいかずにいたら週末熱が出て、頓服薬で下がったものの発熱外来に行ったらコロナ陽性。 10日間は自宅で療養となり22日まで休むことに。熱は夕方になると上がり昼間は下がるを繰り返す。 それも回復してきたと思ったら、パルスオキシメーターの酸素飽和度(SpO2)の数字が下がり、薬を強める等の対応。 さらにしゃっくりが止まらずに夜眠れない日が続く。 22日になってもSpO2の値は下がる一方で、25日には呼吸するのが苦しくなり、保健所の方から「救急車呼びましょう」と自分で119へ。 中等症で肺炎になっているとのことでそのまま1週間入院へ。入院先があるのか。 このまま自宅で過ごすことが出来るのか不安でいっぱいでしたが、近くの総合病院に入院出来安心しました。

退院しても、体力の低下で5日間は自宅で療養していました。体重も6kg落ちました。退院翌日、走ろうと外に出ましたが歩くのがやっと、4日後にはキロ9分で7km走れました。しかしそれ以上ペースを上げると呼吸が苦しい状況です。肺炎はすぐには治らないようなので、焦らず戻していこうと思います。 コロナお気をつけください。感染すると大変です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
[3937] 関田 [関東] 2021/09/13(Mon) 20:53
村田さん、たいへんでしたね。
回復については焦らずに、いまはじっくり時間をかけて普通の状態に戻していってください。  今、感染の主流はデルタ株と聞いています。誰でも罹る可能性があります。数ヶ月前に比べ身近な処で感染が広がっています。
 じつは私の弟が8月5日にクラスター感染し、罹ったメンバーの中では、唯一重症化してしまいました。 本人は60歳代半ばになりますが、ヘビースモーカーでコロナがなくても肺に不安を抱えていました。 感染してまもなく、すぐに高熱と呼吸の苦しさを訴えて救急車を呼び、病床が空いている病院を待っていました。 たまたま病床が一つ空いていた病院に入院することができ、酸素吸入で命を長らえました。今はまだ退院することはできず、ベッドに寝ている状態です。 歩行訓練を始めたと病院から連絡がありましたが、数歩、歩くと息が切れる状態で単独ではトイレも行けません。 将来、家に戻ることができるのか、まだ不確定な状態です。 皆さん、コロナを甘く見るとたいへんな目に遭います。どうか日々、気をつけてお過ごしください。

関田

■7月13日火曜日に檜山恵子さんがお亡くなりになりました。享年61歳でした。

ここに生前の檜山恵子さんの活躍を偲び、謹んでお悔やみを申し上げます。

檜山恵子さんの病名は「多発性筋炎」という10万人に1人位しか発症しないという難病だったと聞きました。 4年間に亘る闘病生活を耐え抜き、去る7月13日午後9時過ぎ、ご主人の昌彦さんに看取られながら息を引き取りました。
 4年前(2017年)の2月に東京マラソンを2時間56分、続く名古屋も2時間58分で走りきり、 さてこれからさらにタイムを上げていこうという矢先、いくら走っても、いつものスピードが出ない、体が疲れる、 だるいなどの諸症状が出始めたのが始まりでした。医科大で精密検査を受けたところ前述の病名に突き当たったということでした。 お亡くなりになるまで何度かの入退院を繰り返していたとのですが多くはご自宅でご主人の昌彦さんが看病されていたとのことです。
 檜山恵子さんの大会での活躍やアトミでの活動のエピソードを上げれば切りがありません。 また伴走や障害者へのボランティアを積極的に務められていました。 アトミクラブの中にあっても、菅平や湯沢の合宿では皆さんと厳しい練習をこなし、夕餉では飲食を共にし、歌い、 楽しい歓談など、合宿の場を和ませてくれました。 さらに上げればアトミの女子が出場した駅伝「全国OB・OG駅伝」、「東日本国際駅伝」、「年末の忘年駅伝」など、 毎回、1区や大事な区間を走り、 アトミ女子チーム優勝に貢献してくれました。 個人の大会出場記録では、毎年報告されるランナーズの1歳きざみランキングで常に年代1位に輝いていたと記憶しております。 まだまだレジェンドとして後進に活躍を見せていただきたかったです。
 とても残念で悲しい報告になってしまいました。檜山恵子さんに合掌。

檜山さんに多くのメンバーからお悔やみのメッセージをいただきました。

詳しくはホームページの<檜山恵子さんがお亡くなりになりました>のコーナーに全文紹介されています。 まだお読みでない方はぜひ読んでください。以下はメッセージの簡略版です。
▲本当によく白岡で一緒に練習しました。今は悲しくて仕方ありません。 /▼いつも先頭を走っている恵子さんがまぶしかった。まだ一緒に走ってみたかった。 /▲同学年でありフロントランナーの恵子さんの訃報を知り驚くばかりです。 駅伝でも長くご一緒させて頂きました。 /▼恵子さんは雲の上のまた上の存在でした。プライベートではお茶目でかわいらしいところもたくさんあり、よく笑わせていただきました。本当に感謝しています。 /▲檜山恵子さんは私をここまでに引き上げてくれた人生最大なる友人であり、ライバルでした。檜山さんのおかげで、ここまで強くなることが出来ました。私も檜山さんの分まで走っていきます。見ていてくださいね!! /▼マラソン初心者の私にアトミを紹介してくださり入会するキッカケをくださった恵子さん。トップランナーなのに気さくに話しかけてくれました。 /▲檜山さん主催練習会では、お手製のおにぎりを頂いたことがありました、その時のおにぎりがとてもとても美味しくて・・・ /▼久しぶりに伝言板を開いたら・・・エッ〜!恵子ちゃんが亡くなった?ビックリ!ただただ残念、年寄より先に逝くなんて悲しすぎる〜! /▲いつも素敵に輝いていて、檜山さんから学んだ事は、私の心に今でもしっかりと刻まれています /▼合宿でインターバル練習のペーサーを買って出たものの入りを飛ばしすぎてしまい檜山さんに指導をいただいたことなどが思い出されます。 /▲昨日(8月5日)、檜山さんのご主人がゆきわりそう(知的障害者福祉施設)に挨拶に見えられました。檜山さんは、ゆきわりそうマラソン教室の支援員として永く活躍されました。再起を待っていたのですが本当に残念です。 /▲病気のことはかなり前から聞いていましたが、いつか会いたいと思っていました。とてもショックでした。一緒に頑張っていた仲間が、まだそんな年でもないのに亡くなってしまうなんて、とても悲しいです。 /▼闘病されていたのを知らなかったので、只々驚くばかりです。皇居駅伝では別チーム同区間に配され競り合いました。いろいろ思い出が尽きません。 /▲檜山さんの訃報のニュース、ショックです。闘病中であるとのことはなんとなく知っていたのですが・・・ /▼皆さまの弔意のお気持ちに感謝です。大切な同級生を失ってしまいました。とても悲しいです。 /▲まさに、昨日、檜山恵子さんが闘病中という話を仲間から聞いたばかりでした。菅平合宿で親しくお話ししたことを懐かしく思い出しました。 /▼悲しいお知らせをうかがい、ただ驚いております。檜山さんは、ランナーとしてはもちろん、ボランティアや伴走などにも熱心に取り組まれていて、目標に思う大きな先輩のお一人でした。 /▲檜山恵子さんの訃報を知り、とても良くして頂いたので残念で仕方有りません。 /▼檜山さんとの思い出は白岡での30km走を一緒に走ったことと、当時5か月の長男の寝顔を見て「パパの目になるね〜」と話してくれていたことが特に思い出に残っています。ご冥福をお祈り申し上げます。
↓檜山さんのご主人、昌彦さんからメッセージや励ましの言葉にお礼のメールが届きました。

【檜山惠子がお世話になりました】 檜山昌彦さんから 2021/8/29
皆さまへ
 この度、妻惠子の死去に際しましては、たくさんのお悔やみのメッセージや励ましのお言葉をいただきまして、ありがとうございました。
 本日、八月二十九日、四十九日の法要を滞りなく相済ませました。
 生前、アトミクラブで出場した駅伝大会や合宿、マラソン大会、飲み会など昨日のことのように想い出されます。
 アトミクラブの幹事さんをはじめ、皆さまには、いろいろとよくしていただきお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
 また、私の住んでいる東松山には、近くに武蔵丘陵森林公園があります。園内でクロカンやロード走なども出来ます。さらに、穴場の陸上競技場(400mタータントラック)もあります。
 コロナが収まりましたらマラソン、駅伝の練習がてら遊びに来てください。お待ちしています。
 本当にありがとうございました。

@「2020東京オリンピック」が7月23日から8月8日まで17日間、A「2020東京パラリンピック」が8月24日から9月5日にかけ12日間、コロナ禍の中で開催されました。 五輪もパラも東京での開催は昭和39年以来、じつに57年ぶりです。最初にうれしいニュースを報告いたします。 我々と一緒に織田フィールドで汗を流してきた米岡聡選手がパラリンピック・トライアスロン視覚障害のクラスで堂々3位に入り銅メダルを獲得いたしました。 アトミクラブの練習会メンバーとしては2004年のアテネパラリンピック視覚障害のクラスで金メダルを獲得した高橋勇市選手以来。 よねちゃん、おめでとうございます。
 さて今回、「東京オリンピック・パラリンピック」 の開催の是非を巡ってはコロナ禍にあって開催すべきではないという意見と感染対策を万全にして開催すべきという意見と国を大きく2分する議論が巻き起こりました。 それでも五輪・パラは、始まって以来初の原則無観客という開催条件で予定通り開催されました。
 本来であれば華やかなスポーツの祭典を手放しで喜びたいところですが、コロナの感染が一段と厳しさを増し、 日本国内の感染は制御不能と呼ばれている中では感動も達成感も幾分減じた感があります。 それでもコロナ禍にあっても「五輪・パラ」というビッグスポーツイベントが自国で予定通り開催され、無事終えることができたことに安堵の気持ちを覚えました。 途中、中断もなく最後まで両イベントが全うできたことを素直に喜びたいと思います。
 開催にこぎ着けるまで、異例ともいえる問題が噴出しました。 国立競技場のデザイン問題、エンブレム問題、JOC会長、組織委員会会長の辞任など多くの課題を残した大会でもありました。
 それでも、準備、開幕、開催中、閉幕までご尽力された関係者の皆さん、医療関係者、大会ボランティアの方に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
 今回の「2020東京オリンピック・パラリンピック」について感じたこと、印象に残った競技などについて下記に書いてみました。 すこし長くなりますが読んでいただける方はお付き合いください。

「東京2020オリンピック」・「東京パラリンピック」観たこと、感じたことT

7月23日から9月5日に亘って、57年ぶりとなる「東京オリンピック」と「パラリンピック」が開かれた。 東京でのオリンピック、パラリンピック開催は1964年(昭和39年)以来、じつに57年ぶり。 「オリンピック」は33競技339種目が、「パラリンピック」は22競技539種目が行われた。 今大会は、競技数、種目数も大幅に増えたことで、この大会で初めて目にする新しい五輪・パラ競技がたくさんあった。 開催期間中にテレビ観戦した試合や印象に残ったことや感じたことなど断片的に書いてみたい。 見ていないことは書けないのでスルーした競技がかなりあったことをお断りしておく。

五輪・パラを通じて今回、聞いた言葉に「感謝」という言葉を多く耳にした。 選手の試合後のインタビューでは必ず聞いたように思う。選手達は口々に言った。 コロナ禍で開催が困難の中、両イベントが予定どおり開かれ、自分たちに出場の機会が与えられたことへの感謝の気持ちを言葉で表していた。 この「東京オリ・パラ」では「感謝」という言葉が共通のテーマだったのかな、思うほど多用されていた。
 団体競技に出場する海外の選手たちは、日本の様々なところで事前キャンプを行なっていた。 キャンプ中の様子はコロナ禍にあってか、あまりニュースになっていないし、気にも止めなかったがキャンプ地(北海道から沖縄まで)でのお年寄りや、 かわいいちびっ子達の表敬訪問、そして地元の人たちとの様々な交流を海外の選手達は、皆、口々に「日本に来てとてもよかった」とSNSに発信していた。 実際には競技とは直接関係ない、地方のキャンプ地で日本のよさに知って帰っていってくれたのだ。 SNSを通じて競技では残らない日本の日々をあぶり出してくれていた。彼らが日本で残したものは競技以外、多くはないがけっして少なくもなかったようだ。
 もう一つ、トピックスとして競技以外の処で起きた選手とボランティアの温かいやりとりをニュースで知った。 五輪の陸上男子110mハードルで金メダルを獲得したジャマイカの選手が、準決勝直前、選手村からスタジアムに行くはずが、 間違って競泳会場行きのバスに乗ってしまうアクシデントがあった。 間違った事に気づいた選手がボランティアの女性に国立競技場に行く方法を尋ねるとそのボランティアはなんと現金を渡し、 すぐにタクシーに乗って国立競技場にいくよう促したという。結果、選手は準決勝のウォーミングアップに間に合い準決勝を経て、 決勝で金メダルを獲ったというドラマチックでほのぼのとしたニュースだった。この事は内外に伝わり話題になった。 ジャマイカの観光大臣はボランティアの女性をいずれ落ち着いたら、ジャマイカに招待したいという「場外の金メダル?」贈呈のおまけがついた。
 海外の選手たちはコロナ対策のため、大会にだけ参加して、終わればすぐに帰ってしまうと、当初、私が彼らに感じていたことだった。 「コロナが落ち着いたら、また日本に来るからね」とごく普通に日本の良さをSNSに発信してくれた事がとてもうれしかった。 こんなに優しい選手たちに心の金メダルとも云うべき「感謝」の気持ちを贈りたくなった。東京に来てくれて本当にありがとう!

オリ・パラの開会式、閉会式の終演で夜空彩る打ち上がる花火。花火の華やかな光の玉が新国立のスタジアムをくっきりと浮かび上がらせていた。 空から楕円形の建物の全容が映像でくっきり見えた。 オリ・パラが始まる前まではそれほど関心を持てなかったこの新国立競技場もオリンピックの競技が始まり、 陸上競技の開始とともに露出が多くなるにつれ、建物全体の木の風合い活かした日本的なデザインが気に入ってきた。 さらに私の気に入ったところはスタジアムの観客席だった。 最初は何となく違う色で雑然と並んでいるように見えた椅子たちが無観客にも拘わらず、あたかも大勢の観客で埋まっているように遠目には見えた。 私の錯覚でしかないのだが、座席の配置と色の配分に感心した。 当初から無観客を意識していた設計ではない筈なのに不思議と機能していた。 コロナ感染対策の無観客はやむを得ないが、今回のために新しく造られた多くの建物や施設が有観客で迎えられないのは残念だった。 晴れの舞台をみんなで、会場で、応援し飾りたかった。「コロナさえなかったら・・・」と。最後に恨みがましい一言が出た。
 いずれコロナが収束すれば、サッカーや陸上競技選手権、様々なイベントに多くの人が集まり、この競技場の良さを再認識する日が来るだろう。 いつか私も観客の一人としてこの新国立競技場を訪れてどの色になるか分からないがあの椅子に座ってみたいと思う。

【東京2020オリンピック(2021年7月23日〜8月8日)観戦記】

注目の陸上競技から始めよう。女子長距離陣の田中希実選手、広中璃梨佳選手の2人がトラック種目で輝いていた。 まず田中選手から。5000mでは14分台の自己ベストを出しながら決勝進出を逃していた。 本人が出場の本命種目と位置づけた1500mでは日本人女子として93年ぶりの決勝進出を果たした。 予選、準決勝、そして決勝へと進み、予選では日本記録の4分2秒33、準決勝ではさらに記録を上げ、3分59秒19で日本人女子として初めて4分を切った。 準決のレースは途中まで先頭を引っ張り意欲的なところを見せた。後半抜かれはしたが5番目でゴールし決勝に進んだ。 決勝ではハッサンなど世界のスーパーアスリートに囲まれてのレース。物怖じせず積極的に先頭グループにつくスタイルをとっていた。 結果は3分59秒95と再び4分を切って8位入賞。自分の体をいじめ抜き、苦しい練習に耐えての晴れの舞台、結果は1500m3分台という大きなご褒美をくれた。
 さて、もう一人の広中選手についても触れておこう。女子5000m予選を通過し、決勝ではスタートから1500m付近まで先頭に立った。 中盤、アフリカ勢に抜かれたものの粘りに粘って14分52秒84の日本記録を出し9位でフィニッシュした。 10000mの決勝も自己記録をマークし、この種目で日本勢25年ぶりの7位入賞を果たした。
 男子では順大の三浦龍司選手が3000m障害に出場。予選で日本記録を出した後、決勝では8分16秒90のタイムを出し世界のトップに食らいついた。 この種目、日本人最高の7位入賞し、「サンショー」(3000m障害)に三浦ありをアピールした。
 札幌で行われた男子20km競歩では池田向希選手がトップに最後まで食らいつき2位、優勝候補と期待された山西利和選手は3位だった。 男子50キロ競歩では優勝を狙っていた川野将虎選手が後半40キロ過ぎから脱落し6位に。
 マラソンは酷暑の札幌で行われた、女子マラソンは一山麻緒選手が暑さの中で最後の力を絞りきり8位で入賞。日本勢17年ぶりの入賞になった。
 男子マラソンは世界記録保持者のキプチョゲの快走であっさり決着がついた。 日本の大迫傑選手は30キロ過ぎまで先頭集団についていたが徐々に先頭集団からは離れるも35キロ過ぎから落ちてくる、前の2選手を捉えて6位入賞。 服部勇馬選手は過度の熱中症に耐え、ふらふらでゴールした。海外の選手のリタイアも見られ酷暑のマラソンのきびしい一面を見せられた。

↓山内修さんから伝言板に下記投稿があった(9月2日)
東京オリンピックで僕の従兄の息子、山内大夢(ひろむ)(早大)が陸上400m障害に出場しました! 5月に国立競技場で行われたテストイベントで標準記録を突破して、もしかしたら??と思っていました。 その後行われた日本陸上で3位に入れば即決定でしたが惜しくも4位。 ダメか〜と思っていたら、標準記録突破している選手の中で3番目の記録という事で、7月2日の追加発表で選ばれました。 この種目、日本人3人出場しましたが、唯一人、予選突破しました!! 日本人で400m障害の準決勝に進出したのが為末大さんに次いで3人目。 スゴイ事なのにレース後のインタビューも放送されず、たいしてニュースにもならずちょっと寂しかったですが、 身内にオリンピアンが出てくるなんて、こんなに喜ばしい事はありませんでした。

↓<番外陸上競技篇> 小林祐梨子さん、陸上解説者として好評を博す。
 元日本の中長距離を引っ張った小林祐梨子さんがNHKの陸上競技解説者として出ていた。 番組の解説では陸上競技の面白さとレースの結果分析を平易に分かりやすく説明されていたのが印象的だった。 2006年の須磨学園高時代には1500mで当時4分7秒台の日本記録を樹立、全国高校女子駅伝でも驚異の20人抜きなどをやってのけるなど、 元祖中長距離の女王として一時代をつくった、あの小林祐梨子さんだった。 最初、NHKの特設スタジオで見たときには誰だ、この人、と思ったが、じつに10数年ぶりに彼女を見たので分からなかったのだ。 とてもステキな大人に変身していた祐梨子さん。 これからも陸上の解説者としておなじみの増田明美さんとともに陸上界を盛り上げていってほしい。

今回、初めて目にする新しい五輪種目がたくさんあった。 スケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、空手など注目される競技が目白押しだった。 中でもスケートボード女子パークの1シーンが記憶に残る。 日本人では金に四十住さくら選手、銅の開心那選手、続き4位に岡本碧優選手が入った。 前日1位の岡本が2日目の決勝ではポイントでリードされ4番目に位置していた。 求めたものは無難にこなすメダル圏内ではなく、最後に超大技を成功させることだった。 最終の演技者として順調に滑り出した終盤、大技を決めきれず惜しくも転倒。泣 き崩れる彼女に海外の選手達が駆け寄り、彼女の健闘を称え担ぎ上げるシーンがあった。 思わず、うるっと、くるところだった。 ストリートの男子では堀米雄斗選手が金メダル、女子でも13歳の西矢楓奈選手が金メダルに輝きスケートボード種目の魅力を高めた。

空手男子形の喜友名諒選手の演武に魅了された。空手の形など普段見る機会がなく、どんなものなのかと男子決勝を覗いた。 最初は興味本位で見ていたのに演武が始まると思わず引き込まれた。そして、その迫力に圧倒された。 喜友名選手の恵まれた体に力強さとスピード、しなやかさ、どれをとっても「素晴らしい」の一言だった。 空手発祥の地と云われる沖縄に金をもたらした。空手の魅力を知るテレビ観戦であった。

「オリンピックには魔物が潜んでいる」という言葉を聞いたことがあった。 まさか?という魔物がいくつもの種目で見られた。 体操男子鉄棒の内村航平選手が種目別金を狙って挑んだ予選後半の演技でまさかの落下で鉄棒一本に絞った五輪挑戦が終わる。 /バトミントンでは世界で無類の強さを発揮してきた桃田賢斗選手が準決勝にも進めず予選で敗退、期待された女子個人、団体もメダルに届かず敗退。 混合ダブルスで銅を獲得し辛うじて面目を保った。 /ここ数年、競泳種目の金獲得の大本命と云われていた瀬戸大也選手が200m、400mメドレーでは泳ぎに精彩を欠きメダルに届かずに終わった。 /陸上の華とも云われる400mリレー決勝で1走多田修平選手から2走の山県亮太選手にバトンが繋がらず、 日本チームが失格。日本のお家芸と云われたバトンパスでまさか、まさかが出てしまった。 順位は別としてせめて4人のバトンが繋がって桐生祥秀選手や小池裕貴選手に走ってもらいゴールして欲しかった。ああ残念!

体操男子は内村選手に替わって若い力の躍動があった。男子体操団体では銀、個人総合では橋本大輝選手が金メダルを種目別鉄棒と合わせて獲得した。 北園丈琉選手、萱和磨選手など若い選手の活躍も次のパリ大会に繋がりそうだ。 橋本選手は緊張に動じず、落ち着いた美しい演技でこれからも日本の次世代を担ってくれそうだ。

柔道は初日の開始からずっと男女の快進撃がずっと続いた。 男女合わせて合計9個の金メダルを獲得!最後の混合団体を金で締め括ってくれるとなお良かったのに。というのは欲張り過ぎだろうか。 柔道種目は各階級の準決、決勝をすべて見のだが一人の試合を書くとすべてを書かなくてはならないので今回は割愛する。 柔道は一瞬にして勝負が決まる瞬間もあるのでテレビから目が離せなかった。延長で長引いた試合はトイレを我慢したことも・・・とほほ。

不振の競泳陣の中にあって1人気を吐いた女子水泳の大橋悠依選手200m、400m個人メドレーで2種目金に輝いた。 大橋選手は、学生時代、貧血に悩み、伸び悩んでいた。 平井コーチの門を叩いてから体、メンタル面も鍛え直し、一つも二つも大きく成長し、東京の晴れの舞台で大輪の華で飾った。 /男子200mバタフライでは本田灯選手が銀を獲得。/競泳ではうれしい話題がもうひとつあった。2 年半前に急性白血病を発症し、一時、五輪出場が絶望視しされていた池江璃花子選手がリレーのメンバーとして奇跡的に五輪出場を果たした。 オリンピックに出ること、その目標が彼女のこの間の闘病生活と復帰に向けた厳しいトレーニングを耐えさせた。 試合後の涙の粒は一度、諦めかけた五輪出場を信念でたぐり寄せた、うれしさの結晶なんだろうなと勝手に解釈した。璃花ちゃん、復帰おめでとう。

卓球混合ダブルスで水谷隼・伊藤美誠選手の組が中国の牙城を崩し日本卓球界初の金を獲得した! このペアで特筆すべき試合は準々決勝における東ドイツ戦だったように思える。 3セット、3セットと取り合った最終7ゲーム目、2−9とリードされ、 もう後がない中、それでもドイツチームのマッチポイントを7回もしのいで最後は試合をひっくり返した。 試合を捨てない、諦めない心にこの二人の意地と冷静さをみた。 1点、1点と追い上げる内に相手の焦りや攻撃パターンが読めるようになってきたと水谷・伊藤組は言った。最後の試合を決めたロングサーブがその読みを物語る。 卓球は男子団体3位、女子団体2位、個人女子で伊藤3位と大躍進だった。

レスリング女子、川井友香子、梨紗子姉妹揃って金!向田真優選手、須崎と続きレスリング王国の面目を保った。 女子50キロ級の須崎優衣選手は全4試合すべてフォール勝ち。 圧倒的な強さを魅せた。強さの裏にはドラマもあった。 18年に左肘の脱臼と靱帯の断裂という大怪我を克服、不屈の精神で金メダルをつかみ取った。彼女を支えた吉村祥子コーチは怪我をした時、 「心はけがをしないように。こんな時こそ学ぶことがある」と励ましたそうだ。 男子フリースタイルでは乙黒択選手が金を獲得。

女子バスケットの日本代表チームがアメリカとの決勝に進出し、日本バスケ界初のメダル(銀)獲得した。 ちびっこチームが身長差をはねのけ決勝まで海外勢の長身チームの前に立ちはだかった。 準々決勝のベルギー戦では残り15秒で3点シュートを決め、奇跡の大逆転劇を演じた。 司令塔とも言うべき町田瑠唯選手の俊敏な動きに目を奪われた。

プロ野球の主力選手で構成された侍ジャパンが悲願の金メダルを獲得した。 予選、決勝トーナメントと一つとして楽な試合はなかった。 厳しい戦いを耐え抜きつかんだ勝利、導いた稲葉監督の目に涙があった。 その涙は金への期待の重圧を撥ねのけたことと預かったそれぞれのチームの選手を怪我なく無事帰してあげられる安堵感からなのだろうか。

女子ソフトボールは因縁の強豪アメリカと13年ぶりに渡り合った。 途中、苦しい展開になったが奇跡的なファインプレーにも助けられ、上野由岐子投手が踏ん張った。 2-0、強豪アメリカを倒し日本に金をもたらした。

「東京2020オリンピック」・「東京パラリンピック」観たこと、感じたことU

 8月24日から行われたパラリンピックは9月5日まで世界から集まったパラアスリート4403人の参加によって盛大に行われました。 今回の「東京パラ」は夏季大会での2度開催(同一都市)は初めてになり、 57年前と今回の開催を比較することによりパラスポーツの歴史が辿れると思います。 このスペースでは多くは語れないのですが、前回(1964年)のパラリンピックがどのような経緯で東京に来たのか簡単に触れてみます。
 1960年、大分の国立別府病院の整形外科医だった中村裕医師がイギリスの病院を訪れ際、障害者がいきいきと生活をし、 やがては退院、社会復帰を果たしていくようすに、大きな衝撃と刺激をもらい、帰国してから日本にもパラスポーツを普及させようと奮闘したのが始まりでした。
 障害者がいきいきして暮らしている原因は何か、それがスポーツだったんですね。 「失われたものを数えるな、残されたものを最大限に行かせ」と障害者の社会復帰を推進してきたグッドマン博士の指導を受け、 別府にリハビリ施設「太陽の家」を開設し、障害者が自活していける道を作ったとされます。 その後、障害者体育大会を開き、後に1964年「東京オリンピック」が済んだ東京で「パラリンピック大会」を開催したというのが経緯だったようです。 その時に日本選手団団長を務めたのが前述の中村医師でした。
 1964年、この時のパラリンピックのメイン会場は我々がいつも利用している織田フィールドだったとメンバーの星野恭子さんの記述(「走輪U」)にありました。 パラスポーツとアトミクラブは織田フィールドを通じて、どこかで細い糸が結ばれていたのかもしれません。
 連日、熱戦が繰り広げられたパラリンピックですが多くの種目を語れません。 ここでは、いくつかの印象に残った試合やパラアスリートが発した言葉などを取り上げていきます。

【東京2020パラリンピック(2021年8月24日〜9月5日)観戦記】

パラリンピックの競泳種目が開始されて早々、 女子競泳背泳ぎ100mで14歳の山田美幸選手(運動機能障害S2)がいきなり銀メダルを獲得した。 山田選手は最年少(日本選手)、初出場で2つの銀メダルを獲得した。両腕を欠き、足の長さも左右が違う。 左右の足を全身で蹴り、泳ぐ姿に引きつけられた。山田選手のこの活躍がこの後の日本水泳チームの活躍に火をつけた。

男子競泳自由形の鈴木孝幸選手(運動機能障害)が金を含めメダル5個を獲得した。 生まれつき右足がなく、左足も膝までしかない。それなのに全身を使った泳ぎは力強い。 競泳バタフライ100mでは木村敬一選手、富田宇宙選手(ともに視覚障害)がワンツーフィニッシュ。 「障害の違う選手が同じレースに出るので、五輪ではありえない差でもゴール付近では僅差になる展開がある。 限られた能力を最大限に発揮するところに注目してほしい」(鈴木)

エジプトの卓球選手イブラヒム・マハト選手はラケットを口にくわえ、 頭を左右に振りながらボールを打つ。サーブは右足の指でボールを挟み、トスを上げる。10歳の時に事故で両腕を失い試行錯誤でこのスタイルを確立したという。 どうしてこんなことができるの?感嘆しかなかった。残された機能を最大限に活かしたパラスポーツの神髄をみた。

車いすラグビーは金メダルを目指したが準決勝でイギリスチームに惜敗し、悔し涙の銅メダルとなった。 日本を破った相手、イギリスチームは優勝。池透暢選手や池崎大輔選手ら屈強な男性陣に混じり一人の女子選手がいた。 倉橋香衣選手だ。激しいあたりが認められる車いすラグビーにあって相手側の大きな選手をブロックしていた。 「私の仕事は相手側の選手の邪魔に入ること。たとえ飛ばされたってこのラグビーは楽しい!」(倉橋)

水の女王と呼ばれる競泳の成田真由美選手(51)が最後のレースを6位入賞で泳ぎ切った。 96年のアトランタ大会からじつに6度目のパラ出場。東京開催が決まったのをきっかけに現役に復帰。 パラリンピックの広告塔として競泳界を引っ張ってきた。お疲れさま。 「私が泳ぐことでパラリンピックという言葉が少しでも活字になれば」(成田)

自転車ロード 杉浦佳子選手(50)(運動機能障害C1〜3)タイムトライアル25分55秒761位、 女子個人ロードレースでもきつい上り坂でスパートし2冠を達成した。45歳の時に自転車レースで転倒し、脳に障害を負った。 「自分の存在価値がわからなくなった。生きていていいのか悩んだ時期もあったけど、生きていてよかった」 「最年少記録は作れないけど、最年長記録はこれからもつくれますよね」(杉浦)と笑顔がすばらしいおばさん?金メダリストだった。

陸上男子(車いすT52)佐藤友祈選手400m、1500m2種目を制す! 2種目ともリオの金メダリストマーティン選手(米)との一騎打ちをいずれも最後の直線で勝負を決した。

トライアスロン男子(運動機能障害PYS4)で初出場の宇田秀生選手 銀、同男子(視覚障害)で米岡聡選手※  銅メダル 1時間2分20秒。「障害を負っているけど、アスリートとして見てもらえる良い機会になればうれしい」(宇田)
※米岡選手へのメンバーのメッセージは別掲する。

車いすバスケットがとてもおもしろかった。 ふだんバスケットなど見ない自分が車いすバスケットにはまってしまった。 日本チームの活躍を予選から決勝まですべての試合をテレビで追いかけた。 パラリンピック種目の最終日、前回王者のアメリカと日本チームが堂々と渡りあった試合。 ゲームは前半、アメリカがリード、中盤から後半で日本の追い上げ、 一時は5ポイントのリードさえ奪ったがアメリカチームの長い腕を使っての守備に日本の速攻が遮られ、 惜しくも金メダルは逃した。 それでも日本チームは初めてのメダルを銀で獲得。世界の強豪と渡り合えた力はチーム一丸となる組織力に裏付けられていた。 攻撃のポイントゲッターの藤本怜央選手、香西宏昭選手の3ポイントシュートも凄かったが鳥海連志選手の相手の攻撃の芽を摘み、 反転して攻撃の要をつくっていく姿に感動すら覚えた。

車いすテニス男子シングルの国枝慎吾選手がリオオリンピックの雪辱を果たし2大会ぶりに金メダルに輝いた。 上地結衣選手も女子シングルで銀メダルを獲得した。 女子ダブルスは上地、大谷桃子組が3位となった。 「優勝の瞬間は人生の中で一番幸せな日だった。日本チームの主将として結果で貢献できてほっとしている」(国枝)

パラ最終日はマラソンのすべてのクラスがテレビを介して同時に見られた。 経過時間こそ違うものの「車いす」、「視覚障害」、「腕に障害のあるクラス」などが交互に映し出され飽きなかった。 視覚障害女子では道下美里選手が後半スパートし後続を断って金メダルで締めた。 道下さんのゴールの一瞬間、日差しがさした。天が祝福してくれたかも。 試合後、道下さんはインタビューに答え「5年前の忘れ物をとりにいった」(道下)とリオの悔しさを晴らした喜びに溢れていた。 「世界一の伴走者、そして素晴らしい多くの仲間に出会えてよかった」と翌朝6日のNHKインタビューに答えていた。

ボッチャの個人種目決勝で杉村英孝選手(脳性まひBC2)が前回王者を下し金メダルに輝いた。 ボッチャ界初の金メダル獲得。不自由な足と腕を駆使し絶妙なコントロールで白いボール目がけて投げ込んでいく。 精度の高い一投に前回リオの王者もお手上げだった。「この5年間、挑戦してきたことを全部だそうと思っていた」(杉村)団体3位、ペアは2位

アーチェリーに出場した選手の中に岡崎愛子さんの名前があった。 16年前のJR福知山線の事故で怪我を負い車いすの状態になった。首の骨を折り、頸髄を損傷。一時は「このまま死ぬんだ」と覚悟したという。 アーチェリーとの出会いが人生を変えた。1回戦を勝ち抜き、 2回戦では金メダリストになった中国の選手に惜しくも敗れはしたが充実した試合ができたことで悔しさはないという。 「事故の被害者でかわいそうと見られるのは嫌。生きるなら楽しみたい」「どんな困難も、どうしたらできるかを考える」(岡崎)

※視覚障害トライアスロン3位の米岡聡さんに向けられたメンバーからの
 メッセージ集


[3917] 鴻巣のイカンガー [関東] 2021/08/29(Sun) 09:38
昨日のパラリンピック、トライアスロンで米岡聡選手が銅メダル獲得しました。おめでとうございます。もうだいぶ前になりますが、伴走練習会でご一緒したり、地元のマラソン大会に来て頂いたりしました。 こんなご時世なので現地には行けませんでしたが、鴻巣からずっと元気玉を送り続けていました。本当に良かったです。 週末に、地元の競技場で小中学生クラブチームのコーチをしていますが、その傍らでバラリンピック日本代表の方々も練習されているのを見ています。 過日閉幕した東京五輪では、女子中長距離の田中希実選手がレース終了直後に、スタンドに向って元気よくありがとうございましたと一礼していた場面が良かったです。 日本でも800メートル・1500メートルがもっと人気種目になって欲しいですね。 猛暑が続きますが、お互いに体調に気をつけて練習を楽しんでいきましょう。
[3919] 関田 [関東] 2021/08/29(Sun) 10:16
鴻巣のイカンガーさん、伝言板への投稿ありがとうございます。米ちゃん、見事銅を獲得しましたね。2004年の「アテネパラリンピック」に出場し、「金メダル」をみやげに凱旋帰国した勇ちゃんこと高橋勇市さんを思い出しました。 今日(8月29日)も様々な競技でパラアスリートの活躍により素晴らしい競技でのドラマと、スポーツに打ち込む姿に感動をもらえそうです。また今日もテレビから離れられない一日になりそうです。
[3921] 板井一広 [関東] 2021/08/29(Sun) 22:06
米岡聡選手といいますか、ヨネチャンといった方がぴったりときますが。 米岡選手、東京パラリンピックトライアスロン銅メダルおめでとうございます。 ヨネチャンは亡くなられた袴田さんが10年以上前ですがアトミクラブの練習会に誘って、当時、山内さんがメインとなって伴走されたように記憶しています。5000mのTTスタート直前に伴走予定の山内さんの調子が悪くなって代わりに私が伴走した記憶があります。今では考えられないタイムですが初めて20分を切って2人で大喜びしたことが忘れられません。 新型コロナの影響で合同練習がいつ再開できるかわかりませんが早く織田で練習再開されることを願っております。
[3922] わにさん [関東] 2021/08/30(Mon) 09:58
当時、よねちゃんをメインで伴走していた山内です。トライアンスロン、テレビで観戦していて超興奮しました!!よねちゃんが、アトミに来た経緯は、よく憶えていませんが、最初に伴走したのは皇居で毛爺と一緒に4分半/kmで引っ張った記憶があります。当時はまだよねちゃんも学生だったので、もう14〜5年前だと思います。 昨日8月29日のNHKラジオ第一、23時くらいから、高橋勇市選手がトライアスロンの解説者として出演していました。「らじるらじる」というアプリで1週間聞くことが出来ます。 https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=7025_01_3724690 46分過ぎくらいからです。素晴らしい解説です。是非聴いてみて下さい。 勇市さんもよねちゃんと一緒にトライアスロンでパラリンピックを目指していましたが惜しくも選考から漏れてしまいました。
[3932] なかざとりょうすけ [関東] 2021/09/02(Thu) 22:55
 ここのところ悲しいことが続きましたが、パラリンピックで米岡さんがメダルを獲ったというのは、アトミクラブにとっても明るい話題になりました。 一度だけですが、5000mTTで伴走させていただいた頃が懐かしく思います。 伴走したTTで当時の自己ベストが出て、後日「あれが本人も自信になったみたいだよ」と別の方から聞きました。それがここまで繋がったなら本当にあの時、伴走を引き受けて良かったと思えますし、嬉しく思います。よねちゃん、おめでとう!

パラリンピックの観戦を終えて・・・あとがき
9月5日ですべてのパラ競技が終了しました。今回、テレビで観戦しながら、パラアスリートが障害を恐れず、 競技に打ち込む姿に言葉では言い表せないくらい感動をもらいました。
 選手の方々の障害は先天的なものから病気によるもの、事故などによる後天的なものまで様々ありました。 ご本人の努力と周りの方のサポートで困難な人生を克服してきてのこの場がありました。 パラリンピックでは一つの競技が障害の度合いによって細分化され、公平公正な運営がなされていることを今回、初めて知りました。 選手や関係するすべての皆さまに敬意を表したいと思います。 アトミクラブの皆さんの中にも障害者をサポートされる方が大勢いらっしゃいます。
 今後も引き続きパラスポーツにご理解いただきご支援をお願いいたします。
(アトミクラブ通信編集人)

<練習会報告> 2021年7月〜8月の練習会の内容
7月 1日  雨のため中止
7月 8日  夢の島競技場時短練習 1000mインターバル 4本〜7本
7月15日  緊急事態宣言により練習会中止
7月22日  緊急事態宣言延長により練習会中止
7月29日  緊急事態宣言再延長により練習会中止
8月 5日  緊急事態宣言再延長により練習会中止
8月12日  緊急事態宣言再延長により練習会中止
8月19日  緊急事態宣言再延長により練習会中止
8月26日  緊急事態宣言再延長により練習会中止

2021年9月14日更新
           
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