アトミクラブ

アトミクラブ通信 NO.16 1995年3月


第44回奥武蔵駅伝競走大会

大会参加者の記録報告 No.16



■ 第44回奥武蔵駅伝競走報告(1月19日)

Aチーム堂々2連覇

1月29日、伝統の「奥武蔵駅伝」が快晴のもとで開かれた。過去1 0年の間に3度の優勝を遂げている我々アトミクラブとして初の連覇をかけた意義ある大会である。 Aチームは、今大会も総合力で他チームを圧倒し初の連覇を達成した。

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近況報告

揺動の関西より第一声 豊中市 安東義行君
 前歴 その後、皆さんお変わりございませんか。毎回送って頂いている アトミクラブ通信で皆様の活躍が手に取るようにわかります。
 さて、阪神大地震についてですが、私の住んでいる豊中市も4人の方が 亡くなる程の甚大な被害を受け、発生から1週間程はパニック状態でした。 しかし、私の家は、幸い震源地から遠かったことと活断層からそれていた、 全くの被害を蒙ることなく普段通りの生活をしています。 まずはご安心ください。
 とはいうものの2月9日の延岡西日本マラソンに向けての練習計画に大きな狂いが生じてしまったここが残念でなりません。 調整のために出場を予定していたローソレースの相次ぐ中止・練習グランドの一時的閉鎖に加え 「こんな状況の時にマラソンなんてけしからん」といった周りの空気もあり、非常に走りにくい環境下に置かれています。
 私自身、一時は出場辞退も考えましたが、今回の地震で逆に「人間の命なんて、 いつなくなるかわからないもの。 やれるときに目一杯頑張らないと後で悔いを残す」と思い、予定通り出場を決めました。
 今はとにかく限られた時間と環境を最大限に利用し目標の30分台を目指し、ひた走つている毎日です。
1月27日付け はがき

子育てランナー 東京女子マラソン奮戦記 本田美恵さん
 みなさんお元気ですか。早速ですが11月20日のレースの報告をいたします。 スタートして、すぐに8人から10人くらいの集団(第三集団くらいだと思うのですが…)につくことができました。
 しかしこんな集団のレースは初めてのせいか走りにくく、思うように給水がとれれず、ひじがぶつかったり、 足を蹴られたり、背中を押されたりと散々な目に遭いました。 集団に揉まれたせいか、20Kmまでは、あっという間に過ぎました。
 ハーフ手前で少し集団から離されかけましたが粘ってつけました。 25K付近からモタが入ってきて少しペースがあがり苦しくなったのですが、 モタと走れると思ったらまた少し元気がでてきました。
 ですが、30K地点でたのみのモタ(棄権)がいなくなってしまい、 このころから足にジワジワとした痛みがきはじめましたた。 35K地点ではとうとう集団から置いていかれ、 そこから先はゴールまで一人旅になってしまいました。
 苦しいレースでしたが、2時間44分38秒で自己ベストを出すことができました。 ことしは自己ベストが出せなければ少し休もうと思ったのですが、 また1年続けられそうです。
 みなさん応援ありがとうございました。寒くなりましたので風邪に気をつけてください。
1月24日付け はがき

<事務局より一言>

 本田さんには早くからレースの報告をいただきながら掲載が遅れていまいました。 ごめんなさい。



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