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RUNNER's四字熟語その49 満身創痍(まんしんそうい) |
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ちょっと、ややこしいですか?
「満身」は身体全体、全身、体中(からだじゅう)、体いっぱい。また、身体に満ちること(さま)。
「創」は、傷つける、傷つく。また、はじめる、つくる、かつて無いものを生み出す、初めて作り出す、初めて事を為す。
「痍」は、きず、切り傷。また、傷つく、傷つける、損なう。
「創痍」(創夷とも)は、刃物によって負った切り傷。戦争などで受けた痛手、戦いなどによって被った損害。また、心に受けた傷害。
「満身創痍」で、全身が傷だらけであること(さま)。からだじゅう傷だらけになること。
転じて、ひどく痛めつけられていること(さま)、はなはだしく痛めつけられたさま。苛酷な非難に曝された状態。
「満身傷痍(まんしんしょうい)」も同義。
さて、ランナーのあなた、
我々にとって、走ることにより受ける傷は普通、他者が振るう刃物によるものではありません。
怪我なのか、病気なのか、それとも走力の限界なのか、ランナーに起こる傷は内発性のものがほとんどです。
それだけに、内省的な認識や自覚が求められます。
足底筋膜炎・肉離れ・疲労骨折などの怪我、これらは悪くすると故障が故障を生むことになります。
痛みを覚えたらすぐにスポーツドクターやマッサージ師・鍼灸師の適切な治療を受ける必要があります。
長く走り続けるための秘訣です。
ランナーなら、痛みが大きく二つに分けられることを知っています。
走ることで癒えていく痛みと、走るほど悪化する痛みです。
「怪我は走って治せ」は、全ての痛みに適合するものでなく多分に精神論的で、状況判断が必要です。
筋肉痛でも、善玉と悪玉は区別してかからねばなりません。練習やレース後のクールダウンや、翌日以降の軽めのジョグで軽減される類いの筋肉痛は善玉です。
口ではきつかったとか、もう駄目だとか言っても、体力・走力の限界内でのことです。
心配するまでもない、聞き流しにできることです。
走った後に十分にストレッチを行い、数日の調整に留意すれば、どうと言うこともありません。
炎症や腫れを伴ったり、頭痛・胸部痛や目眩や手脚の痺れを伴ったりして、それが度重なり昂進するようなものは、悪玉を疑う必要があります。
本当に満身創痍の身体になっては、元も子もありません。
素人判断での我慢や根性や気力でカバーせず、通院して精密検査を受けることです。
表現としては「満身創痍」でも、羨望を覚えることがあります。
フルマラソンやウルトラマラソンで、自分の全ての力を出し切って「もう一歩も走れない(歩けない)」と身動きならなくなったランナーの姿です。
日々の練習で鍛え上げてきたランナーが、自分の体力・走力ぎりぎりの走りを終えて疲労困憊を晒す姿、
「そんなになるまで走らなくても」と傍目には思われる無惨な姿ですが、自らの限界まで体力気力を酷使した「満身創痍」に共感を持つのは、
走る「至福」を識るランナー同士だからでしょうか。なにしろ、
走らない人の目には、歯を食いしばって苦しさを耐え忍ぶだけの運動、悲壮な覚悟が要るものとしか見えないスポーツで、
「何を好きこのんで、私はとてもとても」が本音なのですから。
時代の嫌な側面ですが、中傷やデマにより他人に濡れ衣を着せ、根もない批難や印象批評をネット上で炎上させ、
他人の心をズタズタに斬り刻んで愉快がる手合いが蔓延っているようです。
自分は埒の外にいて責任感も罪悪感もないのでしょうが、満身創痍になる方はたまったものではありませんね。
自らの限界を究めることの内省的価値「至福」を知る我々ランナーとは無縁のことでありたいものです。
桜、桃、杏、藤、庭常、水木、山梨など、満身に花影を受けて快走する、我々の楽しい季節の到来です。
足もとでは、著莪、躑躅がエールを送っています。
全身が傷だらけになること。全身に傷を負い身動きならなくなること。
完膚なきまでに叩きのめされること。
自分の限界を超えて疲れ果て、立ち上がれなくなること。
Kang(1)記
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