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RUNNER's四字熟語 その25
虚心坦懐(きょしんたんかい)

 ちょっと、ややこしいですか?
 「虚」は、何も無いこと、空しいこと、邪心がないこと。
 「虚心」は、心を空しく何も思わないこと。いつわりのない心。
私心を去った公平な心。
欲望や不信・不満などがあれば「虚心」ではいられなくなる。
心にわだかまりがない意では「虚無」と重なるが、「虚無」は多く、既成の秩序や価値観を超越または否定する意味合いで用いられる。
「無心」も、何の気も心もない意としては語義が通じるが、こちらは「心」が主語で、真心がない意や、思い遣りがない意でも使われる。
日本では中世以降、遠慮もなく物をねだる意で使われることが多くなった。
 「坦」は、土地が平らかなこと。ゆったりと広いこと。
転じて、心が平らかなこと、心安らかなこと。心広いこと。
 「懐」は、心にいだく、おもう、なつかしむ意。
また、胸にいだく、ふところにする、身ごもる意。
 「坦懐」で、心穏やかで全くわだかまりがないこと。
好悪の感情にとらわれず心平らかなこと。
物事にこだわらない様子。  「虚心坦懐」は、「虚心」と「坦懐」の重複する意を取って、心にわだかまることなく、落ち着いた心情。
先入観にとらわれない素直でさっぱりした様。愛憎の心情を捨て去った公平無私な気持ち。
また、素直に心を開くこと。四字熟語としては、「虚心平意」や「虚心平気」でも同義。

さて、ランナーのあなた、
政治家が偉ぶって、さも度量が大きいかのように、何だか分からない意味合いで使うことの多い言葉ですね。
言葉の使い方で胡散臭さを感じる向きもおありでしょうが、四字熟語自体に罪はありません。
ランナーにとっては、レースのスタートラインに立った時と、ランナーズハイになっている時の心境が「虚心坦懐」に近いと思われます。
 アップ段階までは誰しも、結果を残そうと意欲に溢れていたり、走りの組み立てにこだわっていたり、ライバルとの競争心に燃えていたり、体調が思わしくなく気がかりだったりするものです。
しかし、いざスタートラインに並び、スターターが「位置について」の号令を出した瞬間、号砲が鳴るまでの数秒ですが、静寂が訪れます。
それまで話していたり、足を踏み鳴らしていたり、思い思いに屈伸などをしていたランナーたちが、一様に口を閉ざし、耳と心を澄まします。
心の中のわだかまりも消え、一途にレースに向かおうとする一瞬です。
その時のランナーの心境は、こだわりも欲望も成心も無く、素直な個に立ち返り、ひたすらに直向きなものとなっています。
正に「虚心坦懐」の心の静寂です。
レースが始まり、最初の5km、10kmは位置取りや体調把握やペース調整など、心にわだかまりが生じることが多いのですが、調子が乗ってくると肩の力も抜けて走りが楽になります。
苦しいとか辛いとかの雑念も振り払われ、一定のペースで走っている頃も、「虚心坦懐」の心境にあると思われます。
男性にありがちですが、終盤に女性に抜かれて空元気を発揮すると邪心が生じ、自分を見失い、虚心坦懐から外れます。
自らのペースを崩し、空しい結末を招きかねません。
ラスト近く、限界が訪れようとする頃はそれどころではありませんね。


胸につかえる不満や不信の感情がなく、心が平静なこと。先入観を持たずに心が素直なこと。
⇒物事に臨むにあたり、わだかまりなく心が平らかなこと。
Kang(1)記

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