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RUNNER's四字熟語 その22 好事多魔(こうじ ま おおし) |
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ちょっと、ややこしいですか?
「好事」は「好き事(よきこと)」で、善いこと、善行、正しいこと。
「多」は数量が多いことだが、漢文では返読文字として扱う。
「多」を述語とする主語は「多」の次に来る点に注意が必要。
中国の言葉では「主語+述語」の語順にならず「述語+主語」の語順となる文字があり、「多少」の「多」も「少」もその一例。
「多感」なら「感ずること多し」と訓み、感じることが多いこと、感受性が強いこと。
「多彩」なら「彩り多し」と読んで、彩りが多いこと、種類が多くて華やかなこと。
「少年」なら「年少し(としわかし)」で、年が若いこと、若者。
「魔」は邪魔、妨害。
「多魔(まおほし)」の訳は、多くの魔ではなく、「魔が多い」。
支障の起こることが多い。
「好事多磨」の用例も古くから散見される。
「磨」を「魔」の音通と見れば四字熟語としての意味は変わらない。
「多磨」のままなら「磨くことが多い」の意となる。
なお、「多少」「多寡」などは対義語による熟語構成のため、「述語+主語」の場合とは熟語の成り立ちが異なる。
「多少塊銭?」でHow much money ? となる。
さて、ランナーのあなた、
せっかく東京マラソンに当選したのに出張が入ってしまったとか、せっかく横浜国際女子マラソンに向けて調整していたのに急用ができて出られなくなってしまったとかいう経験は有りませんか。
ランナーにとって東京マラソン当選も好事、横浜国際マラソン出場も「好事」ですから、降って湧いた出張や急用は「魔」としか言いようがありません。
新たなことに取り組む際の心得は、限界を決めずに一から始めることです。
自分で限界を決めてしまうと、それが壁となって容易にそこを越えられなくなります。
「自分は駄目だ」と思い、「もう限界だ」と感じることが「魔」となり、自分の可能性を狭めます。
ランニングもそうです。
まずは“try”が必要で、“challenge”は慣れて楽しさを覚えてからでよいのです。
走りたくなる気持ちが「好事」です。
小さなハードルが次々に現れても、練習次第で難なく越えて行かれるものです。
今の走りが精一杯だと感じてしまう心が限界を作ります。
「魔」を招きます。
日々の体調とは全く別次元のことです。
体調の悪いときは無理しないのが当然です。
アトミクラブの練習でも、自分で限界を決めつけるのではなく、今の自分の走力よりもほんの少し(100mで1秒)速いグループで走ろうとする気持ちが「魔」を克服していきます。
マラソンがメンタルスポーツだとされる所以です。
何事でも誰でも限界はあり、それを識ることも大切です。
挑戦し続けた後に漸く分かる限界は意味が違います。
健康を害さな
いためにも率直に認めざるを得ません。
年齢と速さの相関は否定できませんが、年代なりの新たな“challenge”があるはずです。
サブスリーを目指して練習を重ねた人が体験する「好事多魔」が有ります。
イーブンペースなら4分15秒/km、21分15秒/5kmで2時間59分20秒ですが、そうそう設定ペースでいくものではありません。
十分な準備をしてレースに臨んだとしても、当日の風、気温、天候、体調、コース、スタートの位置などの諸条件まで思いどおりにはなりません。
18分/5kmの走力を持つ人でも、最初は21分〜22分/5kmで抑えて入るはずです。
「魔」が差すのは、10kmを過ぎて身体が動き始めた時(「好事」)です。
調子に乗って4分/kmを切って走ってしまう(「魔」)と、30km〜35kmで限界が来ます。
足が止まり、レースをあきらめざるを得なくなります。
十分な練習を積んでサブスリーをイメージしたランナーですから、達成可能な目標だったはずです。
自ら招いた「魔」で、自分のチャンスを捨てることになります。
よいことには邪魔が入りやすいものである。善い行ないにはとかく妨害が入りやすい。
有益だと思ってすることでも、邪魔が入ることが多いものだ。
⇒よいことには得てして波風が立ちやすい。
調子が乗ったときに注意しろとの警句。
Kang(1)記
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