アトミクラブ
RUNNER's四字熟語 その16
唯我独尊(ゆいがどくそん)

 ちょっと、ややこしいですか?
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」の略。
「唯」は稀に「惟」を使う。
「天上天下」は「てんじょうてんが」と読む例もあるが、「上」は漢音「ショウ」、呉音「ジョウ」、「下」は漢音「カ」、 呉音「ゲ」であるため、仏教関連語としては呉音での読みが基本。
天地の間、宇宙全体の意。
誕生間もない釈迦が、右手で天を指し、左手で地を指して言ったとされる。
四方に歩いてなのか見回してなのか、故事に、七歩進んで述べたとある。
指さすのも話すのも見るのも歩くのも、赤子のなせる業ではない。
「唯我独尊」は「唯(ただ)我(われ)独(ひと)り尊(そん)するのみ」と訓読。
自負・自尊の語。釈迦に限らず諸仏が宇宙で最も尊い存在であるとの覚悟に立ち「一切の衆生に悟りを開かせ、俗世の苦しみから解脱させる」宣言と解釈される。
転じて、この世で自分より尊い(優れている)者はないと自惚れること、ひとりよがり、慢心。

 さて、ランナーのあなた、
 東京マラソン効果でランナー人口が飛躍的に伸びています。
第3回は7.5倍もの応募があったそうです。
競技の裾野が広がるのは嬉しいことですが、87%が落選と思うと恨めしい気がします。
今年のあなたに当選の女神が頬笑みますよう、三拝。
織田の混雑にも拍車が掛かっています。
コース確認の基本さえ分からない人たちが来ています。
クラブによっては他のランナーを蹴散らして走る唯我独尊チームもあって、いつか事故が起こるのではないかと心配です。
アトミクラブも、人数が多いだけに固まりやすく、一般開放日などにはトラックを専有しないような注意が必要ですね。
 あなたはところで、自分は速いと思っていますか?自分は走る素質に恵まれていると思いますか?素質の有無と能力の有無は次元が違います。
素質だけで走って勝負できるのは年少時に限られます。
どんなに素質豊かでも、競技との出会いや努力の継続が無ければその能力が発揮されることはありません。
ランニングと出会って、努力して、走り込んで、漸くランナーとしての地力が培われ、能力として開花していくのです。
どんなに素質があっても、サブスリー達成には月間300km程度の練習が必要なことをランナーなら皆が知っています。
月に500kmを超す準備をする人もいます。
1000mや5000mを誰よりも速く走ったとしても、フルマラソンを走りきる保証はありません。
 ふだんの練習で5'00"/kmの人が3時間30分切りを、4'15"/kmの人が3時間切りを果たすのは難しいことです。
その目標を達成するためには、4'30"/kmや3'45"/kmでの練習が欠かせません。
「サブスリー」の宣言(=決意表明)に当たり、メンタル面では「唯我独尊」が有効です。
「自分にはできる!」と自負するくらいが丁度です。
備えがないと、いたずらな苦悩や迷いが発生します。
ランナーの場合、それを救うのは向上心と自尊心と、走破への自信あるのみです。
「唯我独尊」の語は、発想が内向きか外向きかで大きな懸隔が生じます。
内向きだと自己主張と自己顕示が強まります。
速さこそ一番とばかりに、遅きを軽んずる発想につながります。
外向きだと他者理解と他者配慮が進みます。
速きを認めつつ、遅きをも重んずる気持ちになります。
勝ち負けにこだわって敗者を軽視するより、共走の喜びを共有する方が心豊かにランニングが続けられるというものです。
 世間では、成功した人の評判ばかりが高く、成功しない人が悪いと言わんばかりの風潮が蔓延しています。
勝ち組⇔負け組という語が流行する背景となっています。
富める者も貧しきも、人の価値が問われるのは懸命に生きているか否かです。
 国際マラソンのテレビ中継で映し出されるのは常にトップ選手です。
後続の選手たちの国際レースに出られた誇りは映し出されません。
選手権でありスポンサーの思惑もあって致し方ないとはいえ、ランナーの端くれとしては後続を切り捨てることなく、懸命に走る姿に共鳴し共感を覚えたいものです。
市民マラソンの場合にはトップだけを賞讃するより、走ることを楽しむランナー全員にスポットが当たって良いように思われます。
少なくとも懸命にゴールを目指す最後の選手まで温かい声援を送りたいものです。
マラソンの魅力は、努力無しには完走できない点にあります。
年齢も走力もスピードも異なるランナー同士が互いに相手の走りを評価できるのは、タイム以外の基準に照らして見るからです。
相対的な速さより、その人の意欲・努力・継続などに価値を認めているからです。
自負は本来、練習と努力によって培われるものです。
自分の努力があるから人の努力が見えます。
自分の今を磨くことで人の真の魅力が見えてきます。
遅いから駄目、速さこそ命などという単一的尺度は「ひとりよがり」の押し付けを招き心を貧しくします。
ランニングを好み、楽しみ、仲間を増やしましょう。
 ランナーなら誰しも、昨日より速くなりたい、今日の走力を維持したいと、速さを求めて練習を重ねます。
しかし、速さを求めるということと、速さにのみ価値観を置くことは別物です。
速きを誇り遅きを侮るのではありません。
速きも遅きも、ランナーの価値が問われるのは懸命に走っているか否かです。
人との競争ではなく自分との勝負です。


⇒「天上天下唯我独尊」は、この世に生きる全てのものの苦悩や迷いを救うのが本願であるとの度脱(どだつ)宣言。
⇒仏陀の使命感と決意の表明が本来の趣旨だろうが、 多分に言葉や字面が一人歩きしている現実がある。
⇒自分のみが優れた存在であると の「うぬぼれ」や「ひとりよがり」を揶揄するニュアンスで用いられることが多い。
Kang(1)記

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