アトミクラブ
RUNNER's四字熟語 その15
画竜点睛(がりょうてんせい)

 ちょっと、ややこしいですか?
もと、「畫龍點睛」。「画」は「畫」の略字。「竜」は「龍」の省略体、「点」は「點」の略体。
「睛」は目偏で、よく澄んだ瞳の意、日偏の「晴」とは別字。
「龍」の音は、リョウが漢音、リュウが呉音。慣用音でロウ。
「竜を画きて睛を点す。(りょうをえがきてひとみをしるす。)」と訓読。
 南北朝時代、梁の名絵師の故事に依拠。
「金陵の安楽寺の壁に四体の白龍を描いた際、絵師は最後まで眼を入れようとしなかった。
その理由を問われて、瞳を入れると飛び去ってしまうからだと応えた。
しかし真偽を迫られ断り切れず、出鱈目でない証として二龍に眼を入れたところ、たちまち雷電が壁を破り、龍は雲に乗って飛び去った。
瞳を入れなかった二龍は壁に残ったままだった」という。
 「画竜点睛を欠く」で、ほぼ出来上がっているのに肝心な点が欠けているため仕上がりが不十分である喩え。
詰めが甘いこと。

 さて、ランナーのあなた、
画竜点睛の走りとは何でしょう。画竜点睛を欠く走りとは何でしょう。
 サバイバルレースに競り残って構成されたトップ集団を想定してみましょう。
勝負の世界なら、最後部からスピードの切り替え鋭くトップに躍り出てそのまま振り切って優勝のテープを切るのが画竜点睛の走りです。
せっかくトップ集団を引っ張る良い走りを見せながらも、ラスト勝負で後続に刺され競り負けるのが画竜点睛を欠いた走りと言うことになります。
大向こうを唸らせるような切れ味を見せる走りは、ただ闇雲に走り込んだりスピード練習すれば出来ると言うわけでもなさそうです。
練習無くして良い走りは叶うべくもないのですが、最終調整の段階で何をなすべきか、認識一つで結末は大きく変わってくると思われます。
自分の考えも必要ですが、周囲の助言やコーチの指導が大きな意味を持ってきます。
市民ランナーである私たちが自分を客観視するには、練習仲間の走りを観察すること、ライバルの走りを分析することが欠かせません。
ふだん和気藹々と走っている仲間であっても長所・短所がそれぞれで、自分に照らして看ると結構ヒントが隠されているものです。
腕振りだけでも、意識するかしないかで走りが変わってきます。
 伝えられる故事は故事として、この四字熟語で最も魅力的で示唆に富む文字は「睛」です。
よく澄んだ瞳が「睛」ですが、乳幼児の無垢な目とは別物です。
「睛」には、一朝一夕では得られない深みがあります。意欲、意思、向上心、前向き、懸命さ、直向きさ、工夫、努力、辛苦、克服、継続、習練、研鑽、貫徹、自信、自負、信念などを感じさせます。
世俗的利害からも離れ、全ての雑念を払った後の無償の清澄さが「睛」です。
何かが成し遂げられたその瞬間にのみ宿る輝きです。観る者を感動させる美しさが籠められています。
 マラソンでは、バルセロナ〜アトランタの有森裕子に、シドニーの高橋尚子に、アテネの野口みずきに我々が観たものが「睛」でした。
北京では、日本で育ったケニアのS.K.ワンジルに「睛」が見られました。
日本陸上では、見事なバトンリレーで銅メダルを引き寄せた塚原直貴・末續慎吾・高平慎士・朝原宣治の400mリレーがまさに画竜点睛でした。
リレーの眼目を世界に示すレース運びに魅せられました。
アメリカ・イギリス・ナイジェリアなどの有力なメダル候補がバトンミスで画竜点睛を欠く中での快挙です。
 天を衝くほどの意気込みのみならず、いざという時に結実させて初めて獲得することができる「睛」、目薬を注した程度でスムものではなさそうですが、私たちはせめて、精一杯練習して成し遂げた「完走の喜び」の中に「自らの睛」を味わいたいですね。
自分を誉めたくなる走りを目指しましょう。


⇒物事の肝心なところ。
⇒物事を完全に成し遂げること。
⇒物事を完成させるにあたり加える最終の一手。
⇒物事の眼目。最後に大切なところを加えて仕上げを完全にすること。
⇒僅かなことで全体が引き立つこと。
⇒仕上がりを際だたせる肝心かなめ。
⇒少し手を加えただけで全体が活きること。

Kang(1)記

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