アトミクラブ
奥武蔵駅伝1994
安東義行(入会1990年)

 私がアトミクラブで活動していたのは1990年から1994年の4年間です。わずか4年間ですが、とても濃密な時間を過ごすことができ、思い出は尽きません。なかでも最も私の心に残っているのは1994年1月の奥武蔵駅伝で優勝したことです。

 私が初めてAチームで走らせていただいたのは前年の1993年大会でした。故障中の山川寛さんに代わり5区を走ったのですが、そのときの私は、5000メートルで16分30秒くらいの力しかなくAチームで走るには全くの力不足でした。区間8位で後続ランナーにも詰められてしまいましたが何とか2位を死守し、アンカーの細野亮司さんにタスキを渡したときは、情けなさと申し訳ない気持ちで一杯でした。

 そして、1994年です。私は前年に続き5区を走ることになりました。この1年で走力も向上し15分台で走る力がついていました。しかし川口陸協のランナーも力があると聞いていましたので緊張しました。

 中継所で待っているとき、付き添いの方から「先頭から1分40秒離されている」と聞いていたのですが、川口陸協が通過した後、わずか35秒後に細野さんが坂道を駆け下ってきたときはビックリしました。4区細野さんからタスキを受けた後は、とにかく必死で走りアンカー山口正春さんに繋ぎました。タスキを渡したときは祈るような気持ちでした。

 電車でゴール地点に戻ると、山口さんの激走で逆転優勝したことが分かり、みんなと喜びを爆発させました。胴上げしたり万歳三唱したりと大騒ぎでしたね。

 その後、表彰式があり、チームを代表して山口さんが優勝盾を受け取ったのですが、「これは安東が受け取ってくれ」と私に優勝盾を預けて下さったときは胸が一杯になりました。

 その年の5月、仕事の関係で出身地の大阪に戻ることになったのですが、最後の練習会の際、「大阪に帰っても頑張れよ」と山口さんから餞別をいただいたのも忘れられない思い出です。

 あの日から25年が経過し、平成から令和へと時代も変わりましたが、あの時の最高の思い出は今も色褪せることはありません。 ありがとうございました。


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