アトミクラブ
アトミクラブ結成35年を祝う会へのメッセージ
柳原 勝(入会1984年)

 私がアトミクラブヘのお誘いを受けたのは昭和59年(1984年)3月11日のびわ湖毎日マラソン(12回目のマラソンで自己記録に近い2時間33分16秒)を完走し、帰りに京都タワーに行ったときでした。
 同レースに同行していた粕谷達さんの紹介で山本勇次郎さん、梨本忠三さん、篠原義雄さんにお会いし(以前から大会会場などで顔を会わせていましたが)、東京都体育館300メートルトラックでの練習会に参加させていただきました。
 その後、自己最高記録を2時間28分台(自身ただ1回の30分切り)まで伸ばしましたが、足の故障などが続き、20回目のマラソンは19回目から9年後、47歳8カ月で走った2時間51分台で打ち止めになっています。
 アトミクラブでの毎週の練習会とその後のビール補給、何回も参加した合宿練習……                                   青春?の数ページとして頭と身体に残っています。
 結成35年……クラブ発足初期からの参加者としては嬉しく、そして練習会・合宿などの計画、運営などにご苦労されている皆様、長く走ってこられたメンバーの皆々様を尊敬しています。また、若い参加者の皆様に対しては上から目線に感じられるかと思いますが、自己記録の更新を目指していい日々を過ごしてほしいと思います。長距離の練習は必ず本人にご褒美をくれます。
 祝う会につきましては出席せず、外からエールを送りたいと思います。
 私のパソコンの後ろにある書棚には1998年5月9日の「結成15周年を祝う会」の集合写真(B4サイズに引き伸ばし)があります。何回か幹事役などをやらせていただいたこと、多くの仲間に出席していただいたことなど、やはりアトミクラブの思い出となると1985〜98年に集中しています。
 あれから20年……ほんの少し前だったのにと思う反面、もう20年もランニングから離れているのか「あー〜!!」という感じですね。数人〜30人位の練習会が私には合っていたのかもしれません。
<追伸>
 来年、令和2年(2020年)7月24日から8月9日は東京オリンピックですね。私は陸上競技を現地で観戦したく2日間で4セッションのチケット申込みをしました。妻は別の何競技かの申込みを2名でしていますのでもっと現地観戦が増えるかもしれません。
 昭和39年(1964年)10月の東京オリンピックのときは、私は田舎の中学1年生でした。クラスメイトが聖火ランナー(後ろの数十人の中の一人)として走るので学校全体で見に行きましたが、ふ〜んという感想しかなく、学校の各教室にはテレビがないため各家庭でテレビを見るように(期間中5日間ほどの休校)との通知があったにも関わらず、近くの山や川で遊び、宿題のスクラップについては1歳上の兄と一紙しかない新聞記事を取り合いました。そんな私自身がマラソンを走るなど、25歳になるまで全く思っていませんでした。
 2020年大会の期間中は現地観戦(抽選で当選すればですが)とテレビでオリンピックを脳裏に焼き付けたいと考えています。楽しみです!!
 皆様、健康で身体のケアをしてランニングを楽しんでください。失礼しました。


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