アトミクラブ
走る仲間との出会いにありがとう!!
伊藤 真(入会1998年)

 35周年記念誌に向けてアトミのベスト記録を集計することになりました。そこで自分の記録サマリーを作ってみようと思い、まとめてみて今までの自分のランニング人生を振り返ってみました。

 私がランニングを始めたのは40歳を過ぎてから、メタボ対策でした。アトミには会社のランナーズ仲間3人と初めて参加しましたが、その後はしばらく行くことはありませんでした。

 1998年のGWに、松戸・江戸川河川敷をランニング中にMさんに声を掛けられ、「GW期間中に練習会があるよ」と誘われて参加、練習会後の飲み会も参加してすっかり気に入ってしまいました

 それからできる限り練習会に参加し、その年の年末、練習会の終わりにO黒さん宅で忘年会をやる話をしていたので(北海道から貝を大量にいただいたらしい)、「私も参加していいですか?」と申し出て忘年会に参加しました。それが縁で〇〇ちゃんズの仲間に入ることになったようで、白岡N館さんとO黒さんが中心のウルトラランナー仲間と大会・練習会&飲み会に参加するようになりました。

 サブスリーが目標でアトミに参加したので、ウルトラ用の練習ではなく、あくまでもフルマラソンの練習の一環として考えていました。秋田内陸100km大会に参加するようになり、その後はサロマ湖100kmも定番になっていきました。私にとってはその出会いが幸運だったと思います。結果としてランナーのグランドスラム(フルマラソン・サブスリー、100kmサブテン、富士登山競争完走)を果たすことができました。

 サブスリーは何度も足踏みすることになりました。荒川マラソンでまさかの3時間ジャストと跳ね返され、秋の大田原で念願の初サブスリーを達成、結局この記録が自分のマラソンPBになりました。

 〇〇ちゃんズの仲間でアトミ八戸支部?のT崎さん家族とも大事な出会い。息子のO君が障がい者でプルタブを集めて車椅子を送りたい・・とプルタブ収集も始めました。あと少しで車椅子に届きそうなところまで来ましたが、残念ながらO君は数年前に亡くなってしまいました。田沢湖高原の別荘で我々が飲んだ缶ビールのプルタブを一所懸命にはずしていたO君の姿が偲ばれます。

 2002年のサロマ湖は、2週間前に肋骨3本4カ所骨折という状態での参加でしたが、左腕を一切振らないで何とか完走することができました。それがサロマンブルー達成の一歩目でした。2003年サロマ湖は8時間台で走り、100kmのPBとなりました。

 2003年秋には「東京国際女子・記念大会」で男子も参加可能でしたが、ここでフルマラソン一度だけのDNFを経験、35km地点からK井さんと救急車に乗ったことも思い出されます。

 2007年にはO黒さん、富山のウルトラの母・T中さんとスパルタスロン246km(アテネ〜スパルタ)に参加、仲間に助けられて完走することができました、感謝、感謝です。この時のギリシャもいい思い出です。

 2010年秋に早期退職で仕事をリタイア、私の人生の転機でした。そして今の私があります。

 2011年秋にはフランスのメドックマラソンに参加、東日本大震災の年でした。この大会はアニマルの仮装をして走る大会ですが、日本的な服装で「がんばれ東北!!」鉢巻をして走りました。ワインのシャトーを巡るコースで給水はワインと水、しっかり楽しんで走ることができました。パリやモンサンミッシェルの観光も楽しかった思い出です。

 現在は趣味と実益を兼ねて、某福祉施設のマラソン教室で知的障がい者と一緒に走ることとヘルパーの仕事をしています。このため木曜日の練習会には参加できませんが、年金以外に収入があることは今後の支えになっています。これもO黒さんとの繋がりからできていること、またマラソン教室にはS田さん、K塚さん、O山さんも参加してくれています、皆さんにも感謝です。

 60歳を超えてから記録は右肩下がりとなっていますが、抗わずに長く走ることを目標に考えています。そのためにウルトラマラソンは卒業しました。故障しないで80歳になってもフルマラソンを走っていたいなぁと思います。アトミで頑張っている先輩達を見習って……。

 アトミがきっかけで多くの仲間と知り合えたことは、私の財産になっています。

 最後に、吉幾三の『ありがとうの唄』を。今の私の心境です。

♪ありがとう いえるような さいごであればいい おまえにもこどもにも すべてのひとたちに


| アトミを繋ぐ | 35周年記念文集へ |