アトミクラブ
記念誌に寄せて
村上京子(入会2007年)

 私がアトミの練習に参加するようになったのは、ハーフマラソンのタイムが1時間40分をあと少しで切れるくらいまで上達?した頃でした。当時、東京国際女子マラソン(市民の部)の参加資格が、ハーフで1時間35分未満でも認められていて、田村智子ちゃんに誘われて、私も頑張れば国際大会に参加できるかもしれないと思い、織田のインターバルや篠原監督の練習会に参加したのが、2007年の6月頃だったと思います。
 その年の夏は、とにかく練習しました。9月の資格取得レースまでの3ヶ月でタイムを5分縮めるのは、やはり簡単ではなく、ひたすらペース走をした記憶があります。結局、初めの年の挑戦はダメだったのですが、翌年の2008年、東京国際女子マラソン最後の大会に参加することができました。
 いまでも忘れられないのが、東京国際女子マラソン終盤40キロ付近の上り坂で篠原監督が応援してくれた時のことです。きっとものすごく私がヘトヘトな顔をしていたのだと思いますが、「梅ちゃん、無理しなくていいからね。」と、"ゲキ"とはあまりに異なる優しい励ましで、思わず笑いそうになりました。(辛くて笑えませんでしたが…)。
 そんな思い出にひたりつつも、織田フィールドの練習に参加できていない日々が続いていますが、毎月、アトミクラブのホームページで、翌月の練習日程を確認し、行けるかもしれないと願いつつ、自分のスケジュール手帳に予定メニューを書き込む作業だけは今も行っています。
 参加できない時期が続いていても、アトミクラブへの想いは変わりません。アトミクラブの、この包容力の大きさや懐の深さは、クラブを創設された皆さんをはじめ、これまでクラブを運営してきていただいた皆さんの理念や雰囲気が醸成してきたものだと常々敬服しています。そして、そんなアトミのメンバーでいられることに感謝しています。
 これからも、ますますアトミクラブが発展していきますよう心からお祈り申しあげます。                                 


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