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織田フィールドとパラリンピック 星野恭子 (2005年入会) |
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私の本業はライターです。ここ数年はパラスポーツ(障害者スポーツ)をメインに取材していて、今は来年に迫った「東京パラリンピック」に向けて、アトミ練習会はおろか、ジョグさえままならない仕事優先の日々を送っています。でも、そんな今だからこそ、「アトミクラブに入ってよかった〜」と改めて思っています。
私がアトミクラブに入ったのは、たしか2005年。その少し前に、視覚障害者をガイドして走る伴走活動を始めたため、「ちゃんと走れるようにならないと」と思っていたところ、その活動を通して知り合った山内修さん朱実さんご夫妻から「速くなれるよ」と紹介されたのがアトミクラブでした。
入会してアトミメンバーにもパラリンピアンや伴走者たちが多数いることを知り、励みになりました。パラスポーツに興味を引かれたのは自然な流れ。パラリンピックも取材するようになりました。
あっという間に月日が流れ、2013年に、「東京2020パラリンピック」の開催が決まりました。実は、この「東京パラリンピック」が、私の「アトミに入ってよかった理由の一つ」です。皆さんはご存知でしょうか。アトミの本拠地である織田フィールドが、日本におけるパラリンピックの「聖地」でもあることを。
今から55年前、1964年10月10日から24日まで東京オリンピックが盛大に開かれましたが、その2週間後の11月8日から12日まで同じ東京を舞台に第2回パラリンピックも開かれました。なんと、そのメイン会場が織田フィールドだったのです!
織田フィールドは当初、東京オリンピック選手村隣接の練習場として造られましたが、パラリンピックではメイン会場として使われました。日本人53名を含む、世界21カ国から集まった378人のパラアスリートがこのトラックを行進し、走り、跳び、笑っていたのです。
私が数年前にこの史実を知ったとき、「そんな聖地で私、毎週木曜に走ってるんだ!」と、すごく嬉しかったことを覚えています。
2020年のパラリンピックでは織田フィールドは使われませんが、今年8月25日、「東京パラリンピック開会式1年前記念イベント」の会場になりました。パラ陸上のデモンストレーションなどが行われ、義足アスリートのスーパースター、マルクス・レーム選手(ドイツ)が走り幅跳びで「8メートル50の世界新」を、義足のスプリンター、井谷俊介選手が100メートルで「11秒43のアジア新」をマーク。どちらも参考記録ながら、詰めかけた大勢の観客を大いに沸かせました。
レーム選手は「歴史的なスタジアムで跳べて光栄だし、"世界新"が出せて嬉しい。来年は新国立競技場で、記録を塗り替えたい」と話し、井谷選手も「1964年の東京大会で使われたトラックで走れて嬉しい。先人たちがここで戦った、その意志を引き継いで、来年は新国立競技場でしっかり走りたい」ときっぱり。織田フィールドにまた一つ、パラスポーツの歴史が刻まれました。
私もいつかまた、この「聖地」に復帰して走る日を楽しみに、今はもう少し私なりにあちこちを駆け回りたいと思います。
親愛なるアトミクラブの皆さん、我らが織田フィールドと縁の深いパラリンピックにも注目し、2020年は「織田仲間」である世界のパラアスリートたちにも、ぜひ熱いエールをお願いします!
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