アトミクラブ
RUNNER's四字熟語 その51
  千秋万歳・千秋萬歳(せんしゅうばんざい)
金井 康(入会2000年)

  ちょっと、ややこしいですか?
「せんしゅうばんぜい」とも。「バン」は「万」の、「セイ」は「歳」の漢音。撥音「ン」による連濁(れんだく)で「ゼイ」。
「歳」の呉音は「サイ」。「ザイ」もまた連濁の音。「万」は呉音「マン」、「萬」の略字として通行。
「千」は、ち・ちたび。「万」は、あまた・よろず・すべて。「千」・「万」いずれも数の多いこと。
共に「かず」の訓を持つ。「千秋」は千回巡る秋の意で、千年・千歳(ちとせ)・千載(せんざい)・永久・長い年月。
「万歳(ばんざい)」は祝福の意を籠め、諸手を挙げて唱える言葉。万世(よろずよ)・健康長寿を祝う意、長い年月。
呉音「マンザイ」。中世芸能「千秋万歳(せんずまんざい)」の「万歳(まんざい)」が、今は「漫才」。
「千秋万歳(せんしゅうばんざい)」で、千年万年・長い年月・永久(とわ)に・いつまでも・千万年の後・永遠の意。長生長寿を祈願する言葉。長生きして栄えること。
万葉の昔から使われている熟語。「千秋万古(せんしゅうばんこ)」も同義。「万古」は、遠い昔の意だが、太古から現在に至るまで・久しい間・永久・永遠の意も。

 さて、ランナーのあなた
 アトミクラブのメンバーとして、35周年をどう受け止めますか。一介の市民ランナーのクラブが35年間も続くということは大変稀なことです。 紆余曲折や存立危機も、メンバーの一人ひとりが支え合って乗り越えてこなければ、成らなかったことです。

 4名の結成メンバーがそれぞれに所属していた青東(あおとう)クラブの「ア」と、みすじクラブの「ミ」を合わせた「アトミクラブ」は、 1984(昭和59)年4月に産声を上げました。 当時から今に至るまでを知悉する篠原義雄監督・梨本忠三さん・関田善作さん・酒井健雄さん・若松宏一さん・山口正春さん・細野亮司さん・山川寛さん等の感慨は如何ばかりかと思います。

 東京電力陸上部との関係は、アトミクラブ存続の大きな力となりました
原宿ミニ合宿や、度重なる河口湖合同合宿が行われました。柳原勝さん・細野亮司さん・粕谷達さん・飯村聡さんの果たした役割は忘れられません。
1995(平成7)年には、その東電との関わり(東電陸上部顧問)から宇佐美彰朗先生も練習会に顔を出し、以来、雨の日も雪の日も練習を見守りました。
怪我や故障を未然に防ぐ練習方法や、走力に応じて多くの人が一緒にトラックを走る練習方法、合理的な走り方などが伝授されました。
マラソンで三度(みたび)オリンピック日本代表となり、東海大学教授の要職にある先生から指導を受けられたことは、アトミクラブとして望外の幸いでした。

 メンバーの走力向上に関しては、1992年福岡国際マラソンで山川寛さんがアトミ初の2時間20分切りを成し遂げ、 1996(平成8)年の合同タイムトライアルでは5000mで14分台の好記録が続出するなど、市民ランナーのクラブとして成長が顕著になりました。
奥武蔵駅伝や東日本国際駅伝、皇居周回全国OB・OG駅伝などでは優勝・入賞の常連となりました。
年輩者では、2003(平成15)年3月に福岡豊則さんが、マスターズ栃木大会60〜64歳の部男子800mで2分17秒31の日本記録を樹立しています。 2014年福岡国際マラソンでは、アトミメンバー10名がサブ2.5を達成しました。類例のない、驚くべきことです。

 草創期の女性メンバーを支えた存在が、アトミ女子で国際ランナー第1号となった金塚順子さんでした。 1985年以降の大阪国際女子マラソンを毎年のように走りました。
1989(平成元年)年には谷川真理さん・佐藤みどりさんも同じレースを走っています。花の国際女子マラソン出場がアトミ女子の目標になりました。 そう、資生堂に入るまでの谷川真理さんも練習会メンバーでした。資生堂に入った翌年1991(平成3)年には東京国際女子マラソンで優勝しています。

 東京国際女子マラソン出場で、女性陣の支柱となり続けた本田美恵さんにも深い思いがあるでしょう。 福地良子さん・栗田美奈子さん・能登晴美さん・飯野真澄さん・渡村恵子さん・檜山恵子さん・弓削田眞理子さんらの活躍に結実していきます。
2003(平成15)年の東京国際女子マラソン第25回記念大会には、練習会メンバー70名以上が出場するに至っています。 小黒ミホ子さん・袴田悦子さん・遠藤和枝さん・滝口淳子さん・佐々木月絵さんらも走りました。

 練習会には、選手生活を終えてからの松田千枝さんも参加しました。 実業団で鳴らした廣瀬光子さん・佐藤みどりさん・片岡純子さん・吉田香織さんら、名だたる女性ランナーもアトミクラブで走っています。

 35年間で時代は大きく変わりました。マラソンが特定の選手だけの競技でなく、一般市民のスポーツになりました。 1992(平成4)年2月から隔月発行を続けた「アトミクラブ通信」は2017(平成29)年には150号を突破しました。 長く紙媒体で郵送していた通信ですが、ホームページを通じての配信に進化しています。
毎号、メンバーの大会出場記録が載っていますが、2000(平成12)年4月以降は、個人種目別記録集として毎年まとめられるようになりました。 2003(平成15)年には個人ベスト記録集も編集されました。
「アトミクラブホームページ」開設は1997(平成9)年のことでした。今年5月には100万アクセスに到達したそうです。 それもこれも、関田善作さん・伊藤真さん・梨本忠三さんの献身的な働きがなくては叶わぬことです。

 パラリンピックやデフリンピックを目指すメンバーも入ってきました。2004(平成16)年のアテネパラリンピックでは、高橋勇市さんがマラソン競技(全盲の部)で金メダルを獲得しました。今も視覚・聴覚障害を乗り越えて活躍している、安部直美さん・山中孝一郎さん・高島洋子さん・水野麻子さん、他の方々、これからも走る喜びを共にしましょう。

 2012(平成24)年11月には「ランナーズ賞」を受賞しました。「29年間、無償で練習会を開催し続けた」ことが評価されました。恵比寿のウェスティンホテル東京で表彰式がありました。「受賞者の横顔」(第25回ランナーズ賞 2012RUNNERS AWARD)には、「当初はサブスリーなど実力派ランナーのみが参集していたが、1990年代半ばから走力別にグループを作って走るようになると、規模は一気に拡大」、「今の形ができたのは、走力や年齢の垣根を越えた仲間と、記録を狙って楽しく走りたい、という一心から」、「若い人が高齢の人を見て、自分も生涯ランナーでいたい、と思ってもらいたい」など、アトミクラブの本質に触れる言葉で紹介が載っています。

 アトミクラブ長生の秘訣は何かと考える時、運動系クラブにありがちな専制や押付けがなかったこと、タイムを入会基準としなかったこと、償いを求めず下支えする運営スタッフに恵まれたこと、が思い当たります。今の良好な練習環境を支える関田善作さん・梨本忠三さん・伊藤真さん・森義昭さん・中澤政延さん・毛塚敏男さん・若松宏一さん・吉木稔朗さん、本当にありがとうございます。

 勝負のみ、速さのみを価値観とするクラブだったら、とっくに消滅していたはずです。走友会の所属制限も競技会の出場制限も設けませんでした。老若男女600名の市民ランナーが参加しやすいクラブ運営は、ゆるい結束と地道な継続努力が要となっています。

 アトミクラブ結成のとき36歳だったメンバーは、今や古稀を迎えています。「歳月不待人」(歳月(さいげつ)は人を待たず)、 「日月逝矣、歳不我与」(日月(じつげつ)逝(き)、歳(とし)我と与(とも)ならず)ですが、老いも若きも男性も女性も、 自らの日々のベストを目指してアトミの練習会に参加しています。人生百寿も夢でない時代を迎えています。
生涯ランナーを心に、楽しく健やかに走り続けましょう。「後生可畏」(後生畏るべし)と言います。後進のうちに後継者も育っているようです。 世代交代の時を迎えていますが、若い世代への継承に期待がかかります。
我等がアトミクラブ、ばんざい! 創設から35のよわい齢を重ねてきた「アトミクラブ」の千秋万歳(せんしゆうばんざい)を祈ります。


かぎりなく長く続くこと。永久に栄えるさま。いつまでも続くことを言祝(ことほぐ)言葉。
長寿を祝う言葉。人や組織の弥栄(いやさか)を願って大きく唱和する声。ばんざい!
Kang(1)記
2019(令和元)年9月25日

追伸


 Kang(1)こと金井 康です。私は「遅れてきたランナー」です。初マラソンは47歳6カ月でした。
練習場所は、もっぱら皇居周回。仕事帰りに稲荷湯を拠点に走っていました。まだ東京マラソンが始まる前のことで、皇居も空いていました。 アトミクラブの名を耳にしたのは、2000(平成12)年9月24日のことです。
田麦山クロスカントリーの表彰式で、宇佐美彰朗先生から木彫りのトロフィーをいただきました。「人よりも一汗多く」の碑の前でした。 レース後の懇親会の場で、席の向かい側に座ったお二人がアトミクラブのメンバーでした。
その日シドニーでは、高橋尚子選手が金メダルを獲得していました。

 アトミクラブの練習会に加わったのは、その年のうちだったか、翌年になっていたか、不確かですが、TTの日でした。
私同様、白髪の人が何人も走っていて安心した覚えがあります。
後々のアトミシルバーズの面々でした。結成20年を祝う会(銀座ライオン)・25年を祝う会(アルカディア市ヶ谷)に出席しました。 結成30年を祝う会(湯島天満宮)では僭越にも司会を務めさせていただきました。

 関田善作さんの勧めで始めた「KさんのRunner's四字熟語」は、2006(平成18)年から2014(平成26)年までアトミクラブ通信に掲載され、 都合50回を数えました。
四字熟語の選定は全て関田さんにお願いしました。 読んでくださる方がおいでかどうか、いまだに心配ですが、 ホームページにも「Runner's四字熟語」のコーナーを設け、全回分を残してくださっていて、恐縮するばかりです。


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