アトミクラブ

アトミクラブ30周年記念パーティ採録版

(司会/三浦さん)
みなさま大変ながらくお待たせしました。ただいまよりアトミ30周年記念パーティを開催します。本日の司会を務 めさせていただくのは、ケンケンこと三浦健一と、
(司会/星野さん)
キョンキョンこと星野恭子です。
(司会二人)
皆様よろしくお願いいたします。
(司会/三浦さん)
では最初に、都内の高校の校長先生である金井さんより、開会の辞をお願いいたします。


■ 金井康さんの開会の辞

ランナーの皆さん、こんばんは!
アトミクラブは1984年(昭和59年)4月に産声を上げました。青東クラブの「ア」と、みすじクラブの「ミ」を合わせ て「アトミ」と名付けられたそうです。 以来、およそ30年、市民ランナーのクラブとして成長を続け、昨年度は雑誌『ランナーズ』が主催する、「ランナーズ 賞」を団体として受賞する光栄を得るまでになりました。30周年記念パーティの開会に当たり、僭越ですが、今のアトミ クラブでぜひ皆さんに知っておいて頂きたいことを申し述べます。 現在、会員数500名を数えるアトミクラブですが、その運営は、ボランティアで支えようとする事務局の方々の熱意の お蔭で、初めて成り立っています。 アトミクラブを草創期からリードされる篠原義雄監督の下、練習計画の作成やアトミ通信の発行・クラブの企画を一手に 引き受けられた関田善作さん、毎年の陸連登録に骨折りをされている酒井健雄さん、合宿や各種レースを絶妙の目配りで支 え続けられた中澤政延さん、ホームページの構築と管理に当たられた梨本忠三さん、レース結果等の記録検索・管理を着実 にこなされた伊藤真さん、毎週木曜日に織田フィールドを貸切りで使えるように、抽選会の度に出席し、練習会当日も毎回、 午後早い時間から手続きの労を担当されている袴田悦子さんらで構成される事務局のみなさんの献身的な働きが無ければ、 今日の良好な練習環境は得られるものではありません。 そしてまた、クラブとして感謝を忘れてならないのは、宇佐美彰朗先生の存在です。マラソン日本代表として、メキシコ・ ミュンヘン・モントリオールと三大会連続でオリンピックを走られ、その後、市民マラソンに目を向けられ、東海大学体育 学部教授の要職にありながら、時間をやりくりしては雨の日も雪の日も織田での練習に顔を出され、我々をご指導願えたこ とは、文字通り有り難いことと存じます。 多くの人がその走力に応じて一緒にトラック練習が出来るようにと今の練習メニューの基を示してくださったのも先生で す。このように、アトミクラブは多くの方々のご尽力に支えられています。クラブメンバーの皆さんにしっかりと心得てい て頂きたいことです。長くなりましたが、本日の記念パーティの開会の辞とさせて頂きます。


(司会/三浦さん)
金井さん、教育者としての重いお言葉どうもありがとうございました。 それではアトミ草創期からご尽力いただき、アトミクラブの父として、最新のランニング理論をご指導いただいています篠 原義雄監督からご挨拶いただきたいと思います。
■ 篠原義雄監督の挨拶

 ご紹介いただきました篠原でございます。本日は大勢の皆様にご出席いただき、ありがとうございます。本日ご出席いた だいている皆様、織田フィールドの練習会に参加されている皆様のご協力により、この30年の節目を 迎えることができました。深く感謝しております。
 30周年ということで課題を2つばかりお話しさせていただきます。もともとアトミクラブは千駄ヶ谷(サブトラック) で産声を上げました。発足当初から、「もっと速く」、「もっと楽しく」、そして「いつまでも走り続けたい」をモットーとし、 30年前から活動を続けてきました。「もっと速く」、「もっと楽しく」は皆様、理解されていると思いますが、「いつまでも 走り続ける」の3つ目については特に50歳代、60歳代の皆様に申し上げたいと思います。どうしても、年をとると記録 的には向上を望めなくなります。
 特に60歳になると会社のリタイアとかがあり、目標を失いがちになります。ですが、ランニングを続けている限りは、
いつまでも目標を持ち続けることができるという私自身の経験から、皆様に申し上げたいと思います。 今日お集まりになっている皆様の中には10年、20年とご活躍されている方もおられますが、50歳前後になると仕事が 忙しくなったり、家庭の子育ての関係とかによりランニングから遠ざかりがちになります。設立当初からご活躍いただいた 方も今日お集まりになっている方も「練習の方はちょっと」と言われております。これが60歳になると目標も無くなって しまうことも多いのですが、ランニングをやっていますと一生目標を持つことができると私の経験から言うことができます。 そのあたりをご歓談の中で話題にしていただければと思います。
 もうひとつですが、今、ランニングブームで人が急増しています。本日出席されている方を含め、織田フィールドに来ら れる150〜160名の練習仲間がインターバルに励んでいますが、人数が多く非常に危険な状態です。私だけでなくニアミ スがしょっちゅう起こっています。会員の急増が新たな課題となっています。贅沢な悩みかもしれませんが、過去10年、 20年は「どんどんいらっしゃい」だったのですが、今までとちがって人数が増えたことによる新たな課題も生まれていま す。このあたりもご歓談の中で話題にしていただければと思います。
 アトミクラブ発足の30周年記念のお祝いの席ではありますが、アトミクラブが今後10年、20年と生き延びていく 為にあえてお話しさせていただきました。皆様自身の健康と目標の為にお話しいただければ幸いです。 ということで、冒頭の挨拶とさせていただきます。皆様どうもありがとうございました。


(司会/三浦さん)
篠原監督、ありがとうございました。  それではご来賓の方からご祝辞をいただきたいと思います。皆様誰でもご存知のアトミ美女軍団の第一人者、元祖「美ジ ョガー」である松田千恵さんに一言お願いしたいと思います。
■松田千枝さんの挨拶

 アトミクラブ30周年、本当におめでとうございます。
 昨年12月に、「ランナーズ賞」を団体として受賞されたことは本当にすばらしいことだと思います。私もひと頃アトミ クラブに参加させていただいて多くの方に刺激をいただきました。特に金井さんから今、ご紹介のあったメンバーの方は親 しみのある方たちで、本当に刺激をいただきながら、私の走りも助けられた感じがいたします。
 アトミクラブの魅力の一番は、男性が優しいということです。ですから、女子マラソンのレベルを上げて行くのがアト ミクラブの女性達ではないかと思います。特に東京国際女子マラソンにず〜と参加させていただいていますが、毎年アトミ の女性の参加がぐんぐんと増えて行って、沿道のいたるところで男性の方が大きな声を出してアトミクラブの女性の方達を 応援しているのが聞こえました。
 私の娘(玲さん)も第21回東京国際女子マラソンから10回、最後となった第30回大会まで私と一緒に出させてい ただくことができました。そのきっかけを作ってくださったのがアトミクラブです。つくばマラソンで3時間15分を切ら ないと東京国際女子マラソンを走れない状況だったのですが、梨本さんに娘を最後までず〜とひっぱってもらって3時間1 4分40秒くらいでしたかしら、あとわずかで今年も駄目かと思ったのですが、梨本さんに応援していただいたおかげで東 京国際女子マラソンに出場することができました。 現在、娘の姓は変わりましたが、できる限りアトミに行きたいと言っています。アトミに参加すれば走力はだんだん落ち てきても、国際女子マラソンにはエントリーできるかなと思っています。
 ちょうどアトミクラブで谷川真理さん、女優の長谷川理恵さんが練習に参加されていた頃、私も参加させていただきま した。その頃、まだ篠原監督、そして酒井さんなど皆さんの走りを見て、圧倒される走りでした。現在もまだまだ頑張って おられると娘から聞いております。ちょうどその頃、吉木さん、関田さん、梨本さん、金井康さんにタイムトライアル、イ ンターバルでひっぱっていただきました。本当にありがとうございます。
 現在私は38年目(走り始めてから)に入っていまして、いろいろと無理をしてきたので関節がだいぶ痛んできて、今 診ていただくと「関節症で治す薬は無い」と言われ、スピードを競う走りは逆に無い状況です。先程篠原監督が「また来て くださいよ!」と言ってくださったので、また刺激をいただきに外周を回っても良いから時には出させてもらってもいいか な〜と思っています。
 現在私が活動しているのは、「モアチャレンジ歓走(歓びの走り)」という意味の「MCKプロジェクト」と言いまして、 多くの方々に走る歓びを知っていただく活動をしております。6月に入って初めてNPO法人の方に入れさせていただき、 仲間と一緒に活動をさせていただいております。ご縁があって青森県鰺ヶ沢町でマラソンラボを立ち上げました。人口がど んどん減って65歳以上の人が40%を占めるくらいの元気の無いところで、町興しとしてマラソン村を立ち上げようとい うことになったんです。ここは素晴らしい環境で、走るのにこんなスケールの大きなパワースポットのある場所は他にはな いんですね。
 今度10月27日に秋の紅葉の一番美しい時期に実は町のお祭りがあるんですね。まだマラソン村としてのすべての準備 が整っていない為、全国にはご紹介できないのですが、とにかく青森県内の方だけでも来ていただこうという運動を行って います。でも、アトミクラブの方に来ていただいたら、きっと素晴らしい走りができると私は確信しています。とにかく全 国にお知らせする前に、是非この場所を味わっていただきたいと思います。町の方にも交渉し、東亜トラベルというバス会 社とも交渉し、格安でご案内できることになりました。
 日本で市民ランナーのトップリーダーの立場でこんな素晴らしい活動をしているアトミクラブの皆様が来て下さるのでし たら、非常に励まされます。皆様に来ていただけることを楽しみにしております。
 後で皆様にパンフレットを差し上げたいと思いますので、ご興味のある方は、私か、こちらの担当、小笠原までお尋ねく ださい。こんな素晴らしい場に私の事を取り上げてくださり、恐縮です。 きっとアトミクラブの皆様でしたら楽しんでいただけると思います。岩木山の周りで40km以上のコースがとれます。 ちょっと遠回りすれば48kmとれます。一周すれば42km位とれます。それともう一つ、世界遺産で有名になっている白 神山地エリアもあります。それから日本海に面した夕日のコースもあります。こんなにいっぱい自然の壮大な場所は他には 無いんです。時にはトラックを離れ、大自然の中でパワフルな走りを体験していただきたいと思います。
 これからも益々、10年も、20年も、30年もアトミクラブが発展・繁栄されることを祈念しております。ありがとうご ざいました。


(司会/三浦さん)
松田千枝さん、どうもありがとうございました。国際女子マラソンでの松田千枝さんの凛とした走りは、私の目にもすごく 焼きついています。
<すこし間>
(司会/三浦さん)
お待たせいたしました。ここで乾杯にしたいと思いますので、ドリンクをついでいただき、お手元に準備いただけます でしょうか。 皆様、準備の方はよろしいでしょうか。乾杯のご発声は、アトミクラブではリーダーの愛称でおなじみの若松宏一さんに お願いいたします。
■若松宏一さんの乾杯の音頭

こんばんは!! みなさん喉が渇いていると思いますので、アトミクラブ30周年おめでとうございます。乾杯!!





(司会/三浦さん)
若松リーダー、ありがとうございました。ではしばらくご歓談願います。





<歓談>  

■来賓の挨拶 (17名)

(司会/星野さん)
ここでアトミクラブの精鋭、17名の方からご挨拶いただきます。駅伝形式で一人2分、計34分間で襷をつなぎます。 第一走者は、山口正春さんです。
山口正春さんは、アトミの創期からクラブ一のスピードを誇り、アトミクラブを引っ張ってきました。「奥武蔵駅伝」5連 覇の主将も務めました。自らも5000mTTで14分39秒をたたき出した、第一走者にふさわしいスピードランナーで す。山口さん、よろしくお願いいたします。


【1】山口正春さんの挨拶

アトミクラブ30周年おめでとうございます。私は今から30年前、ちょうど発足時にアトミクラブに入りました。以来 30年になります。当初は東京へ出てきて右も左もわからず、何もわからない時にアトミクラブという素晴らしいランニン グクラブと出会うことができました。当初から、温かいスタッフの言葉、いつまでも私の心に残っています。そのおかげで 走ることに専念でき、一生懸命に頑張り、記録も出せて多くの事を学ぶことができました。 ここにお集まりの皆様、知らない人もいっぱいいますが、これから40年、50年と続けていきますよう〜。 新しいクラブになることを願っています。これからも頑張ってください。


(司会/星野さん)
山口さん、ありがとうございました。第二走者は福岡豊則さんです。「老いてますます盛ん」という言葉はこの方のために あるのでは…? マスターズ日本記録保持者です。福岡さん、よろしくお願いします。
【2】福岡豊則さんの挨拶

みなさま、こんばんは。監督の篠原さんも老いて元気で頑張っている〜。アトミのメンバーは皆、そうだ。 私70歳になります。ここにいる若い人達に絶対に負けない、という気合で走ります。アトミクラブ30周年、 これで行きます。更に40年、50年とみんなで盛り上げましょう!



(司会/星野さん)
福岡さん、ありがとうございました。三番手は、酒井健雄さんです。酒井健雄さんは、草創期からクラ ブの運営に立ち会ってきました。いまは陸連の窓口をお願いしています。酒井さん、よろしくお願いします。
【3】酒井健雄さんの挨拶

私が走り始めてから来年で50年になります。その間、故障らしい故障はしたことが無いのが私の自慢です。というのは 一人で練習したことが全くありません。アトミの練習会に誘われて走るだけで50年を過ごしてきました。これからあと15 年、80歳まで走りますので、よろしくお願いいたします。



(司会/星野さん)
ありがとうございました。四番手はアトミが誇る快速女子ランナーの廣瀬光子さんです。廣瀬さんは、仕事に子育てと練習 時間がままならない中、いまもトップレベルの力を保持しています。廣瀬さん、よろしくお願いします。
【4】廣瀬光子さんの挨拶

アトミクラブ30周年おめでとうございます。広瀬です。アトミクラブには13年前からお世話になっています。13年 の間に子供を生んだり、いろいろとありました。早く走れたり、遅くなったり。これからも2時間40分切りを目指して 頑張っていきます。その時は、アトミクラブ所属で東京マラソンに出ようかと思っています。また、練習会にも参加させて いただきます。よろしくお願いいたします。おめでとうございます。


(司会/星野さん)
広瀬さんありがとうございました。さて、五番手は、アトミと同じ年に生まれて30年、アトミに入会して15年、人生の 半分以上はアトミと共にある河野陽一くんです。
【5】河野陽一くんの挨拶

アトミクラブ30周年、まずは誠におめでとうございます。初めてアトミクラブに入会したのが、高校生1年生で16 歳でした。その時から数えて15年目になります。人生の半分以上をアトミとともに過ごしてきました。この中にはまだ、 自分のことを高校生と思っている方がおられるかもしれませんが、立派に大人なりました! 高校の時から、大学、社会人とアトミクラブにず〜とお世話になっています。15年経って、自分は今、実業団(郵政) チームの一員として走っています。今の自分がアトミクラブに恩返しできることといえば、チームの目標である正月のニュ ーイヤー駅伝に参加し、アトミクラブで走る実業団チームとしてアピールすることだと思っています。これからも練習会等 でよろしくお願いいたします。 もうひとつの目標として、アトミクラブ100周年パーティに100歳で出ます。それまで頑張って走り続けたいと思い ます。本当に今日はおめでとうございます。


(司会/星野さん)
河野さんありがとうございました。6番手は、金塚順子さんです。アトミクラブで初めて国際女子マラソンに出場したの はこの方です。この方の存在がなければ、アトミクラブの女子の隆盛はありませんでした。 では、金塚順子さんお願いします。
【6】金塚順子さんの挨拶

はあ〜い、金塚順子です。今日は楽しみにしてきました。なつかしい人がいっぱいいて、嬉しくて嬉しくて! アトミに いて良かったです。アトミにいたおかげで東京国際女子マラソン、大阪国際女子マラソン、名古屋国際女子マラソンに出さ せていただいて、本当に楽しかったです。今は故障を抱えながら走っています。篠原監督が言っておられたように、いかに 長く元気で走れるかが、これからの課題になってきました。楽しく走りましょう〜。ありがとうございました。


(司会/星野さん)
金塚さん、ありがとうございました。7番手は小西亘さんです。小西さんは、40代半ばにして、今も5000m15分を 切るスピードランナーです。OBOG駅伝や東日本国際駅伝ではこの方の脚に助けられています。
【7】小西亘さんの挨拶

 みなさん、元気ですかあ〜。私の走歴は今年25歳になります。アトミクラブに5歳負けていますね。これからも負け ないくらい、30年、40年と頑張ります。みなさん一緒に頑張りましょう〜。




(司会/星野さん)
小西さん、ありがとうございました。8番手は柳原勝さんです。アトミの草創期に2時間30分を切るタイムを最初に出し たのはこの方です。
【8】柳原勝さんの挨拶

 篠原義雄さん、山本勇次郎さん、梨本忠三さんと会ったのは、びわ湖毎日マラソンを走った時で、国鉄の駅で声をかけ ていただきました。当時はまだ、うまく走れなかったのですが、アトミに入ってからいろいろな練習をやらせてもらい、ど んどんと記録を更新することができました。2時間28分30秒が自己記録です。どうもありがとうございました。


(司会/星野さん)
柳原さん、ありがとうございました。9番手は原妙子さんです。南蛮連合、神宮アスレチッククラブをまとめ、自らも東京 国際女子マラソンに出場経験のある原さん、アトミを外から見ての一言をお願いいたします。
【9】原妙子さん(南蛮連合)の挨拶

アトミクラブ30周年おめでとうございます。南蛮連合も1989年に奥多摩渓谷駅伝でデビューして24年、来年で25 周年になります。アトミクラブとは織田フィールドでともに練習し、あれからあっという間の年月が経ちました。南蛮連合 は今も毎週水曜日に織田フィールドで練習しています。年2回の合同タイムトライアルではアトミクラブのご協力をいただ いております。本日はどうもありがとうございました。


(司会/星野さん)
原さん、ありがとうございました。10番手はライバルチーム、ハートブレーク代表の横尾和夫さんです。
【10】横尾和夫さん(ハートブレーク)の挨拶

アトミクラブの永遠のライバル、ハートブレーク代表の横尾です。アトミクラブ結成30周年おめでとうございます。ハ ートブレークもアトミクラブも根っこは同じなんですね。僕が最初にハートブレークを立ち上げ、それから1年後に篠原さ んが、アトミクラブを立ち上げました。その時、篠原さんから「アトミクラブにどう〜?」と言われたのが30年前です。 僕がライバルの話をすると、20分位かかかってしまいますのでこの辺で止めます。 これからもライバルと思って頑張ってください。ありがとうございました。


(司会/星野さん)
横尾さん、ありがとうございました。ぜひぜひ、良きライバルとしてこれからもよろしくお願いします。さて、11番手は 宮下毅さんです。海外の勤務を終えて帰国後、ランニングクラブを探していた時にアトミクラブを見つけたという宮下さん、 海外のクラブと比較してアトミクラブはいかがでしょうか? では、お願いします。
【11】宮下毅さんの挨拶

皆さん、こんばんは、宮下です。今ご紹介いただいたように私は、ニューヨーク勤務時代に太りすぎで走り始めました。 日本へ帰って来る時にクラブを探して、ホームページとかいろいろと見たのですが、その時、アトミクラブの「垣根のない クラブを目指して」という言葉がとても心に残ったのですね。そこで電話をして練習会に参加して、「やっぱり垣根のない、 いいクラブだな〜」という印象をもったことを覚えています。 それに、アトミクラブは人間的に素晴らしい人が多い! 皆さん、これからも人間的に成長できるように頑張って行きま しょう。終わります。


(司会/星野さん)
宮下さん、ありがとうございました。さて、この30年間にアトミクラブで生まれたカップルはたくさんいます が、最新のカップルがこの7月6日に結婚したばかりの、中里綾介さんと恵美(めぐみ)さんです。今日は12番手のラン ナーとして、お2人プラス、恵美さんのお腹の中にいるもう一人の3人で襷を繋ぎます。
【12】中里綾介さんの挨拶

みなさん、こんにちは〜。アトミクラブの中里で〜す。ただいまご紹介いただきましたが、僕はアトミクラブが誕生した 1984年に生まれました。おそらく、アトミクラブも30年の間にいろいろなことを乗り越えてきたのだと思いますが、 私も正直いって行き場を決めてから15年経ちます。この15年間にいろいろなランニング歴を残すことができました。つ い最近には、6月に結婚しまして、11月には子供が生まれます。
 これからやりたいことの目標はいろいろとあるのですが、「もっと速く」、「もっと楽しく」、「いつまでも」というアトミ クラブの考え方の下に、これからの30年もアトミクラブとともにあるよう走り続けたいと思います。皆さん、頑張って行 きましょう。ありがとうございました。

恵美(めぐみ)さんの挨拶
11月は、横浜国際女子マラソンがありますね。私は頑張って元気な子供を生みたいので、アトミの女性陣の皆様、国際 マラソン頑張ってください。子供を生んだら、私もまた走りたいと思います。


(司会/星野さん)
中里夫妻、ありがとうございました。では続いて、比較的新しいメンバーに登場していただきたいと思います。佐熊康夫さ んです。大会に出場すれば自己新連発。先日富士登山競争にも初参加されています。
【13】佐熊康夫さんの挨拶

まだ入会して3年目ですが、でかい面をしている佐熊と申します。去年の合宿で2時間36分を約束したのですが、結局 2時間37分でした。来年は2時間35分を切りますので、よろしくお願いいたします。富士登山競争は、5合目コースに 出場し、1時間35分45秒でした。全体的に速かったのですが、何とかまとめることができました。また今後ともよろし くお願いいたします。


(司会/星野さん)
佐熊さん、ありがとうございました。続いて14番手は、またまた女性ランナーです。東京国際女子マラソン出場は10回 以上を数え、お子さんができた時には大きなお腹を抱えて臨月まで走り続けていた本田美恵さんです。
【14】本田美恵さんの挨拶

アトミクラブに参加して25年目となり、人生70年の3分の1をアトミとともに過ごすことができて本当によかったで す。東京国際女子マラソンにおいてはたくさんの応援をいただき、2時間44分38秒で走ることができました。今も走力 を維持する為、日々走っています。これからも死ぬまで走り続けたいと思います。


(司会/星野さん)
ありがとうございました。続いて15番手は梨本忠三さんです。梨本さんは、草創期からクラブの運営に立ち会い、いまは ホームページを立ち上げ、皆さんへの伝言など、クラブの情報を一手に管理されています。
【15】梨本忠三さんの挨拶

みなさん、こんばんは。アトミクラブの草創期のお話を少しさせていただきたいと思います。アトミクラブの基本的な考 え方を作ったのが私と篠原監督です。何回か篠原さんとすりあわせを重ね、びわ湖毎日マラソンの時に今のような形にまと めました。国鉄の駅のホームでプリントを柳原さんに見せて誘ったのですが、その時にはすぐにお返事はいただけませんで した。それからしばらくして柳原さんが仲間に加わりました。草創期に作ったこの考え方に基づき、ず〜とアトミクラブを 運営してきました。 今日はここで「心の遺伝子」についてお話しさせていただきます。アトミクラブで合宿に行ったり、練習に参加したりし て、アトミクラブの基本的な考え方が心に残り、たとえ転勤などで東京を離れても自然な形で受け継がれているように思え ます。今は練習でトップを引っ張る人達の顔ぶれもずいぶん変わりました。もう第2、第3世代になるでしょうか。これか らもずっと、アトミクラブの基本的な考え方を「心の遺伝子」として受け継いでいけるよう、みなさんよろしくお願いいた します。


(司会/星野さん)
忠さん、ありがとうございました。続いて16番手は、「ノトッチ」こと、高木晴美さんです。数々の国際マラソンを走り、 記録を更新してきました。今は3人の子育てに追われていますが、国際マラソン出場の夢を持ち続けていいます。 今日は 3人のお子さんと襷をつないでくれます。
【16】高木晴美さんの挨拶

 (お子さんたちと声をそろえて)アトミクラブ結成30周年おめでとうございます! ランナーズ賞の受賞もおめでとうございます。私の旦那が所属するアキレストラッククラブ、そして今回はアトミクラブ と、全て受賞しており、嬉しいな〜と思いました。私がアトミクラブに初めて参加したのが1998年頃だったと思います。 1回目はこんなすごいところで練習しているのかと驚き、練習には参加せずそのまま帰りました。2回目の時は大雨で、こ れでは走れないとすごすごと帰宅。3度目の正直でやっとアトミクラブの練習に参加することができました。TTとかレペ とか言葉の意味も、練習の内容もわからず、みんなが走っているから、ただついて走っていたという状況でした。私が練習 に参加するようになってから、周りからうるさいと言われるようになりました。 今、息子のたくやが途切れることなくしゃべっているんですね。これはいったい誰の影響なのかと思ったのですが、それ は私です。これからもアトミクラブが発展するように、私も参加させていただきたいと思います。


(司会/星野さん)
ありがとうございました。アトミクラブ挨拶駅伝も、いよいよアンカーの登場です。心臓のバイパス手術から奇跡の復活、 55歳代の日本記録を狙う遠藤昌志さんです
【17】遠藤昌志さんの挨拶

アトミクラブ30周年、本当におめでとうございます。私もアトミクラブにお世話になりまして10年以上経ちます。 20周年記念パーティにも参加しました。10年一昔と言いますが、この年になりますと本当に死に物狂いです。 4年前あたりから、実は50歳を過ぎた時に心臓が少しおかしくなりました。駅伝ではご迷惑をおかけしました。小西さ ん、本当に申し訳なかったね。ふらふらになってゴールしました。2年ほど前に診察を受けて心房細動という病気になって いることがわかりました。カテーテルの手術を受け2年経ちますけど、大丈夫です。 大丈夫なのでそろそろ再起します。相模原(東日本国際)駅伝、2年ぶりに、私もメンバーとして参加します。前ほどの タイムでは走れないかもしれませんが、何とか優勝を目指してがんばりたいと思います。 「アトミクラブ優勝」を目指してがんばろう!!


(司会/星野さん)
遠藤さん、アンカーの大役、ありがとうございました。おかげさまで、アトミクラブの精鋭17名による挨拶駅伝、見事に 優勝でフィニッシュです!
■余興1:吉木バンド


■余興2:向井孝明さん モンテローザ商品券争奪ジャンケン大会


 <歓談>

(司会/三浦さん)
宴たけなわですが、アトミクラブの最大の功労者である宇佐美先生からお言葉をいただきたいと思います。皆様、前の方に 出てきてください。素晴らしい先生です。先生からお祝いの言葉をいただきたいと思います。では宇佐美先生よろしくお願 い致します。
■宇佐美彰朗先生の祝辞

 みなさま、こんばんは。宇佐美と申します。よろしくお見知りおきください。「ランナーズ賞」おめでとうございます。皆 様のように、「ただ走る」というスポーツにここまで思い入れている方々は、日本でも少ないのじゃないかと思います。当 初、篠原監督はじめ、幹部の方々にお会いした時、ここまでいろんなことを考え合わせ、クラブのみんなでやって行こうと しているグループは、素晴らしいことだと思いました。
 もしできたら、アトミクラブの中から日本選手権で5000mに出られる選手を輩出しようじゃありませんか!その可能 性があると私は感じています。数字でいえば、13分台で走れば日本選手権に出られるんですよ!それは一般ランナーが求 める一つの目標なんです。
 日本選手権には、実業団や大学生の所属しかいないじゃないですか!だったらアトミクラブという力で、素質ある頑張 りを示す諸君を頑張らせ、記録を出せるように協力しましょう。是時このことを一つの目標として掲げましょう。アトミク ラブはそれをやっていけるグループなんじゃないかと私は思います。
 そのことでもうひとつ申し上げたいのですが、練習を螺旋階段的にレベルアップして、スケージュール等を本人との関 わりの中でアレンジする役割をどなたかにやっていただく、あるいは本人との関わりの中で監督が心がけ、枠組みを作るこ とによって、私はアトミクラブが日本で初めてメンバーが日本選手権に出た市民クラブということになるんじゃないかと思 うのですよ!!そのことは日本のスポーツを変えるきっかけになるんじゃないかと思います。 たとえば、サッカーは昔からの夢や学習でここまでやっているんですよ!サッカーにできて、何で陸上がみんなの力を表 現できないのですか!それはやはり競技者というのは記録の部分がいやが上にも評価の一つですから、それがないことには、 何にもならないのです。是非そのことを市民ランナーのパイオニアとして、是非一人、二人、三人〜四人と、日本選手権に エントリーできるようにしましょう!!選手ご本人も是非これを目指して、ある程度の仕組みを取り込んでやっていただき たい。これは経費のかかることではありません。選手本人との関わりの中で意識のレベルアップがあればいいのです。 ここで問題となるのは、皆様は仕事をしながら、生活をしながらこうしたことをおやりになっているのですよ!このこと を世間に知らしめましょうよ。織田フィールドをみんなの拠点として貸してもらって、これだけ多くのメンバーがリストア ップされているんですよ。
 こんなグループは他にありますか?是非人数だけでなく、中味・レベルを上げ、日本選手権に選手を出せたという時はみ んなで応援に行きましょうよ!
 是非その部分を今年度、来年度の目標にしていただいて、篠原監督を中心としたスタッフの頑張りをみんなで応援しよ うではありませんか。こういうことを創作できる可能性は十分にあると私は思います。
 但し、その為には選手は血反吐を吐くような荒稽古にならざるを得ないですよ。それは当然です。5000mを13分台 で走るんですから。そうした数字の部分で共有するみなさんの目標を持つことにより、申し訳ありませんが、第4グルー プの人達の意識が必ず上がると思います。
 是非このことを施策として、みなさんに協力いただくよう、篠原監督を中心としたスタッフの人達にもう一段、頑張っ ていただくことをお願いしたいと思います。これは私からのお願いです。  アトミクラブから日本選手権出場者を送り出しましょう!!よろしくお願い致します。


(司会/三浦さん)
オリンピック3回出場の宇佐美先生、どうもありがとうございました。 では、大変名残惜しいですが、閉会の言葉をいただきます。みなさん、駅伝のアンカーを迎える気持ちで、この30年間、 織田フールドを中心に市民ランナーを支えてきた関田さんをお迎えしましょう。では関田さん、よろしくお願いします。
■関田さんの閉会の辞

 皆さん今日は、暑い中をお集まりいただき、ありがとうございした。我々アトミクラブが誕生してからもう30年経つ のかと思うと感慨深いものがあります。
 最初クラブを立ち上げた時は東京体育館の脇の300mのトラックで、それも東京オリンピックの予備トラックを使って いたんですね。古いラバーの全天候トラックでした。ちょうど良い施設が無かったんですね。そんな場所でアトミクラブが 誕生しました。
 最初は5人〜6人と集まって、10人、20人と増えて行き、数年も経たないうちに大きな駅伝にも出られるようになり ました。伝統ある奥武蔵駅伝では、たえず一般チームで優勝を争うようになりました。  そんなアトミクラブですが、いつも順風満帆ではなかったんですね。主力が転勤で顔を出せなくなって、練習会に張りが 無くなったり、5連覇を目指した伝統の奥武蔵駅伝では急に風邪や故障により欠場者が出て夢がついえたこともありました。
 このクラブはそんな時、メンバーが揃わなければ、優勝はあきらめて駅伝を楽しく走ろうということでやってきました。 ですから、たえず優勝を狙ったり、上位を狙うというよりも、揃うメンバーの中で精一杯やろうという気持ちは今も変わっ ていないと思います。
 私はこのクラブが30年間こういう形でやってこられ、しかもこのようなたくさんの仲間と一緒にやってこられたのは、 アトミクラブに対する皆さんの想いを我々運営する人間に絶えずぶつけていただいてきたからだと思います。我々もそれに 「できるだけ応えよう」、「頑張らなければ、これからもっともっと良いメンバーが来ない」、そんな思いでやってきました。
 私に関して云えば、これからも「アトミ大好き人間」としてお近くにおいていただければと思います。
 先程、順風満帆ではなかったという中に、もうひとつ紹介させていただきたい事があります。この30年記念パーティ にどうしても出られなかったメンバー7名のお名前を読み上げさせていただきたいと思います。 「岩垂猛さん」、「フィリップ・リーさん」、「師岡克則さん」、「川端仁一さん」、「本田博さん」、「松村忠三さん」、「中村正 二さん」です。実は、この方達はこの30年間の間に志し半ばで亡くなった方たちです。本来であれば元気にこの場に来て 我々と楽しく一杯やっていたメンバーです。アトミクラブを天国の上か ら支えてきてくれた方達なんです。我々が今このように楽しくあるのは、こうした方達がずっと見守っていてくれるからな んです。という事でお名前を挙げさせていただきました。ちょっと話が長くなりますので、この辺で締めたいと思います。
 このクラブは記録とか順位とかだけでは無く、人のつながりを尊重し、伸びてきたクラブだと思います。 これからも是非そうあって欲しいと思います。
 皆さん、どうぞ遠慮無く、我々運営する人間に言ってきてください。更に良いアトミクラブをこれからも40年、50 年とやって行きたいと思いますので、皆様どうぞよろしくお願い致します。


(司会/三浦さん)
関田さんどうもありがとうございました。  では皆様、最後は1本締めでいかがでしょうか。いつもバックグランドとしてお世話になっている中沢さんに締めてい ただきたいと思います。
■中沢政延さんの1本締め

アトミクラブ30周年おめでとうございます。皆様のご健康と、これらのアトミクラブの発展を願って1本締めしたいと 思います。 「よ〜」 ポン!!



(司会/三浦さん)
これでアトミ30周年記念パーティを閉幕させていただきます。


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