アトミクラブ
アベベと走った日 小賀田和美さん

 アトミクラブ15周年おめでとうございます! 私も練習会や広野での合宿等沢山思い出があります。

 そこで私も15周年の記念に何か書こうと思いつき、あまり皆様にお話していない事をアトミクラブ設立より 更に15年以上前にさかのぼってお話したいと思います。

 東京オリンピックで 優勝したアベベが 、その翌年 の昭和40年5月 初めの”びわこ毎日マラソン” (当時はメジャーなマラソン大会でも5月に開かれていた)に 私も一緒に 出場した時のことです。

 当時、私は24歳、マラソン5回目 、その年の3月に2時間25分で走ったばかりで(その記録が今日まで の最高)好調そのものでした。

 その日は暑く(28〜30度位)、私は帽子をかぶりスタ−トライン並びました。コ−スは現在と違い 競技場より北に向かい、びわこ大橋を渡り折り返すコ−スでした。

 出場者はアベベと同じ国の エチオピアのマモ.ウオルデ( メキシコ優勝者),他 何人かの外国選手、 日本選手は、上岡、川端選手ほか中堅クラスが出場していました。

ド−ンと一斉にスタ−ト 、何故か私は1番前で走り始めたのです。競技場を出るとき一緒に並んで走り はじめた外国選手見てびっくりしました。それが何とあのアベベなのです。私のその時の気持ちは夢を見 ているようでした。

 後ろの選手の足音も聞こえず、今 、2人で走っているという充実感がひしひしと感じられました。 チラツと私を見てくれたその顔は今でも忘れません。

 そして3〜4K位は一緒に走りました。が、少しずつ離されはじめた時です。沿道の人達が 「小賀田〜頑張れ〜!」と言ってくれています。なぜ私を知っているのだろう?と思いました。 それはテレビの実況で私の名を言っていたので応援してくれたのです。

 後でわかったのですが、北海道の大沼だんご売っている親戚は店をほたらかして観戦していたそうです。 大会の協賛はコカコーラなので給水場はコーラと水だけ、それでコーラを飲んだら炭酸入りで困って しまいました。

 折り返し7〜8?番だったと思いますが、びわこ大橋を渡った頃は、暑さで頭がボーッとしていました。 その頃は前で抜いって行った選手たちが歩き始め、27K付近ではマモも歩いていました。

 私もどんどんスピ−ドがなくなり、どうしようと思いながら、とうとう35K過ぎた辺りで歩きだし 37Kで初めてのマラソンリタイヤとなってしまったのです。

 アベベは優勝で2時間23分を切った思いますが、2位の川端さんがやっと30分切ったくらいですから 当日の暑さはいま考えると相当なものでした。

 あのアベベでさえも後半は、バケツで水をかぶっている写真が載っていましたので暑く長い日で あったのです。

 今、思い起こせば、暑さ対策での帽子はよかったと思いますが、完走できなかった一因に給水を しっかり取らなかったこと、そして前半の オーバーぺースが上げられます。

 その年の3月に、2時間25分56秒で、水戸マラソン 3位 と自己最高を出したのでいけると 思ったのが、そんなに甘いもの出はなかったと言うことです。

しかし残念ではありましたが、私にとって思い出に残る大会でした。


| アトミを繋ぐ | アトミクラブ通信15周年特別記念号へ |