アトミクラブ
私とランニングとの出会い 落合雅貴さん

 私がアトミクラブに入ったのは24歳の頃でした。現在、わたしは38歳ですから1984年頃のことです。 社会人となって間も無い当時、世間で行われていることに、対象を限定できない大きな関心を持っていました。 置き場の無いエネルギーがありました。

 英会話やスペイン語の学校に行ってみたり、「ぴあ」など情報誌をみてそのタイトルを問わずに英語での講演会 に出かけたりしてました。内容は殆ど分かりませんでしたが・・・。

 そんな傍ら、大学生を中心としたラグビーチームの練習に参加したり、いまでもありますがグローバルマラソン いう団体の主催する皇居でのレースに参加したりしてました。

 ちょうど「ぴあ」をみて講演会などの情報が入手出来たように、ランニングの情報はどうやれば手に入るのかと考えました。 そこで渋谷にある岸体育館へ行き陸連の部屋を尋ねました。

 一人で走っているので社会人のチームを探している、という趣旨を伝えたと思います。 すると学生や社会人のチームが一覧されたリストを見せてくれ、水曜日に千駄ヶ谷にある東京体育館、 サブトラックで練習しているXXクラブがよいのでは、とのアドバイスを受けました。 さっそく行ってみてそれらしいクラブを見つけ最初に声をかけた人、それがXXクラブではなく アトミクラブの山本さんでした。

 初めてのインターバルは1000メートル、何本だったかは覚えてません。 最初だけは3分ぐらいで走れたとのことですが、2本目以降は何とか最後尾に付いていける程度、 それでも最後まではやりました。インターバルは、それまで自分で経験したのとは違ったタイプの厳しい運動でした。

 当時勤めていた会社は定時に帰ることが出来たので、仕事を終えると水曜日以外にも東京体育館へと向かう 毎日となりました。ランニング、そしてフィールドでの筋力トレーニングが日課となり、 それが規則性へとなっていきました。

 最初に出場したトラックレースは三つ沢競技場で行われた鶴見区のもので、1500メートルを走ったのを 覚えています。最後の直線、100メートルではスプリング力が全く無くなり硬直したような 走りになってしまいました。それでも最後まで何とか走り3位に入賞しました。 篠原さんからほめてもらい大変うれしかったのを覚えています。

 次に思い出すは品川区の大会、大井競技場で走った1500メートルです。 レース前には練習をよくやったという充実感、よく疲労回復ができたという自信がありました。 結果は自己記録を15秒ぐらいも短縮するものではじめて優勝しました。

 私にとってランニングとの出会いは、卒業、就職という一連の流れに自分をよく適応することが出来ず、 新しい世界の中、その方向、サイズを模索していた私に、たしかに自分で進めば、何かをやれば、 そこに何かを作ることが出来ると実感させてくれるものでした。はじめての形が出来たのかもしれません。

 人にとって出会いとは様々だと思います。様々な人が様々な適性を持っていてその開花する時期 も様々であると信じます。

 私にとってはランニングとの出会いは大きなものでしたが誰にとってもそうであるとは思いません。 ただ、当時自分の土俵を持っていなかった私が、ランニングを通じて相対的に自分の位置づけをすることが 出来たことは幸運だったと思います。それは自分の力で出来たことではなくアトミで出会った人々がいたから 出来たことでした。

1998年4月19日 落合 雅貴


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